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Ryan and Ardra / ライアンとアルドラ

 ライアンは昨日より少し遅れて、王宮本館にあるアルドラの工房へと向かった。

 王宮には、賢者の住まいとして一翼が用意されているが、先代も今代の賢者もそこを使うことは稀である。アルドラの工房は、その片隅にあった。

 ヴァルスミアにあるライアンの工房より少し広いが、配置は似ている。ただ、ここには窓辺に様々な鉢植えがぎっしりと並び、王宮にありながら、緑の色濃い田舎家のような雰囲気もある。

 

 ライアンが水場をまわって、庭の扉から工房をのぞけば、アルドラが上の戸棚から物を取ろうと、伸び上がっているのが見えた。

 ネイビーブルーのマントをはおり、髪はピンクのリボンで結ばれている。

 ライアンの気配にアルドラは振り向いて、にやりと笑った。


「おや、おはよう。起き上がれたようだね」


 ライアンは顔をしかめた。


「おはようございます。昨夜の騒ぎを、シルフが触れ回りでもしましたか」

「朝も早くから、調薬の術師が、酔い抜き薬をあちらこちらへ届けたようだよ」

「ええ。私も朝から作ってまいりました」


 ライアンは工房に踏み入り、すたすたとアルドラに近づくと、代わりに目当ての瓶を取り下ろした。

 マントを脱ぐと、片隅にある椅子に無造作に置く。

 

「どのような具合ですか?」

「良くはないね。昨日のは、分離しているようだよ」


 ほら、と、見せられた瓶には半分ぐらい液体が入っているが、上の方に丸い赤い玉のようなものが浮かんでいる。


「そのまま使えば薬効は薄く、濃縮をすれば分離ですか」

「そっちはどうだね?」

「術師ギルドの記録にも、過去に調合された内容を見つけました」


 アルドラは工房奥の窓辺にある、お気に入りの椅子に腰を下ろすと、ライアンに向かって手を出した。


「どれ。……ふむ。薬事ギルドのものと、また少し違うね」


 ライアンはアルドラに紙の束を渡すと、工房の隣の乾燥室から、赤い根を持ってきた。

 ブラッド・ルート(赤き血の根)だ。

 ナイフを取り、指二本分ぐらいの太さの根を、縦に切り裂く。とろりとした赤い液体がにじみ出てきた。


「だめですね。根のまま水分を飛ばしてみても、大して変わりません」


 本当ならもっと赤黒い、ねっとりとした液がでる。


「この記録は、ベウィックハムで『ブラッド・ルート』の栽培に成功する、ずっと前のものだよ。『龍の鱗(ドラゴンズ・スケール)』に『七色花(レインボー・フラワー)の根』。どれも手に入りにくいさね。まあ、だからこそ、ベウィックハムの先代は『ブラッド・ルート』の栽培ができるよう、尽力したんだろうさ」


 成し遂げるとはすごい男だったねえ、と、アルドラは紙に目を通しながら言う。


 『龍の鱗』は、名前はアレだが、植物性だ。

 ウィスタントン南部の岩山に生える、ドラゴンツリーの樹液の塊なのだが、採集者泣かせの原料だ。ヤギしか通わないという急斜面を、頂近くまで登るのも大変だし、樹液塊が稀な木なのである。土の術師が樹液塊のありそうな辺りをグノームに聞き、腕力、脚力のあるハンターが、それをもとに岩山を貼りつくようによじ登る。

 これに比べたら、同じ岩山でも低地から中ほどに生える『グノーム・コラジェ』の採集は、見習いでもできる。


「今の時期に採れるとすれば『龍の鱗』ですね」

「そうだねえ。七色花は、咲いてなきゃ、どれがレインボーかわからないからね。『鱗』が少しでも取れれば薬効は上がるだろうよ」

「すぐに土の術師とハンターを手配します」

「ああ、ついでに『龍の眼(ドラゴンズ・アイ)』も、取ってきてもらおうか。今ならまだ青い実で、効き目が強い。……いい香りだが、絶対に食べないように言っておくれ。毒になるからね」


 『龍の眼』は、確かに同じドラゴンツリーに生る果実だが、ついでに、と言うにはやっかいな採集になる。高い梢にしか実がならないのだ。崖っぷちで高木によじ登るのは、考えただけで気が遠くなるだろう。オグのように、土使いのベテランハンターがいればいいのだが。


 ライアンは、さっそくシムネルにシルフを飛ばした。

 

 アルドラとライアンが、数日前から工房に籠っているのは、『盗賊の薬』のためである。

 数年に一度、冬から春にかけて、大陸の西側どこかの国で発生する流行り病がある。ひとたび発生すれば死者も多く出て、村や町、半数の命が奪われることも多い。

 困ったことに、病を治す薬も見つかっていない。熱を下げる薬に、痛みをとる薬といった、症状を和らげる薬を与えて、後は天の女神に祈るしかない。

 『盗賊の薬』は、その感染を防ぐ効果があるとされている消毒薬だ。


 大昔、フォルテリアス国内でこの病が発生した。

 感染を恐れ、誰もが病人の出た村に近づかない中、そのような村から村を渡り歩き、病人や死者から値打ちのあるものをはぎ取っていた盗賊の一味がいた。盗賊が感染しないのを不思議に思った当時の国王が、刑の免除と引き換えにその薬の作成方法を聞きだしたという。

 以来、フォルテリアスでは調薬知識のある術師が、十種類以上の薬草とスパイスを使い、より効果が高くなるように改良を重ねてきた。

 国の管理の下、秋の大市で近隣諸国にも販売される。高価だが、購入しない国はない。フォルテリアス国内の各領には、国費で配布される。

 それだけ恐ろしい、死の病だ。


「さて、それが手に入ったら、後はどれだけ薬効が保つか、だねえ。こればっかりは今から検証する時間がないよ」

 

 ブラッド・ルートの収穫期の夏に調薬され、しばらくすると薬効がどうしても落ちてしまう。病が発生する冬から春の時期で、ぎりぎりだろう。

 毎年春には、薬を使わずに済んだ事にほっとして、また秋に新しい薬を備える。

 『龍の鱗』を足した薬がどれほど保つのか、記録にはない。


 ライアンがアルドラの座る椅子の近くに歩み寄った。


「アルドラ、リンの茶をお持ちしました」

「おや、気が利くねえ」


 すぐ横の戸棚から、アルドラはいそいそと、椅子と同じ花模様のティーセットを取り出した。

 ここにも花木の鉢が並び、天井からは緑のバスケットが下がっている。小さなティーテーブルも置かれた、アルドラのティーサロンだ。

 ライアンはティーカップを取り、上に手をかざす。


「クーレ アクアム。……アベルテ アクアム」


 熱い湯気と香ばしい香りを漂わせる、鉄観音茶だ。

 手の中から茶を注いだ様にしか見えない。


「なっ……!」

「リンが王都に来る直前に用意した『茶の石』です。そちらは熱い茶で、こちらは冷たいカモミールとハニーミントの薬草茶だったと」


 ライアンはもう一つのカップに色の薄い茶を注ぐと、テーブルに二つの石を載せた。

 

「『茶の石』だって?」


 アルドラはポカンと口を開けた。

 琥珀色の精霊石を摘まむと、光にかざし、しげしげと見る。


「船旅に冷たい茶を持ち運びたいと、オンディーヌに頼んだそうです。熱い『茶の石』と『酒の石』も作っておりました」 

「はあ。あの子は全く。……考えもつかないよ」


 アルドラはため息をつき、首を振った。


「飲んで見てください。閉じ込めた時と、色、風味、熱も変わっていません」

「ほんとかい?」

「今朝、すでに毒見を」


 アルドラはカップを手に取ると、鼻をくすぐる鉄観音茶の香りに、ふっと笑みをもらした。

 一口すすって、ほおっと息を吐く。


「本当だねえ。いれたてのようだよ」

「こちらも同じです。薬草の香りがそのまま残っています」

 

 アルドラはもう一つのカップも手に取って眺めた。


「わかったよ。つまり、この薬草茶の成分を調べて、変質がないようなら、『盗賊の薬』も調薬時の成分を保てるってことかい?」

「恐らく。『水の石』の水は、変質しませんから」

「こりゃあ……」


 アルドラは頬に手をあてて、考え込み始めた。


「……世に出すのもどうか、と、思っていましたが、事は『盗賊の薬』ですから」

「そうだね。希少な薬草の成分を、水に溶かして保管するのにも役立つだろうよ」

「リンは、何でもできるわけではないと。熟成させる酒などは、たぶん熟成が進まないだろうと」

「用途を絞って、国管理の精霊石になるだろうが。……祝詞は?」


 ライアンは軽く息を吐くと、口を少し緩めた。


「それが、ないのですよ。一昨日も今朝も、いろいろ試してみましたが、無理なのです。リンは『水の石』の祝詞を使ったそうですが」


 アルドラが再度、口をあんぐりと開けた。


「『水の石』?清浄な水でもないのに?」

「だから、リンなのですよ。恐らく古語の祝詞以外のお願い部分を、オンディーヌが聞いたのでしょう。あまりに驚いて、オグと一緒におかしな話だと言ったら、ちゃんとオンディーヌにお礼を言ったと、むくれておりました」

「お礼ねえ。いや、何だねえ……」


 アルドラも、言うべきことが見つからないようだ。


「私はこれに、『水の石』の魔法陣を刻んでみます。まだ試していませんから」

「そうだね。……リンは術師としては、登録が済んでいないんだろ?」

「ええ。この石に魔法陣が刻めるようなら、今回はリンにも事情を話して『盗賊の薬』を石に閉じ込めてもらい、登録することになると思います」


 アルドラも手の中の石を転がし、うなずいた。


第2部分「随時更新」薬草と食べ物に、この話に出た薬草を足しました。

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