第8章 後悔と懺悔-1
成瀬陽香はその日、中学校の入学式と十三歳の誕生日を同時に迎えた。
新しいセーラー服、新しいカバン、新しいスニーカー。
何もかもが陽香にとっては最良の日となるはずだった。
入学式からの帰り道、陽香は一人の初老の男性に道を尋ねられた。その男性は陽香を見るなり、目を剥いたかと思うと急に泣き始めた。
「あ、あの……」
「恵莉、生きていてくれたのか。お前が死んだと聞かされた時は、お父さんもお母さんも目の前が真っ暗になった。しかし、あれはあの男のでたらめじゃったんじゃな。ワシらをあきらめさせるための」
陽香には男の言っている言葉の意味がわからなかった。
「あの、私は陽香って言いますけど、おじさんとも初対面ですよ。誰かと勘違いしてるんじゃないですか?」
「そんなことはない! お前は真田恵莉、ワシの娘だ」
「私は、成瀬陽香っていうんですよ」
人違いだと何度言っても、男は信じようとはしてくれなかった。
男は陽香の手を握りしめてくる。
「ちょっと、私の娘に何をするんですか?」
陽香が困惑していると、遅れてやってきた父、健一が男の手を振り払う。
「お父さん」
陽香は慌てて健一の後ろに隠れた。泣いていた男の形相が怒りへと変わっていく。
「叶か? またワシから恵莉を奪いに来たのか?」
男は健一に突っかかり、後ろにいた陽香に迫ってくる。
「恵莉……? もしかして、耕平おじさん?」
健一は怪訝そうな顔で男を見る。どうやら顔見知りらしい。
「僕です。甥の健一です」
しかし、男は健一の話など聞こうとはせず、また陽香に手を伸ばそうとしている。
「恵莉、早くお父さんと帰ろう」
「おじさん、しっかりしてください! 確かに陽香は恵莉ちゃんに似てますが、恵莉ちゃんはもう死んだんですよ」
「何を言うか! 恵莉はここに生きておるではないか!」
男は健一を押しのけて、陽香の腕を捕まえる。
「痛い、お父さん」
陽香は健一に助けを求める。
「おじさん、やめてください! 陽香は私の娘です!」
健一が男を軽く突き飛ばした。バランスを崩した男は尻餅をついて倒れる。
「すいません、つい力が」
健一は申し訳なさそうに、男に手を差し出した。しかし、男は健一の手を振り払った。
「叶め、見ておれ。恵莉は必ず取り戻してやる」
男は捨て台詞を残して、去って行った。
陽香は恐怖のあまり、半泣き状態で健一の腕にしがみついていた。
「ごめんよ、陽香。怖い思いさせて」
「あの人、誰なの?」
「父さんのおじさんなんだ。でも、十年前に娘の恵莉ちゃんを亡くし、昨年にはおばさんも他界して、今は誰とも身内付き合いはしていないって聞いている」
「陽香、その人にそっくりなの?」
「そうだな、恵莉ちゃんも陽香もおばあさんに似たんだろう」
「ふーん」
「今日のことはもう忘れよう」
「うん」
陽香はそううなずきながらも、後ろ髪を引かれる思いは消えなかった。
悲劇はその夜訪れた。
昼間出会った健一の叔父だという男のことが気になった陽香は、なかなか寝つくことができなかった。
自分の手を握りしめて泣いていた。大切な娘を亡くしてしまったショックからだったのだろうか。
「かわいそうなことしちゃったかな」
孤独だったのかもしれない。もう少しやさしくしてあげればよかったと、陽香は後悔した。
ガシャーン!
ガラスが割れる音がした。
一階からだ。
「ドロボウ?」
鼓動が恐怖で速くなる。一階では両親が寝ている。心配になった陽香は、部屋のドアをゆっくり開けて、階段から下の様子をうかがった。
「陽香、逃げろ!」
健一の叫ぶ声が聞こえる。
やっぱりドロボウ?
陽香はゆっくりと階段を降りていく。
「っ!」
陽香の目に最初に飛び込んできたのは、炎だった。しかも、それは健一たちが眠っている部屋から伸びてきている。
「お父さん! お母さん!」
気が動転する陽香に更に追い討ちをかけるように、昼間の男が眼前に現われた。
「恵莉、迎えに来たよ」
「違うって言ったでしょう! 今はそんなこと言ってる場合じゃないの! 火事なのよ。早くお父さんとお母さんを」
「かわいそうな、恵莉。あいつらにウソの記憶を押しつけられたんじゃな」
「さっきから言ってるでしょう! 今はそんなことより、早く逃げなくっちゃみんな焼け死んじゃうのよ!」
「あの二人ならもう死んでるから構う必要はない。当然の報いじゃ。ワシから恵莉を奪ったんじゃからな」
「!」
陽香は言葉を失った。
「さあ、帰ろう。お前の家へ」
男は血まみれの手を差し出した。
「いや、私に触らないで! 人殺し!」
「お父さんといっしょに暮らせば、また思い出すよ」
逃げ場を失った陽香は男に追い詰められる。炎の勢いはどんどん増していく。もう外に逃げるのも不可能に近い。
煙を吸い込み、肺が締めつけられ咳き込む。息苦しくなり、意識が遠のいていく。
「さあ、恵莉」
「い……や……」
陽香は意識を失いながら、これが夢であることを願った。目が覚めれば、またいつもの生活が待っている、と。
小鳥のさえずる声で目が覚めた。
いつもと違う天井に気がついた陽香は、慌ててベッドから飛び起きた。が、めまいを感じて、再びベッドに体を預けてしまう。
「ここは……?」
陽香は室内を見回した。陽香の六畳部屋の倍はありそうだった。足元に敷かれている赤い絨毯はふかふかしている。このベッドにしてもそうだ。シングルサイズのスプリングの硬いベッドとは違う。ダブルサイズで体を包み込むようにやわらかい。机や本棚、家具の一つ一つを見比べてみても歴然とした差があった。
陽香は壁に飾られているセピア色の写真に目を向け、ドキッとした。自分によく似ている少女がピアノを弾いていた。他にも、犬とたわむれている写真や花束を抱いている写真もあった。
陽香は立ち上がり、その写真を順番に見ていく。そして、一枚の家族写真に辿り着く。
「これ……」
父親の顔に見覚えがあった。間違いない。昨日会った男だ。
そこで、陽香は昨夜の悪夢を思い出し、くずおれた。
夢などではなかった。あの男は両親を殺し、家を燃やした。自分がここにいるのが何よりの証拠だ。
「お父さん……お母さん……」
陽香は楽しかった誕生日パーティを思い出し、嗚咽した。
まさかあれが両親との最後の食事になるとは思ってもみなかった。入学祝も兼ねて買ってもらったスニーカーも何もかもすべて燃えてしまったのだろうか。
「ダメ! こんなとこで泣いてる時じゃないわ」
陽香は自分に喝を入れると、立ち上がった。実際に両親の遺体を見たわけではない。もしかしたら病院に運ばれて一命を取り留めているかもしれない。それを確かめるまで、泣いているヒマなどない。
一刻も早くここから抜け出さないと。しかし、部屋のドアが開かない。外からカギをかけているようだった。陽香は部屋中の窓を開けてみようと試みた。が、窓は開閉ができないようにはめ込まれている。
よく見てみれば天井の隅に監視カメラが二台設置してある。これでは牢獄と同じだ。
陽香はカメラに向かって叫んだ。
「見てるんでしょう! 私をここから出して。トイレに行きたいの」
返答はなかったが、ドアのロックが解除される音が聞こえた。陽香は慌てて部屋を飛び出した。部屋と同様にロウカにも赤い絨毯が敷かれていて、走りづらさを感じた。どんなに広い豪邸かと思っていたが、迷子になるような広さではなかった。
陽香は階段を見つけると、迷うことなく駆け降りた。そして、玄関に向かう。
しかし、玄関の扉が開くことはなかった。ここもロックされている。
「恵莉、ここはお前の家だ。もうどこにも行くことはない」
「何度も言ってるでしょう! 私はあなたの娘じゃないって!」
背後に人の気配を感じて振り返る。
「どうすれば、ワシのことを思い出してくれるのだ?」
「おじさんの娘さんが死んだのってもう何年も前のことなんでしょう? きっとどこかで生まれ変わってるわよ!」
「生まれ変わり?」
男の顔色が変わった。
「そうか。お前の中には恵莉の魂が入っておらんのだな。恵莉の魂さえその体に宿ってしまえば……」
狂喜し始める男に、陽香は畏怖の念を抱いた。そして、直感した。この男はまた新たな殺戮を犯そうとしている。




