Vinaigre des quatre voleurs /『盗賊の薬』
ウィスタントンからの『龍の鱗』採集報告に、ライアンはすぐさま王宮とベウィックハム領にシルフを送った。
『盗賊の薬』の調薬は、精霊術師見習いの学生寮工房で行われる。
貴族の術師見習い達は、王都の屋敷に工房を用意してもらえるが、平民の見習いも十分に練習できるようになっている。
学生達が共同で作業できるように広く作られた工房は、設備も整っており、監督術師の助言も得られることから、下位貴族の子弟や子女は入寮を希望することも多い。
見学者が十数名になるというので、寮の一番大きい工房が準備された。
ベウィックハムの術師が何名か見学予定だったが、術師ギルドの調薬担当者に、精霊術学校の調薬と薬草学の教師、普段はこの寮で監督をしているような術師も、見学者の中にいた。
採集も扱いも難しい『龍の鱗』を使った調薬など、滅多に見られないからだ。
他言無用はもちろん、ベウィックハムの許可なしに『盗賊の薬』の調薬は行わないという誓約書を書いて、参加していた。もっとも、ほとんどがベウィックハム出身の精霊術師であったが。
リンはアルドラ、ライアンとともに工房に入り、その場にいる術師の挨拶と、賢者見習いとなったことへの祝辞を受けた。初対面の者は必ず祝辞から始まるので、リンの対応も慣れたものだ。最初はオタオタとしていたが、今では澄まして礼を返している。
工房内には四色のマントが見えるが、一番多いのは赤と黄色だろうか。
リンの方は、儀式用ではないが、今日はネイビーブルーのマントをしっかり羽織っている。
「『ブラッド・ルート』は残念だったが、他は品質も申し分ないね。さすがベウィックハムだ。さ、始めよう」
作業台の薬草を確認していたアルドラが、言った。
「『龍の鱗』は最後だからね。最初の工程は、ベウィックハムの術師はよく知っているだろうよ。……リン、手伝っておくれ」
「はい」
ライアンは工房の隅で、乾燥した薬草を量り始めている。
「他にも、手を貸しておくれでないかい?」
見学者に声をかけると、数名が互いに顔を見合わせて、前に出てきた。
「インフラマラエ」
アルドラが工房内にある四つのかまどに、一斉に火をつけた。
その内の一つに、大きな深鍋を四つ並べて用意すると、助手の術師が、樽からビネガーを注いだ。
「リン、これは内側がガラスでね。銅の鍋とこれが、術師の工房で一番使われる」
リンはコクコクとうなずいた。
他の三つのかまどには、広口で平らな鍋をかけて、調薬開始だ。
「まずは薬草の石珠からだよ。リン、ライアンから量り終えた薬草をもらってきておくれ」
ボウルに山盛りになっているローズマリー、ミント、アブサンを前にアルドラが、粉砕の祝詞を唱えた。
「グノーム、フレンド エービス」
リンは粉砕の祝詞を手に入れた。……フランゴじゃなかった。
さらさらな粉となった薬草のかさが減る。
「さ、一気にいくよ。リン、石珠はね、一定の力を、長く加えるのが大事だよ」
アルドラは三つのかまどの平らな鍋に、それぞれ、ローズマリー、ミント、アブサンを入れた。
「おお。一挙に三つですか」
「さすが大賢者ですなあ」
周囲の術師のひそめた声が聞こえる。
『水の石』から水を出して、鍋の薬草のパウダーを覆うように入れた。
「必ず『水の石』の水を使うこと。清浄な水であることが確かだからね。まず、火力を安定させる。……サラマンダー、イグニス センバール」
アルドラの周囲の精霊はピシっと並んで宙に浮いており、アルドラの祝詞で一歩前にでて、仕事が終わるとまた列に戻る。
極めて優秀だ。
あのサラマンダーでさえも。
リンは自分のサラマンダーをキョロキョロと探すと、袖の後ろに隠れるようにくっ付いていた。アルドラに叱られないためには、その位置が賢明だろう。
リンはポンポンと頭をなでてやった。
鍋の水がうねりだして沸いた。
しばらくして、また少し水を加えて、そのままだ。
アルドラはそれぞれの鍋の様子を見ながら、少しずつ火力を変えている。
最初はうっすらと薬草の色をしていた水が、濃く変化していく。
アルドラが助手たちにうなずくと、中の薬草水が濾されて、また鍋に戻された。
「これでも十分効果があるのだけれど、これをもっと濃縮させたのが石珠だ」
アルドラがサラマンダーを操って、火をどんどんと強くしていき、助手が鍋の横に付いて、必死にかき混ぜている。
とろりとしていた水が、鍋の底で、薄い円盤のようになってきたところで、アルドラがするどく言った。
「離れて」
助手たちが鍋の横からパッと後ろに下がった。
「サラマンダー、アリデ ペドゥム」
かまどの火がさっと鍋の中に飛び込み、足踏みをするように、中の円盤を踏んで踊る。
火が踏むたびにピシっと音がして、円盤が小さく割れていく。
タンタンタンッ、と、速いリズムで飛び跳ねており、焦げ付きはしないようだ。
「レトロ」
足踏みを後ろへ下げると、ささっと助手が鍋をかき混ぜる。
形はもっと崩れるが均等に混ぜ、また後ろに下がると、もう一度『火の足踏み』の祝詞が飛ぶ。
「あと少しだよ。よく炎を見ていてごらん。すっと消えたら、それが水分が完全に消えた合図だよ。もう踏みつける必要がないのさ。そしたら石珠は完成」
じっと鍋の中で踊る炎を見つめていると、アルドラの言ったとおり、最後にすっと上に上がって消えてしまった。
かまどから鍋を下ろすと、中には濃い緑色をした石珠ができていた。
「これだけ濃縮されるなら、薬が苦いわけですね」
リンが顔をしかめながら言うと、見学者の方から、咎めるような鋭い声が飛んできた。
「はっ!苦いのは、薬草の成分が最大限に使われ、効き目が強いということです」
「グ、グラニテ様」
周囲の者がうろたえて、発言者を止めようとしている。
「あ、あの。ごめんなさい。薬のことを悪く言ったわけでは……」
怒らせてしまったらしいことに、リンがどうしようと思っていると、ライアンが後ろから近づいてきた。
「ベウィックハム伯の長男だな。グラニテといったか」
「はい。薬草を化粧品や料理に使う方は、薬の価値をご存知ないのでは?」
グラニテにチラリと見られて、リンは思わず反論した。
「そんなことはありません。薬の貴重さは十分に知っています。でも、誰にでも買えるものではなく、不調を我慢するだけの人もいるでしょう。薬草を予防や、もっと手軽に使用できたら、悪くなる前に治ることもあるのでは、と思っています」
「何を馬鹿な……」
グラニテは馬鹿にしたような視線を寄こし、周囲の術師もうなずいたり、隣の者と話したりしている。
「ウィスタントンでは冬の咳に、タイムを入れた湯で喉を洗わせたら、ひどくならなかった者もいるのだ。確かに薬ほどの効き目はないが、一概に悪いものではないと思っている」
ライアンがリンを援護してくれた。
賢者の言葉に、周囲がさらにざわついた。考え込んでいる者もいる。
「それに、薬だから苦いのは仕方ないと言うのではなく、周囲を甘いもので覆ったり、つるりと飲み込めるような工夫をすれば、子供でも飲みやすくなるでしょう」
「はっ。調薬を、今、教わっているような見習いが何を」
パンッ!
アルドラが手を叩いた。
「作業はまだ残ってるよ。今度はその見習いに作ってもらおうじゃないか」
「えっ!」
「無茶を。『盗賊の薬』ですぞ。石珠だって、最初から作れるものでは……」
確かに無茶じゃないか、と、思っているリンに、アルドラが言った。
「私とライアンが揃ってる。失敗はしないよ。それに、そこのサラマンダーが、袖に隠れて作業をじっと見ていたからね。失敗はさせないだろうさ」
そのサラマンダーはプンプンと火花を飛ばして、グラニテに飛びかかろうとするのを、リンに襟首を押さえられていたが、リンが見下ろすと、宙返りをして胸を張った。
結果から言うと、リンが作った石珠はとても良くできていた。
サラマンダーのおかげだ。
初心者なので、一鍋からと思ったが、三つやっておしまいと言われ、三種の薬草を同時に始めた。
実際には鍋ごとの微調整が難しいのだが、サラマンダーが得意気に、チラリ、チラリ、と、リンの方を見ていたので、リンはひたすら褒め係に徹した。
サラマンダーのご機嫌は、仕事の出来に直結するからなのだが、リンに、ありがとう、と言われて、舞い上がったようだ。
「ライアン、あれ、どうしましょう」
「……楽しそうだから、放って置け」
唯一アルドラと違ったのは、『火の足踏み』でサラマンダーが、炎と一緒に鍋に飛び込んだ所だった。
出来上がった石珠は、グノームがさらに細かく砕き、温められていたビネガーの鍋に放り込まれた。
最後は『ブラッド・ルート』と『龍の鱗』だ。
『龍の鱗』は黒っぽく、ゴツゴツとした木の皮のように見えるが、ドラゴンツリーの樹液が固まったもので、ぶつけるとカチカチと音がするぐらい硬い。重なってくっついているところは、確かに鱗のように見えなくもない。
リンが香りをクンクンと嗅いでいると、見学の術師達も気になるようで、作業台の周囲に近づいてきた。いくつかを手渡すと、小声で話しながら回覧している。
ライアンがこの二つを担当するようで、アルドラは工房の隅に用意された椅子に腰を下ろした。
「『龍の鱗』は薬効を高める効果がある。『ブラッド・ルート』が栽培可能となる前、質の良い物が見つからなかった時に、ドルーとグノームの助言で、賢者がこの方法を指示したと言われている。……昔の文献によれば、だが」
メモを取りながら聞いている者も多い。
「難しい点は、まず『鱗』は、かなり高温でなければ液体に変化しない。火のお力を大きく使い、その状態で安定して、長時間保たねばならない」
赤いマントの術師が、ざわついた。
大威力の火力は安定しにくい。そして、それだけの力を長時間維持するというのは、かなり厳しい。
単に希少な素材というだけではなく、なぜ、使われないのかがわかるようだ。
「次に、『鱗』のしずくと『ブラッド・ルート』の温度差が大きいと、分離して混ざらない。以上を注意して行う」
『ブラッド・ルート』はリン達が石珠を作っている間に、ライアンが血のように赤い汁を鍋に集めてあった。
「うわあ。まさに名前の通り。真っ赤ですね」
「本当はもう少しとろりとして、赤の色が濃いのだ。……『鱗』は、『ブラッド・ルート』の十分の一程度で良い」
ライアンは『ブラッド・ルート』で真っ赤な鍋を火にかけ、点火した。
次にグノームに頼んで『鱗』に鉄串を刺すと、革の手袋をはめ、サラマンダーに下から温めさせた。
ライアンが集中しているのがわかる。
炎はそれほど大きくないが、温度は上がっているらしい。『鱗』の色合いが黒から赤に、焼けたようになってきている。
「そろそろだろう。リン、その箱を取ってくれ」
「これですか?」
「ああ。直接落とすのでは、熱すぎる」
細長い箱にはコイル状の銅管が入っており、周囲に『凍り石』が詰めてある。
ライアンはその箱を鍋の上に設置すると、更にその上に『鱗』を持ってきた。
『ブラッド・ルート』の鍋も、表面に泡が浮き始めた。
ぽたりと最初の一滴が落ち、銅管の中をすべって鍋に落ちると、赤の中に黒茶色の線が描かれ、間もなく溶け込んだ。
「いいようだな。……リン、これを維持できるか。私はもう一つの鍋を担当する。手袋を忘れるな」
「わかりました。ええと、確か、サラマンダー、イグニス センバール」
とたんに首筋がひんやりとした。
「うわっ。これ、かなり力を使っていますよね?」
「そうだな。リン、無理をしない程度に維持だ。必要なら『炎茸』もあるが」
「できれば遠慮したいですね……」
痛いほど辛いのは勘弁してほしい。
二人とも話しながら、気軽に行っているように見えるが、かなり集中している。
今まで肉体的に、力を使っていると感じたことのないリンが、感じるぐらいだ。
リンは大きな力の動きが見えるようになってきたばかりだが、経験を積んだ術師にもわかる者は多いようで、目の前で行使される火の術に目を見開いている。
「おお。あれで見習いだというのか?」
「あの威力で、サラマンダーをコントロールできるとは」
「他の薬でも『鱗』を試してみたいが」
「『鱗』は魅力的ですが、火の術師のチームを、複数用意しないと無理でしょう」
「チームの力も均一にしないとなりませんなあ」
薬効の上がる『鱗』を、ぜひ試したい、と、ベウィックハムの術師達は口々に意見を出している。
「『鱗』は今回、多めに来ている。研究のために必要なら、ベウィックハム領に譲れるだろう。伯爵より王宮へ申し入れてくれ」
「あ、ライアン様。後学のため、ぜひ、学校へも」
「ギルドにもお願いします!」
ライアンの言葉に、術師達は真剣に何の薬で試すかを話し合い始めた。
「あと少しですけど、肩が張ってきましたね」
「リン、無理するなよ」
「ええ。でも、もう少しなので、このまま行けそうです」
真っ赤に染まった火竜のようだった『鱗』は、小さな欠片になっている。
ポタリ、ポタリ、と、落ちていた樹液の最後の一滴が、鍋に吸い込まれた。
静かに見守っていた術師から、わっと歓声が上がった。
「クルード」
停止の祝詞を口にして、ふう、と、リンが息をついて肩を回す。
「大丈夫か。リン」
「はい」
アルドラが立ち上がった。
「見事だったよ、リン。さ、これを合わせるよ。サラマンダー、レスティングエーレ」
ライアンの使っているかまど以外の火が、ふっと消えた。
『鱗』が溶け込み、先ほどより色濃くなった『ブラッド・ルート』の鍋を、手伝っている術師二名がきっちり半量に分け、ビネガーの鍋二つに流し入れた。
ちょうどライアンの『鱗』も終わり、同じように残りの二つに加える。
「さ、これで『盗賊の薬』のできあがりだ。石珠が溶け切り、成分が馴染むまでこのままだ」
「王宮の工房へ移し、保管庫に入れて置きます」
「頼んだよ」
リンの最初の調薬は、頭痛薬ではなく、もっと高度なものだった。
アルドラとライアンが、薬の保管のために運搬と護衛の手配をしているなか、ベウィックハムの見学者達は丁寧に礼を言い、若干興奮を見せながら寮を後にした。
「グラニテ様」
先日、ギルドで礼を言われた男が立っており、丁寧に頭を下げた。
グラニテは他の術師に断りを言い、その男の方へと歩いていった。





