Ryan's Office / ライアンの執務室
ライアンは急いでいた。
極寒の風が船を押し、水の流れも速く整えられ、船は滑るように進んでいく。
「シムネル、『凍り石』以外に、部屋を『涼風石』で冷やすよう手配してくれ」
熱に浮かされほとんど意識のないリンを布と『凍り石』でくるみ、船はこれ以上なく速やかに王都へと戻った。
「ライアン様」
ミノムシ状態のリンを抱え、離宮の船着き場に到着すれば、シュトレンが数名の使用人と待機していた。
「アルドラ様のご指示で、執務室をリン様がお休みになれるように整えてございます。このまま直接お入りください」
「執務室?」
「はい。工房に近く、水場に直接出られるのが望ましいだろうとのことで」
「わかった」
執務室は改装がされたばかりで、休憩用の長椅子などが置かれていたのだったが、その場所にベッドが入っていた。衝立なども運び込まれ、使用人の出入りが慌ただしい。
ベッド脇の椅子に腰掛け待っていたアルドラが進みでて、リンの顔を覗き込んだ。
「これは……。かなり取り込んだね。放出は?」
「意識が戻りません。あと、現在これ以上サラマンダーを使わせるのは負担になるかと。薬は『水のサラマンダー』を吐き戻しました」
「胃の保護薬に、吸収促進薬、気付けも必要かねえ」
リンをそっとベッドに下ろすと、アマンドが早足で近づく。
「楽な恰好に着替えを。『凍り石』は側から離さないように。……右手にも傷があるので止血を頼む」
心配に強張った顔のアマンドが心得て、天蓋から下がるカーテンを引くようにメイドに指示を出した。
精霊達もリンの側にふらふらと集まろうとするが、ライアンが手を揚げてサラマンダーを止めた。
「サラマンダー、プロヒーベ。……近づいてはダメだ。リンの負担になる」
リンが倒れてから浮かんだり沈んだりしていたサラマンダーは、絶望にふらりと部屋の隅に飛び、うずくまった。
部屋の温度、必要な処置、ライアンは様々な指示を出して、アルドラが向かった工房へと入った。
リンの到着を待つ間に準備していたのだろう。中央のテーブルには水の性質を持った薬草が並び、アルドラはグノームを使い次々と粉末にしていた。
「『水の鳥花』より、保護薬と混ぜて飲めるようなら『水のサラマンダー』の方がいいだろうよ。……ライアン、これを合わせておくれ。即効性を考えると水薬かねえ」
アルドラはもくもくと手を動かし、ライアンと精霊を動かしながら調薬を進めていく。
シムネルが工房に顔を出した。
「術師と薬事ギルド、ともに探してもらったのですが、『水の銀鳥花』を保持する者が見つからないと連絡がありました」
「……あれば、だいぶ楽だったけど、仕方ないね。ギルドにならあると思ったんだけど、あれだけの回復量を必要とする者も少ないから、保管もしてないんだろうさ」
アルドラがため息をつきながら言うと、悔しそうにライアンが顔をゆがめた。
「……ヴァルスミアの工房にはあるのです。リンがここまで力を使うことになるとは、考えていませんでしたから」
保管が難しい薬でもあり、携帯するような物でもなかった。
ライアン自身も長年ヴァルスミアから出ることはなかったため、持ってくることを考えもしなかったのだ。
「力加減がわからなかったんだろうねえ」
「……きちんと教えておくべきでした。リンが簡単に力を使うところを見ていたのですから」
子供の頃から精霊とともにある者は自分の限界を知りながら成長し、大人になってからは精霊の暴走以外で大きな事故も起きにくい。だが、リンの場合その過程がすっぽり抜けているのだ。
でき上がった水の加護薬と止血薬をシュトレンに渡し、後について出ようとすると、アルドラが呼び止めた。
「ライアン、わかっていると思うけど、薬だけでは改善しきれないよ。できるだけ早く火の力を放出しないと、身の内から熱に焼かれてしまう」
「はい。リンの体力があるうちに、と思っております」
「明日にも少しは落としたいねえ」
ライアン様、と執務室から呼ぶ声がして、シュトレンが顔を出した。
「リン様がお薬を戻してしまいました」
「意識は戻ったのか」
早足でベッドに向かうが、天蓋は閉まったまま。リネンや水差しを持ったメイドが出入りしている。
アマンドが出てきて、首を横に振った。
「お声をかけても、はっきりとしたお返事はございません。苦し気に身をよじるような動きはされるのですが」
誰もが少しの焦りを感じ、どうすればいいのか、と立ちつくした。
「……ライアン、シムネルとオグを貸してくれないかね」
アルドラの問いかけに、ライアンは困惑した。
「かまいませんが。いったい……」
「なに。『水の銀鳥花』を取りに、ヴァルスミアに行ってくるよ。あの二人がいれば三日、四日ぐらいで戻ってこれるんじゃないかね。……あったほうがいいと思うね」
ライアンは目を見開いた。
「……それでしたら私が行きます。そのほうがきっと速い」
「おまえさんはリンの側に付いていておくれ。私じゃリンを水場まで運べないからねえ」
「しかし、」
「『土の錠』がかかっている保管庫だろう?連絡をしても他の者じゃ開けられまい。……シムネル、船を用意しとくれ。オグに連絡は取れるかい?」
アルドラはくるりと背を向けるとシムネルの腕を取り、外に出ていく。
その背に向かってライアンは頭を下げた。
「ありがとうございます、アルドラ。シムネル、頼む」
「なに、頑張るのはオグとシムネルさね。ここは頼んだよ。ああ、落ち着いたら、公爵の執務室に顔を出してやっとくれ。陛下まで心配して集っているからね」





