A surprising guest / 驚きの訪問客
日はすでに落ちたが、まだ薄明かりが残っている。
ライアンは冷たい水に沈んだリンを首元で支えながら、その顔色を確かめた。
少し呼吸が落ち着いただろうか。
リンの身体を『凍り石』で包んでも、うまくあたらないのか、しばらくすると息が荒くなり苦し気に顔を歪める。外の水場を冷やしそこに浸けてやると、気持ちいいのかほうっと息を吐く。
リンを抱え、ライアンは夕方から何度も水場を往復していた。
離宮に戻り数刻が過ぎ、リンは水の加護薬を少し飲み込めるようになった。
刺激の少ない『水の鳥花』を水薬にして白布に染み込ませ、口に押し当てて少しずつ含ませれば、なんとか喉に落ちていく。リンの体内で暴れる熱量を考えると頼りない量ではあるが、身体を冷やすことと薬を取らせること以外、今はできることがなかった。
濡れた衣装をさっと着替え、ライアンが公爵の執務室に入ると、公爵だけではなく陛下とフロランタンも揃っていた。
フロランタンが火災の後始末をして、やっと報告に戻ったという。ぐったりとした様子で応接の椅子にもたれていた。
先ほどまでは公爵夫人も同席していたが、同じく疲れて戻ったシュゼットを労り退室したらしい。
「シュトレンからリンの様子は聞いておるが、変わらぬか?」
「はい。父上。まだ意識が戻っておりませんので」
「そうか……。ライアン、フロランタン、疲れたであろう。二人ともここで構わぬ。今のうちに食べるが良い」
目の前に置かれた肉団子のスープ皿から、ジンジャーの香りがする。
一口飲むと、喉から胃がじんわりと温かくなった。どれだけ身体が冷えていたのかがわかるようだ。
フロランタンも嬉しそうに背を起こすと、スプーンを持った。
「これは温まるな」
「ほっとします」
「真冬に氷水に浸かるようなものであろうからな。フロランタンも、ご苦労であった」
陛下の言葉に二人で軽く頭を下げた。
「食べながらでよい。で、話の続きだが、フロランタン、焼失した森の様子はわかった。だが、なぜサラマンダーが暴走したのかが不明なのだな?」
フロランタンは口の中のパンを飲み込んだ。
「シルフによってリンとの話は再現できましたが、あの場にいたパネトーネのクレマがサラマンダーに指示を出した様子はなかったのです」
「パネトーネの娘のサラマンダーが暴走したのは確かなのだな?」
「はい。フログナルドを呼び確認しましたが、クレマがリンに詰め寄り手を伸ばし、それをはねのけられたように見えた、と。その後すぐ暴走が始まったらしいのですが、シルフに再現させても小さな悲鳴が聞こえたぐらいで……」
フロランタンがスープを口にいれる間に、ライアンが聞く。
「クレマ本人に事情の確認は?」
「それが、放心状態であったことと、リンほどではないのですが力の使い過ぎで倒れるように座り込んでおりましたので、まだ確認が取れていないのです。侍女には精霊は見えず、わからないと泣くばかり。パネトーネ侯爵を呼び出しクレマの身柄を預け、城の一室にて警護と術師を付けて回復を待っています」
警護という名の見張りなのだろう。
フロランタンは確かに様々な手配をして戻ってきたようだ。
「クレマとリンの回復を待って話を聞くしかなさそうだな。……で、リンとあの場で何を話していたのかは聞けたのか?」
ライアンの問いに、フロランタンは嫌悪と怒りを顔に表した。
身勝手な憶測と偏見で、見当違いな言葉ばかりを並べていたクレマ。
天幕に燃え移らなかったのが幸運だったと思えるほどの火災を引き起こした暴走もだが、あの不敬な態度とどちらにより怒りを感じているのか、フロランタン自身にもわからないほどだ。
「正直、ライアンには聞かせたくないのですよ。それほどひどかった。……ああ、恐らくですが、クレマはリンが賢者見習いであることを知らなかったと思います」
「なんだと?」
「ありえぬであろう?」
「……あれだけ人もシルフも触れ回ったというのに、知らないと言うのか」
「社交にも出ていなかったようですし、恐らく。ただ、リンが賢者であろうとなかろうと、あれは……」
フロランタンは眉をひそめた。
「フロランタン、話してくれ」
「ですが……」
「自分でシルフに聞いても構わぬのだぞ」
ライアンがフロランタンに詰め寄っていた、その時、突然に空気が変わった。
窓から見える王宮の森に視線が引き寄せられる。
シルフの風のようには見えないのに、森の、離宮の、王宮の、もっと言うならば王都の空気に、大いなる意思が広がっていくように見える。
「この気配はまさか……?」
フロランタンが呆然と言うと、ライアンも息をついて肯定した。
「そのまさか、だな」
陛下も公爵も感じたらしく、皆が慌てて立ち上がった。
ライアンを先頭に執務室を出て、気配を追って脇の通路から庭園に向かう。その場にいた警護の者や使用人達も困惑したように辺りを見回し、後に続いた。
濃い緑のローブを羽織った輪郭が森の奥から近づいてくる。
その周囲に、この地の精霊が集まり飛び交うのがライアンには見えた。
「ドルー」
「お、おお。ドルー様」
「ドルー様だぞ」
皆が次々に礼を取る。一瞬立ちつくした者も、手を引っ張られて慌てて膝を突いた。
「ここに家を造ると言っておったが。……そうか。立派な城を建てたのじゃのう」
ドルーが辺りを見回して、のんびりと言う。
間違いなく、ここに森以外何もなかった建国当時の様子と比べているに違いない。
「……おかげ様にて。一枝を賜り、この地にドルーと精霊のご加護をいただきましたこと、深く御礼申し上げます」
ドルーの様子に、さて、この城はいつからあっただろうか、と考えていた陛下がより深く腰を折り、永代の加護に礼を言った。
「この地に今もよく根付いておるの。……おかげで我もこちらに来られたんじゃが」
ライアンが立ち上がった。
「オーリアンよ。リンに何かあったであろう。我の与えた加護の枝が傷ついたことがわかっての」
「ええ。……こちらです」
ドルーを連れて、灯りを絞った静かな部屋に入る。
ベッドに横たわるリンは、苦しいのか口を少し開け、大きく息をしていた。
側に立ち、そっと顔を覗き込む。
「森の火災を消そうとして、火のお力を取り込みすぎたのです」
「辛そうじゃのう。……これじゃな」
ドルーはベッドサイドの小テーブルに置いてあった、壊れた扇子を取り上げた。
オークでできた親骨は縦に裂け目が入ったように割れており、飾りに使った精霊石も欠けて失われたり、ひび割れている。
「我の枝と精霊石が少しは力を受けられたようじゃな。よくリンを護った」
ドルーは満足げにテーブルに扇子を戻すと、リンの額に手をあてた。
そっと手を離したのを見てみれば、リンの息遣いが穏やかに感じる。
「我に火の力を抜くことはできぬが、少し楽に休めるじゃろうかのう。……オーリアンよ、リンを頼むぞ」





