Letting me get ready / 心の準備
リンはその日、自室でひたすら縫物をしていた。
決して「淑女の嗜み修行」などではない。レーチェから布が届いたのである。
カイロの様に『温め石』を入れて身に付ける布は、少し考えて見たいというレーチェの伝言を受け、プロにお任せした。
リンの元に届いたのは「シロみたいな布」だ。
レーチェも悩んだのか、二枚届き、一枚はシロより毛は短いが白銀に輝く、まさしく毛皮だった。そちらはさすがに手縫いにする技術がなく、冬用の何かにしてもらおうと脇に置き、今リンが縫っているのは、手触りがスルスルと滑らかな毛織物だ。
これはライアンに説明した、子供のお休みグッズ、ポカポカぬいぐるみになる。
二重になっていて、内側の布はリネンでポケットが付き、ここに温め石を入れられる。リネンの屑も詰めてあり、程よく膨らんで、温め石がゴロゴロすることもないだろう。
「できた!背中を留めるリボンと、目の石はレーチェさん達にお願いしよっかな」
リボンの穴は自分ではうまくできそうもない。見本として見せながら、お願いすればいいだろう。目にする青と黄色の精霊石もできているし、クグロフにビーズにしてもらうつもりだ。
残念ながら、リンの腕では立体的なぬいぐるみにはできなかったが、それでもふっくらとして可愛い。
長時間座っていたから、立ち上がってグイっと肩を回していると、アマンドが入ってきた。
「リン様、ライアン様がお話ししたいことがあるとのことですが、こちらにお通ししてよろしいですか?」
「はい。もちろん。ええと、厨房から何かお菓子を」
アマンドは心得ております、と言うように、うなずいて出ていき、リンは慌てて、ローテーブルに散らばった、布の端切れなどをまとめて籠に放り込んだ。
窓際のコンソールの上にある銅の薬缶に『温め石』をセットして、隣のキャビネットからティーカップを取り出した。
「リン、突然すまない」
「大丈夫ですよ」
厨房から届いたデザートは、新作だという。
緑ぶどうとブルーベリーを中に閉じ込めた、白ワインの寒天ゼリーだった。
これなら、と、リンはネパール紅茶の Makalu SFTGFOP 2nd flushを選んだ。このお茶は、フルーティなぶどうの風味を感じるのだ。
リンがお茶を入れ、席に着くのを待ち、ライアンが口を開いた。
「今日はリンに、頼みがあってきた」
「……改まって、どうしたんですか?」
ライアンは少し怖いような、真剣な顔をしている。
始まった話は、死者を多く出すという伝染病の話だった。
天候のせいで薬草の質が安定しないこと、作りたい薬がどれだけ重要なのか、と、ライアンは順番に説明していく。そしてリンの手伝いが必要なことも、それをすることで、精霊術師ギルドに登録が必要となることも、すべてを話した。
リンはその間、お茶を飲みながら、こちらも難しい顔をして聞いていたが、話が終わるとカップを置いて言った。
「いいですよ。もちろん。『薬の石』は作ったことがないので、一度試した方がいいと思いますけど」
「本当か。術師ギルドに登録することになるのだぞ」
あまりにも軽く言うので、ライアンは確認した。
リンはライアンに、お菓子とお茶を飲むように再度勧めると、自分も寒天ゼリーを手に取った。
「んー、そりゃあ、ギルドに登録したら、いろいろ面倒かもしれませんけど。あ、ライアン、食べて見てください。これ、すっごく美味しいですよ!」
リンは新作を一口食べて、気に入ったらしい。
「……その薬に、多くの人の命がかかっているわけでしょう?それはさすがに、ギルド登録が嫌とかいう理由と、比べる場合ではないかな、と」
「そうか」
ライアンは気の抜けたような返事をした。
リンに勧められるままに、ゼリーを口に入れる。
「まさか、私が嫌だと言うと思いました?」
「いや、リンはやってくれると思っていた。いたが、賢者見習いとなるので、こんなに簡単に答えるとは思わなかった」
「あ、そうか。そうですね。そうなるんですね」
ライアンは片眉をあげた。
「……理解していなかったとか、言わないだろうな」
「えっ?いえ、そんなことないですよ。大丈夫。理解してます。それに、ありがとうございます。ちゃんと最初に話してくださって。嫌だと言えない様に、だまって精霊術師ギルドに連れて行って、登録することだってできたのに」
「まさか、リンは私がそんなことをすると思っていたのか?」
「いや、だって、ライアンは秘密の前科が、片手で足りるかなーっていうぐらい、ありますよね?」
リンは片手の指を折るようにして、からかう。
否定のできないライアンは、一度目をそらしたが、きっぱりと言った。
「きちんと説明するべきだと思った。リンのこれからにかかわることだ」
「そうですね。ですから、今回は心の準備期間をもらえて良かったです」
ライアンは気にいったのか、白ワインの寒天ゼリーのお替わりを頼んでいる。酸味が程よく、さっぱりとして、甘すぎるのが苦手な男性にも食べやすい。それでいて、寒天ゼリーはどこか男性には物足りないのかもしれない。
リンは、ティーポットにもう一度お湯を注いだ。
「あ、ライアン、まだ出来上がっていないですけど、これを見てください」
リンは長椅子の脇に置いた籠から、縫いあがったばかりの真っ白なぬいぐるみを取り出し、ライアンの膝に置いた。
「これは手触りがいいな。山羊か?」
「違いますよ!このフカフカなシッポ。ぶっとい足、どう見ても私のシロです」
シロサブレと同じ形で、口を開き、ワン、じゃない、ウォーンと叫ぶシロだ。
「そうじゃない。この生地が、だ」
「えーと、アマンドさんが、山ヤギだって言ってましたよ」
「やはりな」
山ヤギの毛で作った布は柔らかく、ここ数年、東より届き始めたばかりの高級品だ。ライアンは、ウィスタントン南部の山ヤギで同じようにできないだろうか、と、産業担当の文官から相談を受けたことがある。
北からの牧畜経験者が移住したばかりだ。今後、どう発展するか、と、ライアンが布を触りながら考え込んでいると、リンがシロを見るように催促した。
「ライアン?布より形を見て欲しいんですけど。あと、この中を見てください。真冬にはこのポケットに『温め石』を入れると、子供が抱いて眠れる、ポカポカシロくんです」
「……シロの形で嬉しいのは、リンだけだと思うが」
「もう。そこは、あったか熊さんでも、おやすみ羊さん、でもいいんですよ。子どもの喜ぶもので」
「リン。いい案だが、動物の選定はレーチェに任せた方がいいかもしれぬ」
ライアンは、シロをリンに戻してよこした。
熊や羊は抱きしめぬいぐるみの定番だと思うが、ライアンには違うようだ。
少なくともゴーレムよりは柔らかくて、寝心地がいいはずなのだけれど。
リンはポカポカシロくんを膝に置き、じっと眺めた。





