Stone of ''Vinaigre des quatre voleurs '' /『盗賊の薬』の石
アルドラから『盗賊の薬』に入れた、薬草の石珠が溶けきったと報せをもらい、リンはライアンと工房へ向かった。
出来上がった薬を『薬の石』にする作業がある。
「「アルドラ、おはようございます」」
「おはよう。昨夜、術師に薬を濾してもらったからね。すぐ、石に封じられるよ」
アルドラはすでに来ており、中央の作業台にボウルを並べている。
ライアンは保管庫の鍵を預かると、奥の扉の前に立った。
今まで精霊が見えなかったリンは気づかなかったが、保管庫には特別な鍵がかかっているらしい。鍵を差し込むと、祝詞を呟いたらしく、グノームが開錠を手伝っている。
リンはライアンが保管庫の中に消えるのを見送ると、アルドラの側に近づいた。
工房に入った時から、甘く熟した香りが強くしており、どうやら作業台の上にある器から漂っている。
ころんと丸い形をした、黄色がかった実が、器に山盛りになっていた。
「すごい濃厚な香り」
なんのフルーツだろうと、リンはそれに手を伸ばした。
「リン、触ってはいけないよ。それは龍の眼。食べられない果実だ」
「こんなにおいしそうな香りなのに?」
「人を害する薬にもなる実だよ」
リンは思わず、手を引っ込める。
「まだ熟す前に収穫して、こうやって少し置いておくと、より強い薬効がでる」
「……毒、ですか?」
「毒、とまではいかないけれどね。強力な麻痺薬になる。適切に使えば薬にもなる。薬草はすべてそんなものだよ」
確かに、とリンはうなずいた。
ライアンが大鍋を下げて保管庫から戻り、作業台に載せた。赤みがかった黄金色の薬で満たされた鍋は、ビネガーと薬草が混ざった、相変わらず、なんとも言えないすごい香りがしている。
「ドラゴンツリーの周囲で、稀に鳥や動物が動かなくなっている。しばらくすると、立ち上がって、何事もなかったように去っていくらしいが」
「この香りですもんねえ。誘われちゃうんだろうなあ」
「リンもそのタイプだな。……知らない物を口にする時には、気を付けるように」
懲りないな、と言うように、ライアンが少し呆れてリンを見る。
「もう。わかってますよ。秋の茸にも気を付けろって、続くんでしょう?」
「そうだ」
何回も聞いた言葉に、リンは口をとがらせた。
「さ、リン、はじめようか」
「はい」
「……あれから、ライアンといろいろ試したんだけどねえ。まだ『薬の石』の祝詞が完成していないんだよ。だから今日は、リンに頑張ってもらわないといけないんだけど」
アルドラはふう、と息をつきながら言う。
リンだけが作れるようではだめなのだ。すべての術師に公開するものではないが、次代の賢者に引き継げるものでないと。
「大丈夫ですよ。頑張ってくれるのはオンディーヌですから」
ライアンが工房の戸棚から、革袋を持ってきた。
口紐をほどくと、中にはぎっしりとフォルト石が詰まっている。
「けっこうありますね。ええと、どの大きさで作ればいいんでしょう」
「王宮からは、極小と小をできる限り、との要望が上がっている」
極小の石だとスープボウルぐらいの水が入り、小だと大きな鍋程度の容量ではないかと思う。
「もっと大きくなくていいんですか?」
「ああ。今までは各地にまとめて納めていたが、この方が、領主の館や、村、薬事ギルドなどあちらこちらに配布できるだろう。いざという時に効果的だ」
アルドラもうなずいた。
「あの病は初期にどれだけ広げずに封じ込めるか、だからねえ」
リンは肩に座るオンディーヌを手に乗せ、作業台の上にそっと降ろした。
「オンディーヌ、お願いしてもいいですか?極小サイズの『薬の石』にしたいです。水の精オンディーヌよ 清冽な水の加護を我らに。この石をもってその力恵与にあずからん。アロ サフィラス グッタ アクア クラルス イーデム アクア カエレスウェイス」
水面がふるりと揺れた。少し水位が下がっただろうか。
のぞけば、水滴型の『薬の石』が鍋の底にゴロゴロとしている。
ライアンが長い柄のスプーンで、一つを取り出した。白いクロスで拭いて、アルドラに差し出す。
「問題なく、入っているようだね。じゃあ、リン、負担がないようなら、どんどんやっておくれ。……ライアン、魔法陣は術師のギルドに依頼するから、他の祝詞を試してもらえるかい?私は向こうで、龍の眼を加工するよ。風は上へと流すから、そちらに麻痺薬の成分はいかないと思うけれど、近寄らないでおくれ」
「はい」
「わかりました」
アルドラは甘い香りの果実のボウルを持って移動すると、かまどに火をつけた。
「じゃあ、こちらもやるか。リン。疲れたら休みながらにしてくれ。量が多い」
「気を付けます」
リンがフォルト石をざざっと入れ、オンディーヌにお願いしている横で、ライアンは別の鍋に一つだけフォルト石を入れ、古語でいろいろな指示を出していく。
一つ目の鍋の薬が、ほとんど石に封じ込まれたところで、リンは休憩を取った。
ふう、と、息をついて、工房の隅の小テーブルに向かう。
いつもアルドラがお茶を飲んでいる、緑のティーサロンだ。
ささっとアルドラ好みの紅茶を三つ入れて、声をかけた。
「アルドラ、お茶はいかがですか?そちらに持っていきますか?」
「いや、そこでいいよ。もうすぐ一段落つくからね」
リンはカップを二つ持ち、一つを作業を続けているライアンの脇に置いた。
ライアンは難しい顔をしながら、古語で指示を出しては、紙に書きこんでいる。
それをぼうっと眺めながら、温かい紅茶で一息いれていて、ふと気づいた。
「『水の石』や『水の浄化石』を作る時みたいに、長い祝詞にしないんですか?」
ライアンは手を止めてペンを置くと、紅茶のカップを手に取った。
「ありがとう。現代では、精霊への指示も、簡潔で直截な言葉が多いと思うが」
「うーん。でも、特に水の祝詞は、こう美しく詩的な感じじゃないですか。『夜の闇に天の女神の光遍く』みたいな。そういうのが、オンディーヌは好きなんじゃないですかね」
「あれは修飾の言葉として以外、なにも意味はないのだが」
「男の人は意味がないって思っても、女の子はそういう言葉を欲しくなることもありますよ」
リンは、さも分かった風なことを言った。
「ふむ……」
ライアンはカップを置き、おもむろに言葉を紡ぎ始めた。
「光り輝く麗しき花の顔に、美しく清らかな心を持つ、我が心の乙女、水の精霊オンディーヌよ。その深き慈愛を持ちて、清冽な水の加護を我らに。アロ サフィラス グッタ アクア メディシーネ……」
リンは目を丸くした。
麗しき花のカンバセに、我が心のオトメ……。
いつものライアンからは想像ができない。
照れもせず、こういう言葉がすらすらと出てくるのは、やっぱり育った環境だろうか。
リンはティーカップを口にあてながら、感心していた。
「あれを言えるなんて、ライアンも成長したねえ」
右手にティーカップ、左手にソーサーを持ち、製薬に一段落をつけたアルドラも近づいてくる。
「少し短くなっているけど、フォレスト・アネモネを朽ちさせない祝詞の一部でね。昔、教えた時には、そりゃあ口にするのを嫌がっていたよ」
「アレが例の……。って、アレで短くなっているんですか?」
「オリジナルは、あと一つ二つ、オンディーヌを称える言葉が多かったね。……そうじゃなかったら、ライアンには、あんな文言はひねり出せないねえ」
祝詞を終わったライアンが、アルドラとリンに視線を投げた。
「失礼ですね。アルドラ」
「少しはウィスタントン公爵を見習ったらどうだい?……で、結果はどうだったね」
ライアンは鍋の中をチラリと見遣ると、目もとをピクリとさせた。
「釈然としないものはありますが、恐らく成功していますね。……あまり意味のない修飾の言葉を入れただけで」
「それを意味のないって言ってしまうところが、まだまだ、だねえ。リンの言う通り、オンディーヌだって甘い言葉の一つや二つ、たまには欲しいんだよ」
リンはコクコクとうなずいているし、オンディーヌもじーっと見上げている。
ライアンは、ふう、と、それは大きなため息をついた。
この場では立場が弱すぎる。
「甘いものなら、後でシロップを。……これでリンを手伝えます」
その後、リンのニヨニヨとした視線を受けながら、ライアンはひたすら祝詞を唱え続けた。





