Surprise 2 / 驚き 2
執務室から出て行くフロランタンを見送って、ライアンはリンの側に戻ると椅子に腰かけた。
「リン、本当にクレマの処分に対して思う所はないのか?」
「ん~。言ってやりたいことは、もちろんありますよ。もう山のように!」
リンはボスンとベッドを叩いた。
側にいた精霊達がポンっと弾み、グノームは後ろにコロンと倒れる。
「あの火事もひどかったですし、その後はもう痛いし、熱いし、息が苦しかったですし。でも、処分とか怖くて考えられないですよ。それに私、精霊の暴走とか、その結果の火災とか、それがどのぐらいの罪で、どれだけの罰を与えるのが適当か、なんてわからないですもん」
人の一生を左右するんですよ、そこまでの重い責任は持てないです、と、リンは肩をすくめた。
「そうだな」
「……ライアンだったら、どうしました?」
ライアンは術師としてのクレマをどうすべきかについては、フロランタンから意見を求められた。だが、それ以外は政治的な配慮も必要であるし、賢者としてのライアンが口を挟むとそれが通ってしまいやすい。国王が決定する配下の処分に対して、口を挟むつもりはなかった。
たとえクレマに対して、思う所が多々あったとしても。
「処分に対して私が口を挟むことはできないから、ここだけの話だ。クレマの加護石の剥奪は必要だと思う。領に対しては森の再生と回復を担わせる。リンに対しての不敬は……」
ライアンは少しためらってから言った。
「リン、クレマに何を言われたのか聞いてもいいだろうか。フロランタンからは教えてもらっていないのだ」
リンは思い出したのか、眉を寄せ、側にあった枕を抱えこんだ。
「春の大市で言われたのと同じようなことです。見下して、身の程をわきまえろとかなんとか。う~、むかつくぅ」
ガシガシと枕を畳むように押さえこむ。
「落ち着け」
「だって!ひどいんですもん!」
リンはむうっと口をとがらせてライアンを見た。
「あ」
リンはくしゃりと曲がった枕を置くと、元に戻すように撫で始めた。
「なんだ」
「えーと、その……。あのですねえ」
上目遣いにチラチラとライアンを見る。
「……婚約したってホントですか?」
「婚約?誰が」
「ライアンが」
「は!?」
ライアンは目と口を開いたまま、ピタリと固まった。
身体はピクリともしないが、頭の中はぐるぐると動いている。
一体何のことだ?
リンとの婚約が進んだのか?
イヤイヤイヤ、まだプロポーズもしてないのに?!
いきなりなんでそんな話になった?
「ライアン……?」
リンの声にライアンは再起動した。
「あ~、リン。私が誰と婚約したと?」
「……皇女殿下と言っていましたから、カタラーナ様、と?」
この反応は違うのかなと思いながら、リンは首を傾げる。
「まさか、クレマがそう言ったのか!」
ライアンは立ち上がった。
「はいぃっ! 同じ黒髪でも、愛妾の私とはずいぶん違うとかナントカ……」
正確には思い出せずに、リンはゴニョゴニョと末尾を濁す。
ライアンはクレマの処分を、今すぐ決めてやりたい気持ちになった。
リンが賢者見習いとなったことも知らなかったくせに、なぜ余計な噂話だけは仕入れているのか。そして不確かなことを、よりによってリンの耳に入れるとは。
シルフでさえ風に流して、届かぬように消してしまったものを!
ふっと息を吐くと、ライアンは座りなおした。
「リン。他人から間違ったことが伝わってほしくない。聞いてくれるか」
リンはこくりとうなずいた。
「カタラーナ姫との婚約話がこの国に持ち掛けられたのは事実だ。だが婚約の事実はない」
「そうなんですか?」
「ああ。マチェドニアはシュージュリーに対抗するために、この国の庇護下に入ることを求めてきた。その分かりやすい方法が婚約という形だった」
「政略結婚……」
「そうだ。ウィスタントン家でまだ婚姻を結んでいないのは私とフロランタン。私は婚約者もいないから、相手として名が挙がっていた」
リンはベッドに目を落とした。
歴史の中で、国と国、家族と家族の繋がりを求めた政略結婚はよくあった話だ。特にこの世界の貴族階級では、それが多くあるのもうなずける。
その考え方に馴染めず、リンには受け入れ難かったが。
「マチェドニアの情勢を考えると、わかるような気がしますけど。でも……」
「ああ。だが話は断った」
「え、そうなんですか?」
リンは顔を上げた。
「王家、皇家の繋がりではなく、別の形でマチェドニアを支援する」
「あ、この間の会議……」
「そうだ」
「わかりました!私も頑張ります。マチェドニアの商品が売れるように考えますし、『神々しい石』を十個でも二十個でもつくりますよ!」
片手でこぶしを握って、リンは宣言した。
「待て。落ち着け。そんなにもらっては相手も困る。だが、これでカタラーナ姫も国のために望まぬ婚姻を結ぶ必要がなくなる」
「そうだったんですね。一体いつの間にライアンは婚約したんだろうって思いましたから……」
ライアンはへへへ、と笑うリンの手を取り両手で包み込んだ。
びっくりしたリンは視線をその手からライアンの顔に動かし、じっと見つめる青い瞳から逸らすことができなくなった。
「リン。リンが倒れて、私は後悔ばかりだった。どうしてリンを一人にしてしまったのか、なぜ、もっと早く力の使い方を教えてやらなかったのか。……自分が守ってやりたかったと、そればかりだった」
「ライアン……」
「婚約した事実はなかったが、本当はこの話があることも、リンには知られたくなかった」
真っすぐに視線を向けるライアンのきれいな瞳に、うろたえてしまう。
何か言いたいのに、何を言っていいのかもわからなかった。
「ヴァルスミアに戻り、落ち着いてから言おうと思っていた。……リン、私は君を特別に、いや」
ライアンはふっと幸せそうな笑みをこぼした。
「愛しく思っている」
取られた手からじんわりと温かさが伝わってくる。
「私が触れることができる者も、私が触れたいと思う者も……」
ライアンはリンの手の甲を指でそっと撫でると、ギュッと握った。
「リンだけだ」
「あ、あのですね……」
ライアンの手にはリンの微かな震えが伝わってくる。
頬も先ほどより赤みが差しているだろうか。
「リン、ゆっくりと考えてくれて構わない。……今はただ、知って欲しかっただけだ」
ライアンはリンの手を離すと、立ち上がった。
「ライアンっ! あの、嬉しかったです。いつも側にいてくれたことも。それから、あの、気持ちも。……ライアンが婚約したらこんな風に話ができなくなるのかな、とか、それは淋しいな、とか、やっぱり思ったりしたから」
言っている間に気恥ずかしくなって、リンはうつむいた。
キラキラと目を輝かせ、じーっとリンを見上げている精霊達に気づいて、リンの顔にさあっと血が上る。耳の先まで赤く染まっているのがライアンから見えた。
その顔にすっと影が差したかと思うと、頭が引き寄せられた。
「他の者との婚約など、ありえない」
そうささやいたライアンの唇が、リンの色づいた頬と唇との境にそっと触れて離れていく。
「ゆっくり休むように」
優しく頬を撫でて、ライアンは出ていった。
ライアンの背中をぼーっと見送ると、リンは枕を抱えてベッドに突っ伏した。
ささやかれた耳が熱くて押さえる。
どうしよう。どうしよう。い、い、い、愛しくってなに~!
え、あれ、ホントにライアン?! なにあの甘い声!? なにあれ~!
きゃあっと叫びそうな声を押し殺しながら、足をバタつかせ、ベッドを転がるリンの顔はこれ以上ないほどに赤い。
精霊達は潰されないように、とっくに天蓋の上まで避難している。
入ってきたメイドに真っ赤に熟してぐずぐずな顔を見られ、熱がぶり返したと大いに心配されるまであと少し。
ぐわあ。ジャンル恋愛、ムリムリムリ。(笑)
熱くてぼーっとします。
皆さまもどうかご自愛くださいませ。





