Salamander / サラマンダー
少し短め。
リンの目の前で空気が歪み、大きく膨らんでいく。
破裂する、と、息を呑んだ。
「リン様、お下がりください!」
背後から鋭い声が飛んだ。
フログナルドだ。ライアンが迎えの指示を出したのだろう。
やっぱり過保護だなあ、と、そんな状況でもないのに、頭の隅で思ったのは一瞬だった。
ボフッという音をたて、空気のボールが弾けた。
草の上、木の根元、あちらこちらから同時に火が上がる。
パチパチと音を立て、水が流れるように炎が地上をすべり、森の奥へと向かって一気に広がっていく。
火の絨毯の向こうに、恐怖に顔をこわばらせるクレマの侍女が見えた。それも恐らく一瞬のこと。
立ちすくんだリンの腕が痛いほど引かれ、グイっと湖の方へと押された。
「サラマンダーの暴走です。湖の方へ! ライアン様にシルフを!」
リンをさらに後ろへ押しやると、フログナルドは炎を飛び越えるようにして、侍女の元へと走って行く。
するべき事を指示されて、リンは少し落ち着きを取り戻し、シルフを見上げた。
「シルフ、お願い。ライアンに伝えて!『ライアン、サラマンダーの暴走です。森の火事です。天幕が危険です』」
シルフを飛ばして、リンは辺りを見回した。
すぐ近くにクレマが呆然と座りこんでいる。そちらに火が向かっていないのを確認し、森の方を見て、ただただ火の力に圧倒された。
手の平ほども大きい落ち葉が火をまとって舞い上がり、木の枝に燃え移る。湖から吹きこむ風に火の粉が舞い飛び、落ちた先で赤を増やす。火が這い進む先端は炎が大きく立ち上がり、白い煙が上がっていた。
燃えれば燃えるほど、勢いは増していく。揺れ動き、踊り上がる炎は力を誇示するようで、怖いのに美しかった。
渦巻いた熱い風がぶわりとリンの顔をあぶり、シルフが押し返す。
リンは慌てて、さらに湖の方へと後ずさった。
「貴女、しっかりして。精霊を止めて。水をかけて!」
クレマに近づき声をかけると、リンを見上げ、慌てて立ち上がった。
リンも精霊に指示を出す。
「シルフ、湖からの風を押さえて」
クレマも水を動かし始めたが、火の勢いは強まるばかりだ。
見回して探すが、クレマの側にいたサラマンダーの姿がない。
リンは目をつぶり、深く息を吐いた。
「オンディーヌ、お願い。湖の水を集めて運んで」
ググっと大きく湖面が盛り上がった。
リンの首筋がふわりと熱くなる。自分でも大きな力を動かしているのがわかって、手首の『水の石』を握りしめた。
両手を広げたような大きさの水の塊が切り取られ、浮かび上がった。
「そのまま、水を森の上へ」
一番手前の、炎が踊る木の上で水の形を失った。
真っ白な水蒸気がもわりと立ち上がる。
滝のように落ちてきた水に、さすがにその直下の火は勢いを失ったようだ。
「良し。オンディーヌ、もう一回」
気だるさを感じるが、燃える木々と白い煙の先には天幕が並んでいるのだ。
いつの間にか戻ってきていたフログナルドは、リンを背に庇うように立ち、サラマンダーを動かしている。
「そうか。直接。そうだよね」
リンはすぐ側にいるサラマンダーを見つめた。
「サラマンダー、お願い。レスティングエーレ」
サラマンダーは張り切った。
待ちに待ったリンのお願いだ。
いつも『いいと言うまでやってはダメ』と言われてばかりいるのだ。そのリンが『いい』と言ったのだ。くるりと回って浮かび上がると、誇らしげに胸を張った。
リンの周囲の空気が揺らぐ。くらりとするが、リンはそのまま口を引き結び、息を詰めた。
力が一気に森へと広がっていく。
「リン、ダメだ!」
ライアンの声が聞こえた。
「……もう無理!」
すうっと力が抜け、ぐるぐると世界が回る。
ここが限界点か、と思った時、ふっと森の火が消え去り、その熱量がリンに向かって集束した。
「っ!」
バチバチっという音とともに、右手に持った扇子が弾け飛び、リンの手から血がポタリと落ちる。
突如として身体の中に熱がぶわりと膨れ上がった。全身で鼓動を打っている。
熱い。痛い。苦しい。息ができない。助けて。
「リン!」
駆け寄るライアンが見えたのを最後に、リンはその場に崩れ落ちた。





