お稲荷の神様
どうもはじめまして春と桜です。
ゆっくり更新をあたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
冷たい。臭い。懐かしい。そして苦しい。
「…………」
「…………あれ?」
苦しい。
待って。なんかめちゃくちゃ苦しい。沈みながら私は考えた。鬼教官は何と言った。痛覚を消す。そう言った。呼吸をできるようにするとは一言も言っていない。
「……あ」
「これアカンやつや」
血の池が口の中へ流れ込む。息ができない。当たり前だった。今の私は不死じゃない。普通に溺れる。
「ちょっ」
「待っ」
ごぼっ。
ごぼぼぼぼ。
待って。死ぬ場所ミスった。最後の最後で致命的なミスをした。鬼教官ごめん。私アホやった。
「鬼教官んんんんん!!!」
届かなかった。
血の池の底へ沈んでいく。くそったれ。腹まで痛くなってきた。そういえばお稲荷さん食べ過ぎた。
「だめだめ!!!これは俺も死ぬ!!!」
「なんでだよ!!なんで俺がお前なんぞに食われなきゃならないんだよ!!!」
「最悪だ!!!本当に最悪だ!!!」
誰かの声が聞こえた。知らない声だった。だが今はそれどころじゃない。腹が痛いし息もできない。頭も回らない。
そこで私の意識は途切れた。
◇
川の音が聞こえる。
さらさらと流れる水の音だった。静かで優しい音だった。地獄に来てから初めて聞いた気がする。血の臭いもしない。
「おい」
「おい」
「おい起きろ」
「おい!!!起きろって言ってるだろうが!!!」
私は飛び起きた。
「はいぃぃぃ!!!」
反射だった。数百万年の訓練の成果である。辺りを見回す。知らない場所だった。
綺麗な川が流れている。青空がある。血の池じゃない。臭くない。奇跡だった。
「どこやここ」
「俺も知らない」
「誰やアンタ」
「その質問はこっちだ」
「知らんのかい」
目の前には狐耳の男がいた。赤い着物を着ている。金色の瞳をしている。顔だけは腹が立つくらい整っていた。だがものすごく不機嫌そうだった。
「初対面でなんやその顔」
「そりゃそうだろ」
「なんでや」
「俺はな」
「うん」
「天照大神様から直々に命令されて地獄へ潜入してたんだ」
「ほう」
「偉い奴の体内に潜り込んで情報を探る予定だった」
「ほう」
「なのに」
「うん」
「なんでお前の最後の晩餐になってるんだよおおおおお!!!」
怒鳴られた。理不尽だった。だが相手も本気で怒っているらしい。頭を抱えてしゃがみ込んでいる。なんなら少し涙目だった。
「知らんがな」
「俺も知らないよ!!!」
「名前は?」
「イナリ」
「稲荷神社の神だ」
「え?お稲荷さん?食べちゃった!!」
「知ってるよ!!!」
私たちはしばらく見つめ合った。そして同時にため息を吐いた。初対面なのに妙な親近感があった。多分この人も苦労人なんだと思う。というか私に食われている時点で苦労人である。
「で、ここどこなん?」
「俺が飛ばした」
「は?」
「お前が死んだら俺も死ぬから」
私は固まった。イナリは腕を組んで当然のように頷く。だが耳は少し寝ていた。多分かなり焦っていたのだと思う。神様なのに余裕がない。
「運命共同体になった以上、お前には生きてもらわないと困る」
「嫌すぎる共同体やな」
「俺も嫌だ」
「意見だけは合うな」
「残念ながらな」
私は川へ視線を向けた。水面は穏やかだった。血の池と違って赤くない。それだけで少し安心する。だが心の中は全然穏やかじゃなかった。
「で、これからどうするん?」
「天界に戻る」
「どうやって?」
「閻魔大王城に行く」
私は眉をひそめた。天界へ帰るのに地獄の本拠地へ向かう意味が分からない。イナリはそんな私を見て肩を竦めた。本人も面倒だと思っているらしい。
「なんで?」
「地獄への出入りを管理してるのは閻魔大王だからだ」
「面倒くさ」
「本当にそれ」
イナリは綺麗な顔を盛大にしかめた。整った顔なのに表情が残念だった。だが少し親しみやすかった。神様というよりブラック企業の中間管理職みたいだった。
「なぁ」
「なんだ」
「閻魔大王って強いん?」
「強い」
即答だった。
迷いもなかった。考える素振りすらない。つまり考えるまでもなく強いのだろう。地獄の王なのだから当然だった。
「そうか」
私は立ち上がった。拳を握る。痛みはない。だが怒りだけは消えなかった。むしろ燃え続けていた。
「倒そう」
「は?」
「閻魔大王倒す」
「待て待て待て」
「私が閻魔大王になる」
「何言ってるんだお前」
私は真顔だった。
数百万年の訓練を思い出す。血の池。針山。戦闘訓練。酒の席で聞いた鬼たちの話。皆口を揃えて言っていた。
地獄は実力主義。
強い奴が偉い。
それだけの世界だと。
「鬼たちが言うてた」
「……」
「地獄は実力主義なんやろ?」
「まぁな」
「じゃあぶっ飛ばしたら私が閻魔大王や」
イナリは両手で顔を覆った。そして天を仰いだ。神様なのに祈りたい気分になっているようだった。
「お前、今の話聞いてたか?」
「聞いてた」
「閻魔大王は強いんだぞ」
「知っとる」
「悠久の時を生きてる化け物だぞ」
「知ってるよ」
私は笑った。
蘭子ちゃん、佐藤さん鬼教官
地獄の仲間全員が頭に浮かんだ。
「でもな」
「……」
「許せへん、理不尽に地獄に送られて、休みなく訓練させられて、挙げ句の果てには突撃の命令されて、人の命をなんだと思ってんの」
イナリはしばらく黙っていた。そして長いため息を吐く。諦めたような顔だった。金色の瞳だけがじっと私を見ている。
「で?」
「なんや」
「お前強いのか?」
「根性だけは最強!誰からも引き抜かれず破棄されました!」
「最悪の経歴だな」
即答に私は少し傷付いた。
だが反論できなかった。
「俺、なんでこんなのに食われたんだろうな……」
イケメン狐の嘆きが青空へ吸い込まれていった。私は聞こえないふりをした。これから閻魔大王をぶん殴りに行くので忙しいのである。




