タイトル未定2026/09/21 16:45
あれ、まずい。短編を書いたつもりだったのに、また設定を間違えて連載小説の方になってる。……またやってしまった。
この前のSF小説もそうだった。どうして私は、短編を書いたつもりで連載小説にしてしまうんだろう。まあ、やってしまったものは仕方ない。
そう思いながら、もう一度書いた小説を眺めていた。イラストを見る限り、女性かなり若い。 十代後半か、二十代前半くらいに見える。
なのに作中では、婚活のプロから、「こういう女性は――」と、いろいろ分析されている。年収がどうとか、生活力がどうとか。まあ、個人の考察だからそれはいい。
ただ私は、「こんな若さで、社会の酸いも甘いも全部知ってるような女性って、いるのかな」と思ってしまった。……いるのかもしれないけど。
そして、そこからなぜか自分と比べ始めた。「ちなみに私、それでも年収250万以下ではなかったけどね、もっと稼いでいたよ」
我ながら、変なところで張り合っている。でも、そんなことを考えていたら、自分のことを思い出した。私は昔から、自分のことを「世間知らずで、箱入り娘だな」と思っていた。
ただ、それを本当に実感したのは、結婚してからだった。親に守ってもらっていた。きょうだいにも守ってもらっていた。そして、社会にも守ってもらっていた。
それが、結婚して親になって、少しずつ変わった。子どもができて、今度は自分が守る側になる。一緒に暮らす義理の父母のことも、家族として考えなければならない。家族に何か起きれば、怖くても動くしかない。
もちろん、毎回きれいに立ち回れたわけじゃない。半泣きになりながら、「どうしよう」と思っていたこともある。それでも、なんだかんだ動いてきた。
振り返ってみれば、私は別に人生の酸いも甘いも知り尽くしたわけじゃない。今だって知らないことはたくさんあるし、世間知らずや能天気っぽさも、まだ残っている。
ただ、何か起きたときに、「誰かが何とかしてくれる」ではなく、「さて、私はどうする?」と考えるようにはなった。
それだけでも、昔とは少し違うのかもしれない。そんなことを考えながら短編設定を間違えたことを誤魔化している。
◇
もうすぐ四十になる私の中には、おばあちゃんがいる。いや、本当におばあちゃんがいるわけじゃない。別人格はいないのだが、たぶん誰の中にも、自分とはちょっと違う年齢の人間がいるんじゃないかと思う。違う性別もあるだろう、その前提で書いていく。もうばあばでいこう。
私のばあばから『たのしいピクニック』の女性を見ると、「いやあ、いいねえ。こっちも幸せな気持ちになるねえ」となる。
穏やかで、ニコニコしていて、幸せそうで。こういう女性、素敵だなあ、と。そして、私自身が女性として見ても、「うん、素敵だね」と思う。
第一印象だけなら、かなり好感が持てる。ところが。もう少し眺めていると、私の中から妙なものが出てくる。
「……この子、搾取されやすそうじゃないかい?」
なんで?
自分でも不思議だったので、少し考えてみた。たぶん、笑顔だけじゃない。相手を押し返すような雰囲気がない。「私はこうしたい」という強い主張も見えない。
嫌なものを嫌だと言いそうな顔でもない。もちろん、そんなものはイラストから本当に分かるわけがない。分かるわけがないのに、私はそういうものをあえて読み取ったのだ。一枚のイラストから勝手に組み立てた人物像だ。
……ということは。もしかして、問題は彼女じゃない。私の見方の方、認知の歪みである。
そこまで考えて、ちょっと嫌になる。だって私は、同じ女性を見て、「穏やかで素敵だな」と思った直後に、「でも、こういう人って利用されそう」しかも、そのさらに奥から、「だったら、こっちが上の立場に立てそうだな」という、ばあばまで出てくる。
なんだろうな、これ。たぶんこの視点は、どこからともなく生まれたものでもない。私は今まで、「女性はこうあるべき」というものを、それなりに浴びてきた。
目立たない。
出しゃばらない。
男性を立てる。
穏やかに。
女性らしく。
貞淑に。
家庭を守る。
そういうものを、言葉でも空気でも受け取ってきた。だから今の私は、そういう女性像を見ると、「素敵だな」と思う自分と、「……でも、この人、弱い立場に置かれやすくない?」と思う自分が同時に出てくるのかもしれない。
一枚の「たのしいピクニック」を見ただけで、フェミニズムとマスキュリニズム、男尊女卑と女尊男卑、ミソジニーとミソアンドリーからの乙女ゲームの女主人公まで一気に駆け抜けた。
この女性が、男に利用されるかどうかだけじゃない。もっと広い集団と歴史の空気だ。
こういう「穏やかで、従順そうで、反抗しなさそうな女性」を、昔の社会は「いい女性」として評価してこなかったか。
「この子なら、言えば分かってくれる」
「この子なら、お願いしても大丈夫」
「この子なら、多少我慢してくれる」
そうやって、本人の優しさや穏やかさが、いつの間にか「要求してもいい理由」に変換される。なんだかホラーな匂いが立ち込めてきた。しかも私は、それを「男が悪い」で終わらせようとしていたわけじゃない。夫や義父や実父だけじゃない。女性同士でも、同じことは起こる。
母親から見ても、姑から見ても、職場の人から見ても。
「この人なら頼める」
「この人なら怒らない」
「この人なら合わせてくれる」
そう思われた瞬間、その人は「優しい人」から「便利な人」に変わってしまうことがある。たぶん私は、そこを知っている。自分が実際にそうだった、という意味だけではない。
結婚して、子どもができて、家族のことを考えるようになって。誰かに守られる側だった自分が、少しずつ守る側になった。すると、人間関係の中で「誰が強いか」よりも、「誰が断りやすくて、誰が断りにくいか」の方が気になるようになった。
強い人が偉いわけじゃない。声が大きい人が正しいわけでもない。ただ、断れる人と断れない人がいたら、世の中は案外、断れない人の方へ仕事や我慢を押しつけてくる。
それを私は、「搾取されやすそう」と呼んだのかもしれない。たぶん、ばあばは彼女を馬鹿にしているんじゃない。むしろ逆だ。「かわいいねえ。幸せそうだねえ」と眺めながら、
「でもねえ、あんまりいい子すぎると、世の中には、その優しさを『使っていいもの』だと思う人もいるからねえ」
と、余計な心配をしている。……いや、ほんと余計なお世話である。何せ相手は二次元の女性だ。
しかも私は、その人の性格を勝手に決めている。
「あなた、断れないでしょう」
「あなた、我慢するでしょう」
「あなた、頼まれたら笑って引き受けるでしょう」
全部、私の妄想だ。
私は一枚のイラストを見て、女性の社会的立場について考え、そこから自分が受けてきた女性像まで掘り返し、最後には二次元の女性の性格まで勝手に決めている。
……やっぱり、この『たのしいピクニック』、すごいな。私の中では、もう完全に社会学の講義が始まっている。
このイラストを描いてくださった作者様、あがとうございます。一枚の絵と他者の考察や感想から私自身のトラウマやコンプレックス、見えない不安と恐怖を言語化できました。考えることが楽しかったです、立派な現代アートですね。社会学の教科書とかに載せてほしいです。
婚活コンサルタントの方へ、私は婚前は、結婚がゴールと思っていた頭にお花畑が満開の人間でした。結婚したらスタートの合図がなるのですね。貴方が動画投稿サイトで辛口なのは結婚後の二人の人生をかなり先まで想定しているからなのでしょう。楽観的過ぎると現実とのギャップに脳が身体がついて行かなくなります、個人の意見です。現実を見ることは大事なのですが、時に夢に浸りたくなるのも人間です。ままなりませんね。




