66 だから調子に乗ってはならぬと
牛や羊が草を食んでいそうな牧歌的な風景。
軽快な音を奏でる小川のほとりで、涼しく乾いたそよ風が頬に心地良い。
愛馬も気持ちよさそうに透明な流れに足をつけ、ごくごく喉を潤している。
「平和だねぇ……」
岩に腰かけ、足を伸ばした。いい天気である。
目の前に広がるのは昔好きだった映画のロケ地、ニュージーランドの草原さながらの風景だ。あの白をまぶした山は、さしずめ最高峰のクック山か。
人里から離れた危険地帯に侵入しているはずなのに、何ゆえ私は絶景を眺めながらマイナスイオンを浴びつつ、まったりピクニックを堪能しているのだろう。
あんなにビビッていた日々は何だったのか……。
無意識にアームガードを撫でた。長時間装着して動き回っていても、蒸れや圧迫感がまるでない。
魔素の充填速度を計算に入れた上で、私の身体にダメージがこないギリギリまで威力と発射弾数を増やしていた。おかげで難なくあのうぞうぞを全撃破できたわけだが、途中から変なアドレナリンが出て、フハハハと高笑う怪しい人と成り果てていた。誰かに見られたら通報されてしまうので、今後は気を付けねばなるまい。
「そういえばあのゲームの敵ボス、オリハルコンの研究に投資してたよね。もしやARKさんの本体、オリハルコン的なもので出来てたりする?」
《いいえ。開発競争は熾烈を極めておりましたが、完成に至った所はありませんでした。〈私〉は副産物として出来た生体金属をより高度に改良したものです》
熾烈を極めちゃっていたか。〝より高度〟の部分にARKさんのプライドが窺えるね。
《ちなみにこの鳥の骨格は現在、アダマンタイトの合金に変更しております》
淡々と言っているが私にはわかる。
こやつはオタクだ。魔改造おたく。私が友人とお互いのハマったゲームについて熱く語り合っていた時と同じにおいがする。
黎明の森は地下資源の宝庫過ぎて、毎日ARKさんがウッキウキなのだ。あいにくドーミアで売りに出せばあっという間にお縄になるので、ご近所に宝の山があろうと、お金を稼ぎたければ堅実にお薬屋さんを続けるのが一番という結論が出る。ARK氏には、頼むから通貨偽造にだけは手を染めないでくれと願うばかりだ。
……というか。黎明の森って、カルロさんの――デマルシェリエ領にばっちり含まれているんだよ。
デマルシェリエ領で産出するものって、カルロさんの財産なんだよね。
うちの地下にあるのってさあ…………。
金鉱脈とか。
聖魔鉄の鉱脈とか。
神輝鋼の鉱脈とか。
天魔鉱の鉱脈とか。
なんでこんなにあるんだよ!? 普通はどれか一つでも無いだろ!?
私ら、こんなのの上に住んでてホントに大丈夫なの!?
実はラストダンジョンの真上だったりしない!?
《銀水晶も新たに発見いたしました》
発見すんなよ!?
聖魔鉄は長い年月をかけて良質の魔力に馴染んだ鉄が変質したもので、強力な武器や防具になる。
銀水晶は水晶が変質したパターンで、魔術士の杖やアクセサリー型の魔道具によく使われる。レア度は聖魔鉄の次ぐらいだ。
この中で普通の人類が到達していいのって、せいぜい銀水晶までだよね? 頑張って神輝鋼。どうしてうちは庭のそこらへんを歩けば、究極の鉱物がゴロゴロ転がっているのだろう。
いや待て、究極の鉱物なんて言ったら究極の鉱物が出てきてしまう。フラグの法則は言霊によって発動するのだ、発想と発言には気をつけねば。
で、だ。こういうものを発見したら、領主様にご報告しなければいけないのである。領主様の財産なんだから。
領民だろうが通りすがりの旅人だろうが、発見したら大手柄。逆に隠蔽して「ぐへへ宝の山だー♪」なんてやっていたら、市中引き回しの上打ち首獄門。
もうアウトです。
なんということでしょう。
《換金しなければセーフです》
「おまえの辞書がどうなってんのか一度見てみたいわ」
騎士の詰め所を見かけるたびに挙動不審にならぬよう、今一度演技力に磨きをかけておかねばなるまい。
《――マスター》
「ん?」
《騎士が十四、この平原に入りました。二時の方向、およそ二十キロメートル先です》
「噂をすれば……。定期討伐かな?」
《断定できませんが、先頭にカルロ氏とウォルド氏の姿があります》
「えっ。まさか、私がここでやってたことがバレたとかじゃないよね?」
魔力反応を感知される範囲内に、第三者がいないのは常に確認してはいた。しかし、勘が良く抜け目のないカルロ氏と、神様がバックについているウォルド氏の組み合わせだ。
この二人がぞろぞろ大所帯で仲良くピクニックとか、まずない。
《彼らはマスターの通過されたルートには向かっておりません。EGGSを一機つけていますが、ハンドサインでやりとりをしているために目的が不明です。監視を続けます》
「頼んだ」
今ドーミアは忙しさを極めているはずなのに、どうしたのだろう。
奇妙な高笑いをするヤバい魔族の目撃情報でもあったのだろうか。
魔物はどの国でも、外見の特徴そのままで呼ばれる。
一本角の兎は【角兎】。
一つ目の巨人は【一ツ目巨人】。
素朴で善良な小人族ではなく、真逆の残忍さを持つ魔物は【小鬼】。
耳にした瞬間、それがどんな魔物なのか、貴族も平民も一発でイメージできる。
〝形容し難い邪悪な闇の怪物〟を意味する文字があり、ARK氏は私が理解しやすい訳として【鬼】を当てはめた。【小鬼】、【邪霊屍鬼】、【幽鬼】――これらはいずれも暗い場所を好む。【小鬼】などは昼間の活動も可能だが、基本的に夜行性で、洞窟に棲むのを好む。
本日、私が相手にしたのはすべて、そういう一般的な名称を持つ魔物だった。
無傷で逃げられたら上々、一匹倒せたら御の字――そんな気合を入れまくってきた分、あまりにもあっさり片付きすぎて、達成感より脱力感が凄まじい。
「というかだよ。後半に遭遇したヤツのほとんど、初心者が相手にしていい種類じゃなかった気がするんだが。そこんとこどうなんですか小鳥さん?」
《倒せましたよね?》
しれっと返された。
ああ倒せたとも。倒せたさ。倒せたけどもな?
私が訊きたいのはそんなことじゃあないんだよ――って、わかってて言ってやがるんだろうなこいつは。
骨格標本をゲットしそこねた意趣返しだとは思いたくない。
「はー。なんかもうビクビクして損した。こんなもんだったか~」
《その結論に達するのは早計かと思われますが》
「えー? ……あっ、あの草、よく見たら【おなかきれいの葉っぱ】じゃん。こんなところにも群生してたんだね」
正式名称は【シュネーヴェンエルティスノータス】。お腹の中をきれいにしてくれる素敵薬草だ。これのおかげで多くの民はトイレいらずとなり、この国は路上で汚物が悪臭を放つ地獄から解放されている。
平和な知識人が考案したと思しき無駄に長い名称を、学のない庶民でも憶えている唯一の薬草としても有名。
「あれはいくらあっても困るもんじゃないって話だし、採って帰ろうかな」
《――マスター。灰狼が平原に入りました》
花弁の白いアマリリスに似た薬草から視線を引きはがした。
《率いるのは副族長のラザック氏、以下六名です。彼らは西方諸国から魔の山を突っ切り、デマルシェリエに入りました》
「ハンパねぇ……今回のご訪問の用件は何よ?」
《不明です。あちらにもEGGSを一機つけておりますが、進む方向が騎士団と交差しておりますので、いずれ合流するでしょう》
「近付いたら嗅覚でわかるもんな。喧嘩しなきゃいいけど――騎士団の目的、私かそれ以外かはわからない?」
《少なくともマスターではありません。しきりに地形を気にしております》
「地形?」
騎士団の様子が映し出された。EGGSが上空から撮影しているものだ。
《こちらが昨年の秋に撮影した地形、こちらが現在の地形です》
草や人など余分なものを排除し、双方を重ね合わせれば、微妙にズレている箇所があった。
「川の跡?」
《暖かくなる頃に雪どけ水が地表を削りながら流れ、時にそれが川のような跡になります。流れ切った後は、すぐに草が覆い隠します》
「カルロさん達がそれを知らない、なんてことはなさそうだけど」
《ええ。これを》
マップの縮尺が変わり、より広範囲が映し出され、地形データの溝部分にうっすら色がついた。カルロ氏率いる騎士団が辿ってきた溝だろう。そこで初めて、不自然さが浮かびあがった。
昨年まではなかった、新しい溝が長く続いている。そこまではまだいい。
――……下から上へ流れている箇所がある。
騎士団の追っている溝を一本の川と仮定すれば、そうなる。
おまけに随分大きい川だ。幅も深さも均一ではない。
《この場に留まれば、およそ三十分後に最接近すると思われます。いかがなさいますか》
「監視ポイントを探して」
《承知しました》
「ヤナおいで。――静かにね」
「ヴゥ……」
なんだか前にもこんなことがあったなと思い出しつつ、ARKがマップに示したポイントに移動する。
小高い丘の先端に岩があり、岩の周りにはいい具合に丈の高い草も生えていた。
緑の絨毯に腰を落とせば、平原からは岩や草と私の区別がつかない。
そしてこちらは風下だ。
均された人工的な運動場ではないので、岩や溝などそれなりに凹凸があるものの、視界がかなり良かった。
手の平サイズのマップの中、光点が現在地にじりじり近づいてくる。
やがて二時方向、小さな青い粒がちらつき始めた。
次に十一時方向、こちらは騎馬ではなく自前の足で移動している連中だからか、まだ発見できない。
障害物の少ない拓けた場所ではかなり遠くまで見渡せるので、ぱっと見の印象以上に距離があるはずだ。
青い点の群れは、思い出したように生えている大岩を避けながら、一見すれば何もおかしい所のない草と大地を進んでゆく。
≪川の終着点には何がある?≫
≪行き止まりです。地盤がゆるんで崩落した地点がいくつか≫
念話に切り替え、微動だにせず待ち続けて三十分。
何故か騎士団は動きを止めた。
私の位置から直線距離で、およそ二キロメートル先。
アップ映像では魔馬達の様子がおかしい。明らかに休憩ではなかった。
ウォルドとカルロ氏が手指で会話をしている。
『危険』
『引き返すか?』
『我々』
『数 不足』
『立て直しを』……
≪灰狼の接近を察知した?≫
≪いいえ。これは≫
≪ん? ……ねえARKさん、なんか微妙に地面が震えてない?≫
≪――――≫
騎士団の間近の土が盛り上がり、巨岩が小石のように軽く飛びあがって砕けた。
……どおぉぉぉん……
一拍遅れて音が伝わり、草や岩肌がビリビリ揺れた。
もうもうと立つ土煙。噴火か、それとも爆発物が仕掛けられていたか。
違う。
内部から大地をやわらかく掘り起こすように、何かがうねりながら出てきた。
巻き上げられた土と岩が、重力に従って降りそそがれる。
皆は。
カルロ氏は。
ウォルドは。騎士達は。
魔馬達は。
どうなった?
それがにょきりと首をもたげた。この距離でも輪郭がわかる。
EGGSの映像はより鮮明だった。
赤黒く照りかえる鱗。毒々しい緑色の筋。中央にぎょろりと光る大きな眼がひとつあり、その両脇にやや小さめの眼が四つずつ。
Tレックスをも余裕で絞め殺しそうな、途方もなく巨大な、巨大な蛇……。
「…………………」
誰だ「こんなもんか~」とか言った奴は。表へ出ろ。
あ? おまえだよおまえ。
おまえが不用意な発言するからだろこれ。
だからおまえは調子に乗るなと。
≪生存を確認しました。ウォルド氏が全員に防御シールドを展開した模様。負傷者四名、しかし回復薬を所持しており、魔馬も無事です≫
≪よっしゃ!≫
直撃を食らわなかったとはいえ、降りそそぐ岩石の雨だって相当だろうに、全員無事とは流石の一言では足りない。
が、上がりかけたテンションはすぐに下がり、頭がすう、と冷めた。
蛇は彼らを見おろしていた。余裕たっぷりにとぐろを巻きながら。
いつでも潰せると言わんばかりに。獲物の楽しみ方をじっくり考えている捕食者の目。
あそこは遠い。
あれのすぐ近くに友人達がいる。
〈グリモア〉は駄目だ、ここからだとコントロールが甘くなり、確実に彼らを巻き込んでしまう。
≪およそ二千メートル、届くか?≫
≪最大有効射程です≫
ああ、魔改造で伸びたのか。この環境なら多分、飛ばすだけなら三千はいけるだろう。
永久封印? それっていつか解けるためにあるやつだっけ?
さんざん勿体ぶった後に慌てて解こうとしてもそんな時に限って解けないやつだったかな。
どのみちTレックスをごっくんできそうな怪物相手に、グズグズしていい道理はないよね。
――〈フレイム〉展開――
岩に背を預け、両膝を立てて大腿の内側に肘を当てた。
両手で構え、グリップは左手で握る。両利きだから右も左もこだわりはない。
アームガードと一体型になっているせいか、以前より安定感が増している。
照準器を覗き込んだ。なかなかに凶悪な横顔ではないか。
≪せんせー、おうち帰っていいですかー? お昼寝したーい≫
≪目覚めた頃にはドーミアが夢のように消えていそうですね≫
そーだね。こういうエリアボス級のモンスターが何故かダンジョンから出て来る時って、人のたくさんいる所を順番に襲うパターンだよね。
標的はやわらかく耕した大地から、のっそり尾の先まで引きずり出し、呑気にとぐろを巻き始めた。
頭の位置があまり移動していない。動いているのは首、いや、胴の下からだ。
トリガーを引いた。
腹の底をドスンと打つような衝撃音。
ぶわりと周囲の草がなぎ倒された。射撃の瞬間、大気中の魔素と連鎖反応を起こし、想定以上の衝撃波が発生していたが、気をとられている暇はない。
二発、
三発――――チッ、外した!!
違う、避けられた。二発は過たず二つの眼を潰し、三発目は蛇がヒュッと頭を後退させて鼻先をかすめた。
そしてこちらを見た。正確に。
こちらに顔を向け、五つの眼が睨んでいる。
潰れた眼は四つあった。
片方の眼球に命中した魔素弾が、脳髄を破壊しながらもう一方の眼球を貫いて行った。
にもかかわらず、弱った様子がない。
そこにはひたすら、怒りだけがあった。
蛇が消えた。耕した畑の中に頭から突っ込み、長大な巨体が凄まじい勢いで地中に吸い込まれてゆく。
あれは逃亡ではない。確信とともに立ち上がった。
まさか。冗談よせ。
「ヴヴ……」
「駄目だヤナ、もっと離れてろ! あっち行ってなさい!」
ずずずずず、と靴の裏から振動が伝わってきた。それは一秒ごとに強くなる。
皮膚が逆方向へ撫でられるような悪寒が足もとから這いのぼり、反射的に結界を強化した。
「……やば」
ぼこりと地面が盛り上がった。
衝撃を殺す結界ごと、自分の身体を一気に押し上げ、次の瞬間、私は上空からさっきまで立っていた場所を見上げていた。
自分の身体が宙を舞っている。信じられない。
吹っ飛びながら天地が逆転し、見上げた地面をゴバッ、と裂きながら、視界一面の巨大な口が頭上から迫ってくるのを見た。




