十八 踏み出さぬ者の影
今から三十年近く前、「貴族職業の自由」が布告され、現在貴族当主の就く職業は、多彩となった。もっとも、地代や株式配当など寄生的基盤を保つ、高額所得者も未だ多い。
しかしそうした基盤を持たない貴族は、やはり何かしら生業を持つことが必要となる。
公・侯爵家の当主の多くは、皇宮内で官吏として勤めている。子爵以下の多くの爵家男子は、多種多様の職業に就くことを余儀なくされているが、爵位持ちの有利を生かすのであれば、貴族院の議員になる道がある。
皇修館高等部三年生、竹内朝昭の父も、かつて子爵家当主として、貴族院の議員の立場にいた。
しかし五年前、朝昭の七つ上の姉が、家同士が決めた結婚の遂行に耐えかねて、出入りの植木屋の男と駆け落ちした醜聞をきっかけに、音信不通となった。
朝明の父は互選の貴族院で指弾を受けて席を失い、その後は出資を目当てに事業に担ぎ出されては失敗し、財を削った。
いよいよ首が回らなくなるというとき、皇修館の同級である白瀬儀作に声をかけられる。
白瀬の家は子爵家でありながら、ビリヤード場やキャバレーといった遊興場を何軒も経営しており、羽振りが良かった。落ち目の家に声をかけ、人脈・地脈、家宝までも抱え込み、事業を膨らませているという。
今ではの父は、白瀬の父の雇われ人である。
職業に貴賤なしとは言うが、内心、白瀬の事業を下賤なものとして見ている父は、家では酒を深く飲んでふさぎ込む。そしてそのたび呪文のように言うのである。
——白瀬の家の息子には逆らうな。
「それで? 俺になにが言いたい?」
竹内朝昭は、皇修館の教室の一室で、自分を呼び出した相手、葛城一陽と向かい合っていた。
一陽と朝昭は一学年離れているが、皇修館入学前に住んでいた皇都の屋敷が近く、お互いの家を行き来して遊んだ幼少の記憶がある。
しかし、それももう昔の話だ。道を駆けて遊んだのなんて、何年前の話だと思っているのか。
「白瀬がなにかしようとしているのは知っている」
一陽は、険しい顔で朝昭を見ている。朝昭は答えなかった。
一陽の父は、一時国軍に所属していたが、退役後大学で学びなおし、趣味だった天体の研究で博士を取得。今では大学で教えている。学者さまの息子のくせにと思うと、朝昭はつばを吐きかけたい気分になる。
「鹿鹿嶋嶋はいいよ。あいつは殴っても踏んづけても、死にはしないし」
鹿嶋。名を聞いて朝昭のこめかみに痛みが走る。
近ごろ白瀬儀作が荒れて、取り巻きの者に当てつける理由の大半が佐治鹿嶋のあれこれだった。最初は落としたい令嬢に鹿嶋の名を出され無下に振られた逆恨みだったが、今は存在そのものが忌々しく感じるようで、奴の名を聞いては苛立っている。
最初のご令嬢の件、それだって十分逆恨みである。大体が、朝昭のような斜陽を見る家でなければ、大方の爵位持ちの家庭では、親が子の結婚相手を見繕って来る。一陽や鹿嶋の家のように、親が子を使って他家と縁戚となることに興味がなく、子の将来を子に決めさせんとするのはまれである。
白瀬の親についても、よい縁を結ばせようと動いてはいるものの、実家の事業の種類と、また本人の乱暴な気質が知れ渡っているから話が降ってこない。そのことに、白瀬儀作本人は無自覚だった。
「白瀬に話を通せと言いたいのか。俺になんの得がある?」
白瀬のことは好きではないが、鹿嶋にだって忖度してやる義理はない。
鹿嶋の生家、佐治侯爵家は、そもそも伯爵の爵位を持つ家であったが、鹿嶋の父憲政が、十数年前のアルモリカとの公海での海戦で武功をあげ、侯爵へと陞爵された。代々、体一つ武芸に身を捧げ、家を保ってきた武闘派である。
この家に生まれたからには、それを極めれば間違いないというものを持っている。生まれで道が定まる鹿嶋は、それだけで妬ましい。それを持たないから、朝昭の父は世間に弄ばれた。そして自分も、いずれはそうなる運命だ。
そして飾らず正面からすべてに対峙できる鹿嶋の生き方も、朝昭を苛立たせる。評価に怯えず、おもねらず、負けない。
「俺は白瀬になにかを言えるような立場にない」
事実である。白瀬と朝昭は友人ではない。関係は上から下に一方的で、朝昭の頼みは白瀬に通らない。
「わかった」と、一陽は思ったよりすんなり引き下がる。
見ていてわかるのだろう。鹿嶋と一陽のような関係は、白瀬と朝昭の間には起こりえない。「でも」と一陽は付け加える。
「日野紗蓉子嬢になにかするのだけは、やめてくれ」
日野紗蓉子。鹿嶋が執心していると、一部の女たちが騒ぎ立てている中等部の学生だった。名だけ広まって、どういった生徒なのか実際に知っている人間は高等部には少ない。朝昭も、白瀬が鹿嶋に学内で絡んでいるときに一度姿を見ただけで、特別な女だった印象がない。
あの鹿嶋が、ひとりの女子学生に入れ込む日がくるなど信じがたい。
朝昭は内心、鹿嶋がこのまま悪事と怠惰を重ねて、皇修館を退学になればおもしろいと思っていたから、たったひとりの女のために、奴が生活すら改めはじめた今の状況は気に食わない。
自分が手を汚さず、対岸から燃える火事を見るように、鹿嶋が落ちぶれていく様を眺めるのはきっと楽しかったはずだ。
「朝昭」
一陽の呼ぶ声は、慈悲深さすら感じる。今の自分の状況に同情でもしているつもりか。朝昭は顔すら向けない。
「紗蓉子さんには何もしないで。それだけは、本当に違うだろ」
——友だちからの頼みだよ。
一陽の言葉に、こいつまだ俺を友達などと思っていたのかと、朝昭が顔を上げた時、教室にはもう彼ひとりだった。




