タイトル未定2026/09/21 09:49
スマホの画面に躍り出た一枚の創作イラストをスクロールの手を止めて眺めていた。タイトルは『たのしいピクニック』。
小石が混じる芝生、敷かれたレジャーシート。そこにちょこんと座り、にこりと微笑む若い女性が描かれている。手元にはお弁当箱や水筒、おにぎり、りんご、タッパーにウインナーとゆで卵。
「あらあら、デートかしら。うふふ」
心の中でそう呟いた瞬間、自分でも「私おばちゃんだな」と苦笑いが漏れた。
だけど、一歩離れて絵を見つめ直すと、勝手に頭の中で物語の続きが膨らんでいく。この笑顔の視線の先にいるのは、付き合いたての彼氏だろうか。それとも、少しカメラを引いた位置に、幼い子どもと夫が公園の水道で手を洗って戻って来たところだろうか。季節はいつだろう。日差しはやわらかそうだから春か、いや、秋の澄んだ空気かもしれない。
描かれてもいない背景や前後の文脈を、私の脳は勝手に補完して、勝手にひとつの「休日」をつくりあげていた。
だが、SNSのタイムラインをさらに追っていくと、この一枚の絵をめぐる解釈の波は、まったく別の方向へ勢いよく広がっていた。ある婚活コンサルタントの方の分析だった。
その人は、絵の中の細かな要素をひとつひとつ拾い上げ、推論していた。
「おにぎりの具が全部昆布であること」
「シートが微妙にゴツゴツした石の上に敷かれていること」
そこから展開される論理はこうだ。相手の好みを考えずに同じ具材ばかり握ってしまう気の利きにくさ。レジャーシートを敷く場所すらまともに選べない要要領の悪さ。この女性は一見可愛らしく微笑んでいるけれど、パートナーとして生活を共にしたとき、到底戦力にはならないタイプではないか――。
さらに解釈は加速し、彼女の推定年収や学習リテラシー、育ってきた家庭環境にまで及んでいた。
「すごいなあ」
私はスマホを指で支え直しながら、素直に感心してしまった。
婚活のプロというフィルターを通すと、同じ一枚の絵がこれほどまでに火力の高い条件査定の場に化けるのか。すごいな。結婚をただのゴールとしてではなく、その後に続く何十年という共同生活の観点から見ているからこそ、そういう細部の情報が致命的なリスクに見えるのかもしれない。
間違っているとか、偏見だとか怒る気にはなれなかった。むしろ「人によって見え方がここまで違う」という現象そのものが面白くてたまらない。
プロの眼力にかかれば、おにぎりの具が一種類は生活力と経済力の可視化になる。
……でも待てよ、とふと思った。そう面白がっている私自身はどうだ?
「デートかしら、うふふ」なんて呑気に微笑んでいたけれど、じゃあ絵の中に「彼氏」は描かれていたか?
描かれていない。春か秋の穏やかな日差しなんて感じていたけれど、気温や月を示す描写なんてどこにもない。私だって、婚活コンサルタントの方と同じくらい、何もない空白の上に自分の勝手な妄想を塗りたくっていただけじゃないか。「主観まみれ」なのは、他ならぬ私自身だった。
そう思いながらもう一度、画面の中の女性の顔をじっと見つめる。ふと、見覚えがある。この女性の雰囲気に、強烈な既視感があるのだ。どこで会ったんだろう。知り合いだったか、それとも――。
あ、私だ。
十五年以上前、今の夫に一目惚れして、必死になっていた頃の自分とイラストの女性が重なった。当時の私はとにかく必死だった。彼に好きになってもらいたくて、どうにかして「好感を持たれる女性」になりたくて、なりふりかまわず情報を集めていた。
恋愛マニュアル本、自己啓発本、ファッション誌の「愛されコーデ」特集、ネットのコラム。膨大な文字を読み漁り、ノートに書き留めた。
当の本人に「どんな女の子が好きですか?」と探りを入れても、「別に。なんでもいいよ」「好きにすればいいんじゃない?」などの生返事しか返ってこない。まともな情報が引き出せなかった。そこで私は、一般的な日本人男性が安心感を覚える女性像という平均値をネットや本から抽出して、それを全身に纏うことにしたのだ。
派手すぎず、かといって地味すぎない。朝のニュース番組に出てくるアナウンサーのような清潔感。コンサバティブファッション、いわゆる保守的。1950年代のファッションを参考にした、そう、ローマの休日を現代日本に持ってきたのである。
スカートは膝下か、少し長めのプリーツ。
色は白、生成り、淡いベージュ、薄いピンク。
靴はカツカツと高い音が鳴らない、低いヒールのパンプス。
髪は肩まで伸ばして、主張しすぎないシュシュでまとめる。
メイクはナチュラルメイクを意識して、でも下地に五種類使った。
自分の骨格診断やパーソナルカラーまで調べて、徹底的に「害がなさそうで、柔らかく、可愛らしい私」を作り上げた。頑張った。
絵の中の彼女が着ている淡い色の服、控えめな髪留め、主張しすぎない全体の佇まい。あの頃の私が作りたかった自分そのものだ。かわいいは作れるを信じていた。
結局のところ、私がこの絵を見た瞬間に感じたデートかな、という柔らかい空気は、絵から漂っていたのではなく、かつて自分が必死に愛されたいとして演じていたあの頃のいろんな記憶が、勝手に投影されていただけだったのだ。
ちなみに、その血のにじむような(?)努力の結果どうなったかというと、結婚してしばらく経つ頃には、私の服装はどんどん動きやすさ重視になり、最終的にはスポーツ用品に勤める店員さん系になった。
夫はというと、私がひらひらしたプリーツスカートを穿いていようが、ポロシャツで髪を適当にくくっていようが、驚くほ態度が変わらなかった。最初から本当に「なんでもよかった」のだ。
当時の努力は何だったんだと思わなくもないけれど、あの時ふわふわした服を選んで、シュシュを買い集めていた時間自体は楽しかった。化粧品売り場の定員さんとおしゃべりしたり、古着屋の店員さんとデートに来ていく服を相談したのもいい思い出である。
だが、人生は「愛されコーデ」を着てピクニックをしているだけでは終わらなかった。結婚し、子どもが生まれ、看護師としての生活が一変した。
正社員からパートになり、育児との両立に悩み、収入は減り、最終的には一旦仕事を辞めて年収ゼロになった。
特に大変だったのは、息子の発達上の特性がまだはっきりと分からず、家族全員で暗闇の中を模索していた時期だった。
息子がなぜ突然パニックを起こすのか、何に対して激しい不安を感じているのか、当時はまだ彼専用の「取扱説明書」が存在しなかった。夜泣きや激しいかんしゃくが何日も、何ヶ月も続き、まともな睡眠が取れない日々が続いた。
私自身も体力の限界を迎え、一緒に暮らす義父母も疲弊し、夫も仕事が多忙を極める時期と重なっていた。幼い娘も家の中のぴりぴりした空気や環境の変化を感じ取り、不安定になっていた。
あの頃の我が家は、誰もがギリギリの足場に立っていた。だけど、私はそこで立ち尽くしていたわけではない。わからないなら調べればいい。頼れる場所を探せばいい。
「行政に電話しよう」
「病院の専門外来を予約しよう」
「学校や園の先生に相談しよう」
「療育の情報をネットや図書館で探そう」
「……仕事を辞めよう」
なりふり構わず動いた。専門家の言葉を聞き、支援機関につなぎ、使える制度を調べ上げ、息子のパニックを減らすための環境調整を一つずつ試していった。失敗してはやり直し、泣きながら書類を書き、相談窓口の担当者と話し込んだ。
そうやって動いてきた結果、今では少しずつ家族の生活に穏やかなリズムが戻ってきている。我が家には我が家なりの、落ち着いた日常がある。あの大混乱の時期を、逃げずに全部受け止めて処理してきたという自負が、今の私にはある。本音を言うと、仕事は辞めたくなかった。しかし、仕方ない。
画面の中の「おにぎりの具が全部昆布だから要領が悪い」「戦力にならなさそう」という評価のあとに、一般のユーザーたちが女性が境界性知能ではないか、情弱だろう、家庭を預けるには不安だという。
なんだ、これ、私に言ってるわけじゃないのに拡大解釈しそうになっている自分がいる。待て待て、誰も白井ちよのこと知らないんだから。早まるな。
境界性知能は医者にかかって検査しないと分からないし、情弱は合ってる。ここ三年でやっとSNSに登録するようになったし、去年パソコンを買った。情報リテラシーは勉強中で、もともと人に騙されやすいしカモにされやすいんだから気を付けるに越したことはない。そのため、自分のクレジットカードは持たないし、ネットでの買い物にも手を出さない。
……そうじゃない、私が言いたいのはこんな現実の荒波じゃなくて、もっと最初のところ。
「あらあら、デートかしら。うふふ」
って思ったところ。この子は彼氏が大好きなんだな、可愛いな、ウキウキ感が伝わってくるな。そうだよね、好きな人と一緒だとなんでも嬉しいよね。楽しいくなるよね。勝手に顔がニコニコしちゃうよね。それが恋の魔法よ。うふふ。みたいな情動の方だ。
この優しくて柔らかい穏やかな雰囲気を出せるイラストの女性が素敵だなと思った。こうなりたかった。なぜなら、私から見た当時付き合っていた夫の見た目が「安心・安全・真面目」だったから。
私の好きな属性しかない男性を初めてみた。理想を全部組み込んだっていう人だった。ちなみに、このたのしいピクニックのイラストの女性に対して、母親像を見たユーザーが何人かいた。それは、そうだろう。優しさの一番身近な人間モデルは母親か父親になるのはごく自然な事なんだ。なにもおかしいことじゃない。
しかし、私が夫に、私の母親と父親の、なんていうか役割モデルを重ねてはいけないとは思っていた。それをしたら、私もそうされるからだ。私は、夫の母親にも父親にもなれない、なりたくない。妻でいたい。
そろそろ、自分でも何を言ってるのかわからなくなってきたので、この辺で止めようと思う。夫を見て二秒で惚れた。十五年くらいはずっと惚れている。現実でコレを言ったら頭おかしい人と思われるから、夫と義母とAIにしか言ってない。
うちの夫が世界で一番カッコいいと思う。異論は多いに認める。
夫から、好きも愛してるも可愛いとも言われたことがありません。結婚を前提にお付き合いしてくださいと私から言ったし、夫は「はい」としか言ってない。私から好きだ、カッコいいと言っていますが四年に一度くらいは夫から言ってもいいと思うのです。夫にその旨を伝えたら、簡単に言葉にしないと言われ、夫なりのルールがあるんだな、だから、結婚できなかったんだなこの男と思いました。私の事は好きなのかと聞いたら、でないと一緒にいないと言われました。めんどくせえ男だな、でも結婚詐欺には向いてない奴だと思いつつ、私自身もめんどくさい気質満載な人間なので似たモノ夫婦なんだと思います。ちなみにこれも義母に言いました。義母は「昭和の男だな、古くせえな、それがカッコいいと思ってんだ。口がついてんだからちゃんと言えや」とビール片手に聞いてくれます。珍しいタイプの義母だと思います。




