Ryan's Birthday / ライアンの誕生日
長いです。
離宮に戻ったライアンとリンを迎えたのは、後ろ姿を向け、伏せたままのシロだった。
「シロ、置いて行ってごめんね?」
離宮のまわりを炎のシロが一周したのだが、飛びついても届かず、置いてけぼりにされた自分の代わりにリンが炎のシロを作ったので拗ねているのだ。
「ええと、でもね、炎のシロを作ったのは、シロが大好きだからだよ?」
そっと背中を撫でながら言うと、しっぽが一回パタリと振れる。
もう少しだ。
ツンとしていても、結局撫でられるのを待っているのだから、かわいいものである。
「ライアン、リン。こんな入り口で、どうしたのだ」
花火が終わるのと一緒に舞踏会も閉会となったのだろうか。タブレットとラグナルが連れ立ってやってきた。
「こんばんは。……いえ、シロが拗ねているみたいで」
「そうか。よし、シロ、来い」
タブレットが呼ぶと、シロはさっと立ちあがって、リンを置いてけぼりにして後を付いていく。
憮然と見送るリンの表情にラグナルがクスっと笑い、それに苦笑いを返したリンは着替えに向かった。
今日の飲み会はちょっと特別で、秋の大市で披露するための試食を兼ねている。最も、晩夏である今と秋では食材も違うので、こういう形ではどうか、という大雑把な提案になる。
そしてライアンの誕生日という特別な日でもあって、プレゼントを用意したリンは結構緊張していた。
そう。今夜は飲み会で、試食会で、誕生日パーティーだ。
リンが料理人達とライアンの執務室に入ると、オグもすでに合流していた。
そこにあったベッドはすでに取り去られ、執務室は元の状態に戻っている。
ローテーブルを囲んでいつものメンバーが座っており、シロはちゃっかりタブレットの足元に座っていた。
ビールだろうか。すでに飲み物と、夏野菜のマリネと小魚のナンバンヅケ、定番のチーズの盛り合わせ、シー・ヘリソンの塩漬けといったつまみも並んでいる。
どうやらリン待ちだったようだ。
「よお、リン。お疲れさん。ハナビすごかったな」
オグが手を挙げる。ちょうど花火の話をしていたらしい。
「オグさん、こんばんは。ええと、皆さん、お待たせしましたか?」
持ってきた器を男性陣がそれぞれ受け取り、ローテーブルに置いていく。
リンはテーブルをさっと確認すると、ライアンの隣へと腰を下ろした。
「いや、全く。……リン、これが例の頼んだものか?」
いつもと違うスタイルに、皆が目の前の器を眺める。
「はい。ペトラムロ領で産出される石を器として使ってみました」
長方形の薄く灰黒い石の上に、少しずつ数種類のつまみが載っている。
いつもの飲み会だと大皿につまみをどさっと盛るのだが、大市では貴族のお客様向けに皿を分けた方がいいだろうかと準備したのだ。
「ペトラムロ。屋根石ですか?」
「ですです。こういう使い方もできますよ、という案ですね。大市で各地の名産品を使って料理を作るんですが、今夜はその一例を見ていただきたくて」
「器も面白いが、何が載っているのかわからないのが面白い」
「ほとんど食べたことがない物のようだな」
「お、ライアンもか?」
「新作が多いですね。……はい、こちらがメニュー。最初に冷製のものから」
リンはささっと手書きのメニューを渡した。
料理の名前と、その後ろに使われた食材の産地も小さく書かれている。
寝込んでしまったため、ライアンに披露する機会もなかった料理ばかりだ。
試作した中でも、今夜はラミントンとスパイスの国の食材を多く使ってあるものを選んでいる。
『'ラミントンロール' 二種
黒オリーブのタプナードと'デュカ’を挟んだチーズ
かぼちゃと干しブドウのサラダ
レンズ豆のムースとチップス
焼きナスマリネの生ハム巻き』
皆がつまみに目を走らせ、メニューと見比べる。
「兄上、『ラミントンロール』が気になりますね」
「『デュカ』はあのデュカか?」
ラグナルとオグは黄色の物体を指してうなずきあい、タブレットは何か思い当たったようだ。
「そうです。ロクムさんに聞いて。……じゃあ、食べながら説明しますね」
「とりあえず乾杯を。ビールでいいか?」
「白ワインも合うと思いますよ」
つまみに気を取られていたが、ライアンが全員に尋ねる。
グラスが皆に行き渡った。
「では、ドルーと精霊に」
「「「「ドルーと精霊に」」」」
「それから、ライアン。誕生日おめでとう」
「「「「おめでとう」」」」
ライアンが乾杯の音頭を取り、それにタブレットが続いた。
喉を湿らせて、ラグナルとオグがラミントンロールに食いついた。
「おお。ほんのり甘いですね」
「こっちはチーズに、胡椒が効いている?」
ラミントンロールは、ラミントンの食材を使った伊達巻だ。
「ラミントンでよく塩漬けで食べられている白身魚に、チーズに牛乳とラミントン産の食材を使った卵焼きです。海老入りが甘めで、なしが塩味です」
「確かに白ワインによく合う」
「私は甘いのも塩味も好みだな」
ライアンもタブレットも一緒にラミントンロールを口にしている。
リンは隣のチーズを指した。
丸形のチーズを横から水平に二ヵ所スライスし、三等分にされている。断面に黒っぽい何かが塗られ、チーズでサンドイッチをしたような形だ。
「このチーズは、上にブラックオリーブを使ったペースト、下に「デュカ」というスパイスミックスを挟んであります」
食品の流通と販売を荷うクナーファ商会はいつも大市に協力的だが、今回は特にそうだ。
リンは何回かライアンと打ち合わせに赴いたが、珍しい食材ばかりで宝箱のような天幕に興奮し、あれこれ開けてもらって「デュカ」を見つけた。
クミン、コリアンダー、フェンネル、セサミ、それから数種類のナッツがパウダー状になったスパイスミックスだ。バニラと同じに大陸では使い方が広まっておらず、売れにくいというので考えたのだ。
「これもワインに合うじゃねえか。赤がいいか?」
オグはライアンから赤ワインのボトルを受け取ると、白のグラスを残したまま、新しく出したグラスに注いでいる。
「この上にあるのは、みんなワインに合うと思いますよ。ですけど、今日は飲むより、皆さん試食とご意見をどうかひとつ……」
「意見? 意見なあ。この料理はどれもワイン泥棒だぞ。つまみとして正しい。……ライアン、これ、好みの味だろ」
オグは軽く言いながら、ワインをクイクイと飲んでいる。
「ああ。スパイスもオリーブも、風味が複雑で面白い。ガルシュカーチもそうだが、チーズは組み合わせでいろいろ変わるのだな」
「ライアンはこういうの好きだろうなって思ったんですよ」
「デュカはパンと食べることが多いが、これはまた変わっていていい」
タブレットの反応もいい。原産国の人に気に入られるなら、まず一安心だ。
「目指したのはそこで、領内、国内の産物にこだわらず、いつもと違う使い方や組み合わせができたらなって」
リンはそのとおり、とうなずいた。
「これはコクがあるな」
ライアンはすでに、かぼちゃと干しブドウのサラダに手を出していた。
「あ、それもクリームチーズが入ってますよ。秋になるとカボチャが甘くなって、もっとおいしくなるはず」
ほんのりとシナモンも香らせてあり、お気に入りのサラダの一つだ。大市ではりんごやクルミも刻んでいれようと考えていた。
「ええと、次に温かいおつまみなんですけど、実はその前にもう一つ出したい冷たいのがあって……」
リンは突然歯切れが悪くなった。
「どうした」
「うーん、作ったんですけど、好きな人は少ないかも……。それで一緒に出すのを止めたんですよね」
「ずいぶんともったいぶるじゃねえか。出せ出せ」
リンは料理人に、インク・フィッシュの塩辛を持ってきてくれるように頼んだ。
同時に温かいつまみの用意も始めてもらう。
「インク・フィッシュの塩漬けというか、塩辛というものなんですけど」
小さな皿にほんの少しだけ塩辛が載っているのは、リンの自信のなさの表れかもしれない。
少しでも食べやすいように、と、上にレモンピールを載せ、絞ってもいいようにレモンを添えてある。
皮もむいたし、ワタから水分も出したし、サラマンダーの怒りも加えてちょっとピリ辛にしてあるし、生臭さは少ないはずだけれど。
男性陣がじーっと、ぬめりと光っている赤味のある物体、塩辛を見つめた。
「シオカラ」
「こりゃまた、その、なんだ。シー・ヘリソン以上に、こう……。なあ、雨上がりの森にこんなのいねえか?」
ワインを口にしていたラグナルがむせた。
「ぐふっ。兄上、それはちょっと」
「あれは塩をかけたら縮むであろう?」
リンにも何のことを言っているのかわかった気がする。
ラグナルが首をひねった。
「ラミントンに住んでいながらインク・フィッシュをあまり食べたことないかもしれません。……こんな感じ、でしたっけ?」
「言いたいことはわかります。チャレンジングな見た目ですよね。ええと、濃厚なチーズが好きだったら、大丈夫、かも? たぶん?」
思いついた勢いで塩辛を作ってみたが、リンの不安が語尾に揺れる。
これを誕生日プレゼントにしなかったあの時の自分は本当にえらかった、と自分を褒めたい。
「見ていても何もはじまらんな」
「ああ、食べてみないとわからないだろう」
「よし。まず俺がいくぞ」
互いに目くばせをしあい、料理を食べるのに普通は必要のない勢いをつけて、オグが手を伸ばした。
「あ、ちょっと待ってください。これ、ワインが合うかわかりません。ビールか、蒸留酒か、うーん、何がいいんだろう」
ビールは小樽が来ているし、ライアンが立ち上がり、キャビネットから蒸留酒の瓶を取り出した。
なぜ執務室にそれがあるのかいつも不思議だが、今夜のために入れておいたと思いたい。
「ライアン、蒸留酒にこれを使ってください」
リンはライアンに木箱を差し出した。
「ええと、お誕生日プレゼントの第一弾です」
ペコリと頭を下げる。
「第一弾?……ありがとう、リン」
ライアンは蒸留酒の瓶をオグに渡し、木箱を受け取った。
中には切子細工のグラスが四つ入っている。
ライアンは木箱を開けて一つを取り出し、包んである布を取り去ると、はっと息を呑んだ。
「これは美しい」
タブレットもラグナルも乗り出してみる。
四つとも取り出し、それぞれに手渡した。
この場にいる精霊が、それぞれの色のグラスにフラフラと寄っていく。指にぶら下がったり、グラスに入る精霊をひっぱり出すライアンとオグは忙しい。
「ほお。二色になっているのか?」
「切子という新しい技法です。色の違う二枚を合わせて、表面を削って模様を描いてあるんです」
精霊石を使ったからか、リンの知る切子より淡い色をしていた。
グラス上部に濃色を多く残し、色の境目は風に舞う雪のように湾曲を描いている。その境目を中心にして、大小さまざまな雪の結晶と星形が散りばめられている。
ブリンツとボーロは、短い時間にどれだけ話し合ったのだろう。普通は透明なガラス部分にも薄っすらと白い色がのっている。ランプに向けて透かしてみれば、色地にも白地にも結晶がくっきりと浮かび上がり、冬景色を作る。
グラスの底にはライアンの木の模様がベニエによって施され、リンのアドバイスで隅に小さく、ボーロ&ベニエ工房のサインとボスク工房の印章が刻まれていた。
「本当に見事だ。ボーロとベニエの工房か」
「ええ。ブリンツさんが切子を担当しているんですよ」
「これは私も欲しいな」
「ええ、私もです」
これは注文が殺到するだろうとライアンが考えていると、案の定、タブレットとラグナルが二人ともうなずいている。
「陛下と父上にも献上せねば。ブリンツとボーロに注文がてら、礼を言いに行こう」
話をしている横で、オグは皆のグラスに氷を落とすと蒸留酒を少し注ぎ、ラグナルのために果汁も頼んでいる。
「では、あらためて。塩辛です。どうぞ」
今度はライアンが最初に手を伸ばした。
添えられた小さなスプーンに一切れとって、パクリと口に入れる。
「お、塩気があるな」
そう言って蒸留酒を一口。
「不思議な歯ごたえだが、味は悪くないぞ。ピリリと辛くて、それでいてほんのり甘い。確かに濃厚だな」
「へえ。じゃあ、俺も」
「あ、レモンをかけると、少し爽やかになりますよ」
「じゃあ、私はそれで」
皆で口にいれて噛みしめ、蒸留酒をあおる。
「いいな」
「ああ、悪くない」
「この塩辛を蒸した芋にバターと一緒に載せてもおいしいんですよ。あと塩辛にせず一夜干しにしたインク・フィッシュを軽く炙って、そのままでもピリ辛のマヨネーズを付けてもいいですね。芳ばしく甘い香りが鼻に抜けて、甘味と旨味が口の中で一気に広がるんですよ。こう、焼いている時からたまらなくて……」
リンは、たまらないと言うように、ペチペチと自分の腿を叩いた。
ああ、米が欲しい。
ご飯に日本酒があればなあ、と思いながらリンが言うと、男性陣がゴクリと唾を飲み込んだ。
「……大市で食べられますか?」
「見た目と広がる香りからいって、貴族側の天幕じゃなくて、街側でなんかどうでしょう。秋にインク・フィッシュが獲れる領地があるといいんですけど」
リンはラグナルに視線を流し、ニヤリと笑った。
「『凍り石』を使えば、スパイスの国まで持って帰れますよ」
今度はラグナルとタブレットが、揃ってとてもいい笑顔をした。
食べたいものを思い浮かべていたら、なんかズルズルと。
誕生日だけですごく長くなってしまった・・・。次話、早めに上げます。





