Medicines for elementalists / 精霊術師の薬
「ライアン、なんだか疲れていませんか?」
執務机に座るライアンは、どことなく顔色、というか表情が冴えない気がした。
「いや、そんなことはないが」
「ライアン様はここ二日ほど、精霊道具のことで夜更かしをなさっておいでなので」
リンの後について、お茶を持ってきたシュトレンが暴露した。
「ん? でも『凍り石』はもう結果を待つだけですよね? 後の二つも、検証は館でやるでしょう?」
『凍り石』は規定サイズの石がいくつもできていた。
屋内、屋外と、『凍り石』を入れた箱を違う環境にセットして様子を見ている。木箱の種類も内側に銅板を貼ったもの、貼っていないもの、木箱の蓋と胴体の間に厚手の布を挟んだもの、と種類を変えている。
規定外の大きさの石も、館の冷室の一つを空けてもらっていて、そこで検証を予定していた。
『涼風石』と『温風石』も、同じ大きさの部屋で一度に検証したいので、館の部屋を借りることになっている。
「もしかして、魔法陣が大変なんですか?」
精霊石の作成は祝詞を覚えればいくらでも手伝えるが、刻み込む魔法陣の作成は、リンにできない部分だ。
「いや、魔法陣は祝詞が確定してからだから、まだだ。そこまで難しくないだろう。……『ドライ』が気になって、な」
「ライアン、『ドライ』は来年だって言ったじゃないですか」
「そうだが、どんなものかわからねば、タブレットに話すのもできまい?」
「……ライアンがやってみたいだけですよね。昼間だって予定が詰まっているんですから、休まないとだめですよ?さ、授業をお願いします」
「精霊術師の力のバランスと、それに伴う体調不良について」の講義である。
リンは今まで、家の外で精霊術を使ったことは、ほとんどなかった。ライアンの工房に住んでいることで、賢者見習いの噂はあれど、精霊術を使うところを人前で見せないようにしていたからだ。
聖域で使い、『金熊亭』で石鹸を試す時に一度使い、それ以外に、外で使ったことがあっただろうか。
家の中ででも、最近になって厨房でシルフやサラマンダーにお願いすることはあったが、ライアンと一緒に精霊道具を作る以外、たいして力を使っていないのだ。水が欲しいと思えば自分で桶を持って汲みに行くし、裏庭の水やりや手入れも相変わらず自力でせっせとやっている。
精霊が忖度して、いや、リンを甘やかしいろいろ動くのはあるけれど、リン自身は力を使っておらず驚いていることが多い。
加護石も祝詞もいらず、精霊術を誰よりも簡単に使えるだろうけれど、滅多に使わないリンである。
そんなリンに術師の体調管理について教えることを、ライアンは忘れていた。
もともとすべての加護がある賢者は、力も強く、加護のバランスも良いのだ。自分が『聞き耳』の使い過ぎで体調不良になり、初めてリンに何も教えていないと気づいた。
精霊術学校では最初の方で習う、基礎知識である。
「術師の体調不良についてなのに、他の学校の生徒も受講できるんですか」
「ああ、加護を持つ生徒がいるだろう? 家族や友人に精霊術師がいることもある。対処法や使う薬草を周囲も知っていた方がいいのだ」
「そんなに術師の不調は起こるんですか?」
「それなりに、な。ひどくなると意識を失うこともある」
そういうとライアンは紙を取り出して、ペンをとった。
紙に十文字を描くと、十文字の上に『水』、下に『火』、右に『風』、左に『土』と書きこんだ。
「これは図で見たほうが、わかりやすい。水の反対に、火。風の反対に。土」
「ええ」
「加護の力はバランスが取れているのが一番で、問題があるとしたら、「不足」か、「過剰」になる。私の体調不良を覚えているか?」
「もちろん」
「あの時は『聞き耳』を使いすぎて、風の、シルフの力が身体に飽和して「過剰」に傾いた」
そこがあの時、よくわからなかったところだ。
「あ、それ。なんで力を使ったのに「不足」じゃなくて、「過剰」になるのかが、わからなかったです」
「精霊術には、力を放出するものと、引き入れるものがある。『聞き耳』は、力を身体に引き入れることで聞く術だ。逆に『シルフ払い』や『風の壁』は放出だ。じゃあ、『飛伝』はどちらだと思う?」
首を捻った。
リンは『飛伝』を何回か使ったが、身体の中で力が傾いたことなど、なかったように思う。
「えーと、出し入れの考え方でいくと、送信が放出で、受信が引き入れ?」
「そうだ。リンは苦労せず『飛伝』を使うから感じないだろうが、遠距離でシルフを飛ばすのは、無理な者が多い。限界を超えると不調となりやすい」
「症状はどんなものになるんですか?」
「軽いものでは、疲労、めまい、頭痛、吐き気、寒気に発熱、といったところか」
「普通の病気みたいですね」
「ああ。でも病気ではないから病気の薬は効かぬ。あと、症状はどの加護を持ち、なんの術を使ったかによって違う」
それからの説明に、リンは、むむっと唸った。
火は熱く、水は冷たく、風は軽く、土は重く、まではイメージとしてわかった。
その後にライアンは、十文字を時計回りに、水、風、火、土と並んでいるうち、右上の水と風の間に、指をトンと置いた。
「水と風で『冷やし、柔らかくなる』作用がある」
「……」
指を時計周りに動かしていく。
「風と火で『軽く、乾燥する』、火と土で『熱く、硬くなる』、土と水で『湿り、重くなる』。……向かい合わせで、反対の性質が来ているのがわかるか?」
「そうですね。物を想像すれば、イメージできるような気がします」
土を焼くとレンガみたいに硬くなるし、暖かい空気は乾燥して軽く、上に昇る。
「では次だ。例えば、風の力を放出しすぎて『不足』の時は、薬草や食品で、風を補える物を摂取する」
リンはとりあえず頷いた。
どんな薬草が風にあたるのかはわからないが、不足を補うのはわかる。ビタミンやミネラル剤みたいなものだ。
「難しいのは『過剰』だ。力を放出する余力のある時は、放出できる術を使えばいい。ただ、体力がなかったり、すでに力を使いすぎていたり、時には、本人に意識のない場合もある。下手をするとそれで意識を失って悪化することもある」
「この間、ライアンはそれだったんですよね?」
「ああ。風の力を引き込み、『過剰』で、力は使い過ぎていた。身体もゆらゆらと不安定で、なんというか、空気を一杯に詰め込まれた風船のようだった。頭が痛く、あと、身体は冷えていたな」
そういえば、とライアンの手が、氷のように冷たくなっていたのを思い出す。
ライアンはそこで、風の対角線上にある、土を指し示した。
「一方が『過剰』で、しかも放出できない時は、反対の力を取り込めば、一時的にバランスはとれる。症状は少し緩和されるだろう。あとはバランスと体力を見ながら、休んだり、放出したりして整える。なるべく早く、適切に整えないと、体力はどんどん落ちていく」
「なるほど……。あの時ジンジャーのスープを食べていましたね。あれが土?」
「ああ、プーアル茶も効いていたように思う」
「他に土の性質のものは、何がありますか?」
リンが尋ねると、ライアンは工房に入り、いくつかの箱を持ってでてきた。
「土の中でできる作物は、基本、土に属する。地方によって、取れやすいものが違うが、例えばグノーム・コラジェの根は効果が強い。あと紫の芋と、黒のかぶが、手に入りやすく特に有名だな」
グノーム・コラジェの根は前に見たことがあった。
芋とかぶは、ここにないけれど、手に入るなら一度食べさせてもらおうと思う。
「風だと、春の飛種花と、秋のコロコロ草が手に入りやすい」
飛種花はタンポポの綿毛に近い形だ。コロコロ草は手の平に載るぐらいのボール状で、乾燥して黄緑色の毛糸玉のような植物だ。
「これの採集は風のない時にしないと大変だぞ。風に乗って、野をどこまでも転がっていく。ハンター見習いの子供達の、秋の小遣い稼ぎだ。……オグは確かコロコロ草を定期的に摂取しているはずだ」
「え! 不調なんですか?」
「不調にならないように補っている。オグは三つ加護で、力も強い。風が欠ける分、その調和が崩れやすい」
「そういう事もあるんですね」
話を聞いていると、バランスが重視されていることがわかる。
力の弱い術師はすぐに力の使い過ぎで一時的な不調に陥りやすく、逆に力が強いと平時のバランスが崩れやすい。
「ええと、次、火に属する食物は?」
「スパイス類はよく効く。それこそ『サラマンダーの怒り』の効果は強い。この国で手に入りやすいのは、例えばこれだ。炎茸」
コロリとしたそれは、傘の部分が網目状で、血のように真っ赤なきのこである。
普通に生えていたら、まず食べないだろう。リンは指でつついた。
「これ、毒きのこじゃないんですか……?」
「毒はないが、痛く感じるほどに辛い。私は欠片を試してみただけだが」
リンは炎茸とメモをして、その横に要注意と書き足した。できれば食べたくないものである。
「あの、火の力が強い術師が、スパイスを料理に使ったらまずいですか?えーと、そういうことに注意して、レシピを書かないとダメでしょうか」
「すでに何らかの不調のある時以外、普通に摂取する分には問題ない。ひどい不足時は、『サラマンダーの怒り』を、丸ごと口に詰め込まれる」
恐ろしい。サラマンダーじゃなくても口から火を噴きそうだ。
「最後は水の効果ですね」
「水の中で採取できる植物に多い。クレソンに、海の近くではシーアスパラが有名だ。良く効くのが『水のサラマンダー』」
名前からして不穏である。
「……どんなのです?」
箱から出されたものは、乾燥した、ワサビのような形の太い根だ。色は白い。
「清き水に生える植物の根だ。これも辛くて、飛び上がるほどだ。それも『サラマンダーの怒り』の、火のでるような辛さと違って、鼻にツンときて、涙が出る」
「名前どおりですね。サラマンダー級」
「あと、水草で『水の鳥』というのがある。水が冷たくなると、ピンクや白の蕾をつけて、その蕾に効果がある。極まれに、銀色をした『水の銀鳥花』が見つかるが、水の効果では銀鳥花が一番だ。これをよく噛みしめるといいのだが、ほとんど見つからない」
そういうとライアンは工房へ入り、小さな陶器の小瓶を持ってきた。
「この中に『水の銀鳥花』が入っている。光に弱いので見せられないが、蕾が鳥の形だ。水の中で蕾のうちに採取して、そのまま水中で保管する。昔、聖域の湧き水で見つけたものだ」
「聖域だけの花ですか?」
「いや、清流ならよくある水草だ。ただ、早ければ一晩たたずに、蕾から花が咲いてしまう。水温が下がった時に注意していても、タイミングよく銀の蕾を見つけるのは難しい」
「これは、食べると辛かったり痛かったりします?」
「いや、そういう記録はないな。これは私も試したことはないのだが」
リストを眺めると、火の術師はかわいそうに思う。
「火の術師の場合、不足でも過剰でも、辛いものが多いですね」
「ああ。それにサラマンダーのコントロールは難しい。不足も過剰も、力が大きく動く。術師の中で、一番バランスを崩しやすいのも火の術師だろう。……術師のほとんどが、子供の頃にこれらの味を経験しているんではないか? 食べる前から涙目になる者もいるぞ。危険な時は、皆で身体を押さえてでも口に押し込むが」
それを聞いて、なるべく辛くないものを見つけておこうと思ったリンだった。
以前、感想欄でご指摘いただいた、わかりにくい点を少し修正をいれてみました。少しでも良くなっているといいのですが。ありがとうございました。





