休憩:使用人達の見守り隊
その情報はシルフより素早く離宮を飛び回った。
「イリーナ」
離宮の執事ドノヴァンの声に、手にしていた針と布を置き、呼ばれたメイドは慌てて立ち上がった。
イリーナがここで勤め始めて二年。使用人の中では若い方なのだが、だからこそ、リンが緊張しないだろう、と、リンの部屋付きとなっている。
フロランタンの来訪の間、イリーナはリンの側から使用人の控室へ下がったのだが、どうやら終わったようだ。
「お疲れだと思われる。午後からは、特にお身体の具合に気をつけてくれ」
「かしこまりました」
ライアン様がお側にいるので、万が一もないでしょう、と、思いながら、イリーナはまず厨房へ足を向けた。今日の冷菓は何ができるかを聞きにいくのだ。
定番のバニラに、レモン、ヴァルスミア・ベリーなどのアイスクリームはいつでも用意がされている。
「桃のムースに、ぶどうのチーズタルトか」
嬉しそうに一口食べて目を輝かせるリンを思い浮かべ、イリーナは自分もニコニコしながらライアンの執務室へと向かった。
執務室のドアは少しだけ開いている。
中にライアン様がいるのだろう、と、思いながら、入室前に姿勢を正した。
『婚約した事実はなかったが、本当はこの話があることも、リンには知られたくなかった』
婚約ぅ!? とうとう?! えっ、でも、どういうこと?!
中から聞こえてきた言葉に、ノックしようと挙げていた手を止めた。
盗み聞きははしたなく、ハッとしたが、聞こえてしまった言葉はしょうがない。
出直そうとした途端に、続きが聞こえた。
『……リン、私は君を特別に、いや、愛しく思っている』
「っ!」
息を呑んだ。
慌てて両手で口を押さえ、今度こそ上がりそうになった悲鳴を押し殺す。息も止めた。
ニヨリとしてくる口元も、同時に隠せているだろうか。
続く言葉を聞かないふりをしてしっかりと耳に入れ、そっと、でも大慌てでその場を離れた。
わあ、大変。大変! 聞いちゃった! どうしたらいいんだろう。報告すべきなんだろうか。
アマンド様? シュトレン様? いや、やっぱり一番上の上! 領地の執事殿!
慌てていても誰が一番頼りになるかわかっているイリーナは、離宮の空気をキリリと引き締めるセバスチャンの元へと急いだ。
執事室にはちょうどセバスチャンとドノヴァンが揃っていた。
セバスチャンの手にある書類を、脇に立つドノヴァンが説明しているようだ。
「どうしたのですか、イリーナ。リン様に何か……」
先ほど顔を合わせたばかりのイリーナに、ドノヴァンが声をかけた。
「いえ、何も。あ、いえ、あったといえばあったのですけれど……」
二人の執事が同時に眉をひそめた。
「イリーナ。報告はわかりやすくなさい」
セバスチャンに言われて、イリーナの背筋がピンと伸びた。
「は、はい! あの、ライアン様がリン様に、お、お気持ちを、お伝えになられましたっ!」
ガタリ、と、セバスチャンが立ち上がった。
「それは真実ですか?」
「は、はい」
「それで、リン様のご返事は」
「さ、さすがにそこまでは聞くのもまずいかと立ち去りましたので」
「ふむ。……女官長を。それからお二人の周囲の者を集めましょう」
ドノヴァンとイリーナは素早く部屋を出て行った。
いつライアンとリンの婚約発表の宴があってもいいように、と、万全の準備を整えて領主一族の到着を待っていた離宮の使用人だったのだが、実はまだお気持ちも通じ合われていない、と伝えられ、あんぐりと口を開けた。
以来、もどかしくも微笑ましい気持ちでここまで見守って来たのだ。
「ライアン様がシルフの壁も建てられなかったとは……」
セバスチャンの口がふっと笑みの形をつくった。
手の空いた者が集まったのは、それからすぐだった。
話を聞くと、目を丸くした者、顔を輝かせる者、嬉しさを噛みしめ下を向く者と、さまざまだった。
ブルダルーとシュトレンだろうか、鼻をすする音も聞こえてくるが、皆が気づかないふりをしている。見ているセバスチャンの目も熱くなったが、呼吸を深くしてぐっとこらえた。
「これからどのようにしたらいいでしょう」
イリーナは一緒にやってきた同僚達と目を合わせながら、口元を緩めては引き締め、そしてまた緩め、と、まだ興奮を隠しきれないでいる。三人とも離宮のリンの部屋を整える者達だ。
「何も変わりません。これまで通りに振る舞うのがいいでしょう」
「でも、なるべくお二人の時間を邪魔したくはございませんわ」
「イリーナ、普段通り、いえ、これまで以上に落ち着いて行動なさい」
ドノヴァンもだが、女官長もイリーナをよく知っているからか、なおさら気を引き締めるようにと伝える。
「そうでございますね。リン様は特別な扱いをされると、ことさら恥ずかしがられると思われますから……」
アマンドも念を押す。
「まだどこにもお伝えしなくて、よろしいのでしょうか……」
婚約発表の宴があるかも、と、本館の使用人とやりとりしていた一人が尋ねる。
「まだ我々に正式に伝達があったわけではないのです。本館に伝えるのは早いでしょう。それに、まず知るべきは公爵様ご夫妻ですから……」
全員が束の間考えた
「……すぐに大騒ぎになりそうですわね」
「お知らせは、えー、なるべく後のほうがいいのかも……?」
「ええ。そこは、ライアン様が程よき時にお伝えになられるでしょうから、我々は決して気取られず、そう、今まで通りに」
そっと見守りましょう。
セバスチャンの口から出なかった最後の言葉が聞こえた気がして、全員がうなずいた。
なんか思いついてしまったので……。
暑さに負けませんように、ご自愛ください。





