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ある魔法使いの副官―運命に選ばれなかったものたち―  作者: はやぶさ8823
第2章 ある魔法使いの副官 鹿嶋追憶 2820年
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十七 君に生かされているから

 もうすっかり日が暮れて、街灯が灯る夜道を紗蓉子(さよこ)の屋敷の前まで二人で歩く。


 龍の淵から帰ってきて、いよいよ別れると言うとき鹿嶋(かしま)は紗蓉子を引きとめる。


「やっぱり俺も行くよ。遅くなったのは俺のせいだから、きちんと説明しよう」


「いいえ、本当に大丈夫です」


 紗蓉子は、鹿嶋の存在をユラに知られ、彼と会うことを止められるのではと不安がっている。


 紗蓉子の皇修館における生活の判断は、ユラが握っている。この関わりを不適切と彼女が思えば、紗蓉子を皇女宮に送り返すこともできる。


「一人のほうが、いくらでも言い訳ができますから」


 紗蓉子は鹿嶋を道に置いて、ひとりで門をくぐる。

 門の近くの供待の横を通り抜ける時、玄関の奥で黄色の灯りが点いているのが見えていた。

 

「あの……ただいま戻りました」


 玄関は開け放たれている。車寄せのさきの、土間に続く式台の上に、ユラがものも言わず石のように座っていた。

 たたずまいからすでに怒りを感じて、紗蓉子は立ちすくむ。


「本日はどちらへ」


「鏡子さまと、街へお買い物に」


「その鏡子さまから、桃狩りのお誘いのお電話がありましたよ」


 逃げ道がなくなってしまった。鹿嶋と出かけることを、誰にも告げずにいたのが(あだ)となる。


「……それ……は」


 考えれば考えるほど、沼にはまるように思考は沈んでいく。汗が浮き出て体が熱くなる。同時に、それが乾きながら彼女の皮膚を冷やしていく。


 なにか話さなければと、うめくように声をしぼり出そうとしたとき、「ごめんください」と門の方から叫ぶような声がする。


 紗蓉子が玄関から出て、数歩、門のほうへ歩き始めた時、人影が宵闇のなかから浮かび上がる。


「か、鹿嶋さま!?」


「やっぱり紗蓉子がひとりで怒られるのはかわいそうだと思って」


 鹿嶋は紗蓉子の横を通り過ぎて、車寄せに進む。


「夜分遅くに申し訳ありません」


 鹿嶋は開け放たれた戸の前に立つと、落ち着いた声で名乗る。


「私は皇修館高等部二年、佐治侯爵家が次男、佐治鹿嶋と申します」


 鹿嶋を見たユラは、はじめ目を丸くしたが、とりあえず今は聞くことと決めたらしく、何も言わなかった。


「本日、紗蓉子さまを早朝よりお誘いし、連れ出したのは私です。斉京区紀与町にございます、我が家の土地にご案内しました。私の生家に確認していただいて構いません。本日は兄に、その土地を訪れることを告げてまいりました」


 景色がよいところと有名で紗蓉子さまにお見せしたかった、と鹿島は付け足した。


「私の見通しが甘く、帰りの時間を見あやまり、このようなお時間にお返しすることになりました。お詫び申し上げます。紗蓉子さまは約束通りの時間に帰る意思をお持ちでした。彼女は悪くありません」


 申し訳ありませんでした、と鹿嶋は頭を下げる。


 紗蓉子はどうしてよいかわからず、ユラと鹿嶋の顔を交互に見て苦しむばかりだ。ユラは何も言わずにその様子を見つめていたが、やがてセリフを読み上げるような無感情な口調で、


「あなた、わざわざこちらにいらっしゃる必要はなかったでしょう」


と言う。


 たしかに鹿嶋はここに出てきさえしなければ、責めも罰も負わない。姿を見せなければ、彼はユラの認識の外のままだった。


 鹿嶋は、どんな答えをするか悩みもせず、顔を上げてしっかりと言葉をつむぐ。


「私はこの先、紗蓉子(さよこ)さまとふたりで直面するあらゆる困難について、彼女ひとりを矢面に立たせる気は一切ないので、だから、来ました」


 ユラはこのまま鹿嶋が引き下がらないところを見て、あきらめたように口を開く。


「今度このようなことがあれば、また対応を考えねばなりません」


 今度、とユラは言った。次があるのだ。


「二度はありません」


 ユラは断固とした口調で言うが、鹿嶋は喜びをかくしきれず、紗蓉子の手を取ると、「よかった。よかったね。また明日、紗蓉子」と告げる。そして駆けて暗闇に消えた。


 と思いきや、すぐに戻ってきて「失礼いたしました!」と美しい角度の辞儀を残して、また駆けて帰っていく。


 騒々しい人ですねとユラは言い、屋敷の奥に向かう。紗蓉子はふわふわと胸の奥に舞う高鳴りに足元が浮くような心地で、ユラの後に続いた。


「あの……」


 ユラは、皇宮へ鹿嶋(かしま)のことを告げるだろうか。


 二度目はない。すなわち、今回だけは見逃すということだ。そのユラの判断と、皇宮の判断がちがった場合、やはり自分は連れ戻されることになる。


 鹿嶋と離れずにいるためには、だれも通ったことのない道を、あらたに踏みかためるような慎重さが必要だったはずだ。こんなふうに知られてよかったとは思えない。


「あまり遅くなるのは考えものですよ」


「あ……はい……」


 ユラは、それしか言わなかった。


 結局、彼女の口から皇宮へ、鹿嶋の存在が伝えられることはなかった。変わらない日常がつづくことで、紗蓉子はそう判断した。


 その安心と同じくらい、また一歩踏み出したことへの不安も確かにあった。


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