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An old book and a new lingerie / 古い本と新しいナイトウエア

 カタラーナは、ピーチ・メルバを、たいそう喜んだようだ。

 船ではほとんど何も口にできなかったらしく、スープの後にデザートも食べられ、お付きの者達も、ほっとしているようだ。


 やっぱり熱のある時はモモカンだと、リンは、うんうん、とうなずいた。


「リン、どうしたのだ」


 ライアンが一人で納得している様子のリンに尋ねる。


「私も小さい頃、熱を出すと、決まって桃のシロップ漬けだったんです」

「そうか。甘くて冷たく、子供でも負担なく食べられるな」

「ええ。作って正解でした」


 タブレットとキュネフェは、もう一種類ずつ、さっぱりとしたフレーバーのアイスクリームを頼み、追加で味わっている。

 今日の夕食は、わりと成功だったかも、と、リンも満足した。


 一人遅くなった女官の夕食も終わり、片付けはハンター見習いと文官達が引き受けてくれた。

 アルドラを部屋に送ろうと思えば、オグや術師見習い達となにやら話し込んでいる。

 

 食事時間が早かったから、今夜はゆっくりとできる。

 リンは茶道具を取りに、勉強室へと足を向けた。

 茶道具の木箱を手に持ち、ふと、勉強室から続きになっている、図書室に入る。

 一冊ぐらい、読めそうな本があるかもしれない。

 綺麗に清掃はされているが、書庫独特の、皮と紙とインクの香りがする。それにどこか薬草の香りも混じって、鼻をムズムズと刺激する。


 魔法陣、精霊道具、術師の体調管理、国外での精霊道具の必要性、といった、いかにも術師向けの本もあれば、研修先での心得に、地理、国史といった普通の学生らしい内容の物もならんでいる。


 火の精霊との上手な付き合い方 …… 術師の苦労がしのばれる。

 過去の賢者とその功績 …… アルドラとライアンのものは、まだない。

 けんこくのせいれいドルー …… 学生が子供達に読み聞かせをする絵本だ。


 ゆっくりと探したら、なかなか、面白そうだ。

 その中でリンの目に留まったのは、薬草と薬の本だった。

 初級者向けから、難解そうなものまであるが、中に古い本だが、薬草の絵が美しく描かれたものを見つけた。

 なにより、字が、日記や手紙のように、美しく流れる筆記体でないのがいい。リンにも読める。

 どうやら一人の学生が後輩のために、ここの薬草園にある薬草を中心に、薬草の特徴、栽培と保管の方法、効能、使われる薬について、などを記したものらしい。

 初歩薬の調合も書いてあって、リンが飲んでいるような頭痛薬もあった。

 祝詞の部分は【土の粉砕】【水の清め】などとしてあり、祝詞は書かれていない。きっと祝詞は暗記するものなのだろう。


 本を手に持ち、部屋まで持ち出して大丈夫だろうかと迷った。

 できればお茶を飲みながら、ゆっくりと目を通したい。


 ライアンが戸口から顔を出した。


「ここにいたか」

「ライアン、どうかしましたか?」

「いや、特には。本を探していたのか」

「ええ。学生が書いたものらしいですけど、薬草と薬の本です。わかりやすくて」


 ライアンはリンの持つ本を手にとり、パラリと一枚めくると、懐かしそうな表情になった。

 そこには後輩学生に宛てたメッセージと、著者の名前が書いてある。


「ああ、これか。これは確かに学生が書いたものだが、書いた学生はベウィックハムの先代領主だ」

「薬のベウィックハムの?」

「クラフティの祖父にあたるだろう。研究熱心な土の術師でもあって、一時期、ここで薬草学の講師をされたことがある。私も教えを受けた」

「ライアンも?」

「あのアルドラが、王都にいる間に彼の講義は取っておけ、と言ったぐらいだ。リンが読むのにもいいだろう。ただ、この調薬の部分は参考程度に読むといい。現在は少し配合や手法が変わってきている」


 寮内なら持ち出して構わないと許可をもらい、リンは喜んで腕に抱えた。


「あ、ライアン。お茶を飲みますか?」


 いつも食後の一杯を一緒に楽しんでいる。


「いや、今から学生達が工房を使うというので、監督だ。アルドラと何を話したのか、学生達が張り切っている」


 ライアンは苦笑して言った。


「リンはゆっくり休め。精霊の加護が眠りとともにあるように」

「ライアンにも。おやすみなさい」

 

 



 方茶(ホウチャ)と呼ばれる、平たい正方形に固められたプーアル茶の、横部分から茶刀の先を入れ、ひねって持ち上げるようにしてほぐす。

 蓋杯(ガイベイ)に茶葉を入れ、お湯を注いだ。普段よりゆっくりと、茶葉が開くのを待つ。

 お茶を包んだ紙に自分が鉛筆で書きこんだ、製造年を見ると、1988年。


「ん?これ、こちらに来てから飲んでなかったかも」


 大きい茶碗に、赤茶色のお茶をすべて注ぎ入れた。

 茶碗を手にとり、鼻に近づける。


「ふふふ。これも古い本の香りだ」


 樹皮や、森のシダ、家具に使われているような木の香りに混じって、書庫のような香りまでする。

 ずっと箱に入れてあったから、茶の香りが開いていないようだ。

 数日から一週間、箱から出して、紙も開いて置いておけば、茶葉が呼吸を始めるだろう。

 この土地の空気を吸って、どんな変化をしていくか、少し楽しみだ。

 リンはベッドサイドの小テーブルにカップを戻し、枕の位置を調節すると、ベッドの上に足を伸ばし、ゆったりとヘッドボードにもたれかかった。


 パラリ、パラリと一ページずつ、楽しむ。

 【風の混合】【土の選別】あたりは調薬を想像して、なんとなく理解できるが【火の足踏み】というのはなんだろう。

 コンコンと、扉がノックされた。


「あ、レーチェさん」

「リン。遅くにごめんなさいね」


 扉の外には、レーチェが布包みを持って、立っていた。

 大きく開けて、中に招き入れる。


「いえ、全然。起きていましたから。……なんだか、久しぶりの気がします」

「ホントよ。ごめんなさい。天幕もほとんど手伝えなくて」


 レーチェは、今、注目の仕立屋だ。

 一人だったり、クグロフの兄のブリンツと一緒だったりするらしいが、毎日のように貴族の館に招待されている。

 その招待の合間に、奥の部屋で急ぎの仕事を手掛けていて、大忙しなのだ。

 服飾関連の、仕立屋、布糸、染色、絹織物、といったようなギルドが、全面的に協力している。


「大丈夫です。クグロフさんから聞いています。センスの注文も好調で良かった」

「うふふ。センスだけじゃないのよ。『シルフィーのブラ』の注文も多いの」

「うわあ。当初の予定通り、というか、でも、もうそんなに注文が?」


 リンは目をパチパチとさせた。


「シルエットが変わるでしょう?すぐに噂になったの。それに一番に、王妃様に呼ばれたのよ?皆が続くわ」

「そこにセンスの注文も重なったら、大変でしょうね」

「センスはどちらかというと、細工の注文で、ブリンツとクグロフ兄弟が大変なの。ブラは一人一枚ではないし、どうやってもこのあとずっと、私一人で続けるのは無理でしょう?それで仕立屋のギルドに相談したのよ」


 すでにお抱えの仕立屋や針子がいる場合は、最初の注文はレーチェが仕立て、見本を見せる。その後はお抱えに任せ、レーチェにその売り上げの一部が入るようになるらしい。

 お抱えがいない場合、レーチェの顧客となる。


「リンにも売り上げの一部が入ると思うわ」

「私に?」

「ブラの発案者ですもの。そういう話で、ライアン様のご了承を得ようかって、ギルド長が話していたから」

「っ!なんでライアンに?!」


 リンはひゅっと息を飲み、抑えた悲鳴のような声をあげた。


「あら、リンを後見しているのはライアン様ですもの、話は通さないと」


 『シルフィーのブラ』の件で、ライアンに話がいく。

 どんな顔をして、ブラの話を聞くだろう。

 売り上げの一部を辞退するので、話をしないで欲しいぐらいだ。


「売り上げの一部、要らないんですけど……」

「あら、リン、それは困るわ。私がもらいにくくなるもの」


 せめてリンから事前に、ライアンに話をしておくべきだろうか。

 それもまた、どんな顔で話をしたらいいか、わからない。


「うぅ、なんか、どうやっても、叱られる気がします。ライアンじゃなくて、アマンドさんに、それがダメなら、せめてカリソン様かシュゼットに話が行くなら、まだ」

「まあ。ギルド長に伝えておくわね」

「お願いしますぅ」


 最後はライアン様に話が行くと思うけれど、と、レーチェは思ったが、口にはしなかった。


 すぐに王都の街にも、ブラの話が広がるだろう。

 ウィスタントン内だけならともかく、既製品のブラまでは、とてもレーチェの工房だけでは手が回らない。そのためにも、今のうちにギルドに調整を任せるのが一番いいのだ。


「センスはまだ、どうなるかわからないわ。とにかくブリンツとクグロフ、ボスク工房に任せたいっていう声が、圧倒的なの。あちらこちらの工房長が、ボスク工房への研修希望者を連れて、寮にも頼みに来ているのよ」


 天幕で販売していないからわからなかったけれど、ブラもセンスも、なんだかすごいことになっているらしい。


「王都にくると、やっぱり勢いが違うわね。……それでね、リン。着替えを持っていないだろうと思って、ナイトウエアを持ってきたの。リンの衣装は、いくつか手元にあるのだけれど、秋、冬物で、季節が合わないの。ナイトウエアならちょうどいいのがあるわ」

「わあ。ありがとうございます。助かります」


 レーチェが布包みから出したものは、薄く、手に滑らかで、軽い布だった。

 指先につるりとすべる白い布をそっと広げてみると、レースとリボンが印象的な、ヒラヒラと軽いナイトウエアだとわかる。

 

「レーチェさん、これって!」

「ふふっ。リンから教えてもらったでしょう?婚礼の夜用のナイトドレスよ」


 そっと手に取って持ち上げてみると、丈は短くて、胸の下からふわりと広がるスリップの形だ。

 肩紐は幅の広いレースで、胸は深くⅤ字に開いている。どうやら前開きになっていて、胸の間のリボン一つで結ばれている。

 前身頃の縁と裾も幅の広いレースになっているので、お腹やふともも辺りの肌が透けて見えるだろう。それにリボンで結んであっても、薄い布はヒラヒラと揺れて、きっとおへその辺りはチラリと見える。

 とろりとした質感の、滑らかなリボンは絹だろうか。引っ張るとシュッと静かな音を立てて、簡単にほどけた。


「これは、ええと、ベビードール、ですね……」

「まあ!そういう名前なのね。私達は、『シルフィーのナイトドレス』と呼んでいるの。ブラと一緒に、同じように軽い『シルフィーシリーズ』で、こちらもいかがですかってご提案したら、これも大人気よ」


 レーチェの声は、はずんでいる。

 シルフィーはとうとう、シリーズ化したようだ。


「来年の夏至の婚礼時期まで、まだ、一年もあるのに」

「ほら、婚礼の時は特注のレースを作られる方もおありなのよ。それに、すでにご結婚されている方からも、注文は入っているの」


 ふふふ、と、いたずらっぽい笑みをこぼし、レーチェは揃いのショーツも一緒に見せる。両サイドをリボンで結ぶようになっているようだ。

 レーチェはベビードールをドレスの上からリンにあてて、考え込んだ。


「このサンプルの長さだと、膝までくるのね。リンの分はもっと短くするわね」


 リンはなんだか、がっくりと疲れた気がした。


「腕や脚を出すのは、問題なかったのですか?」

「長袖で、丈の長い、無難なのも作ったのだけれど、この形が一番人気よ。夏至に試してもらった時も、好評だったのだけれど、リン、どうかしら?」


 大丈夫かしら、と、真剣な目でレーチェは見てくる。

 リンも、生地を触って、真面目に答えた。


「ええと、柔らかくて、着心地が良さそうですね。手触りもとろりとして、婚礼の夜にもぴったりではないかと。このあたりのレースは、ドレープを寄せてフリルにすると、かわいいかも」

「そうね。ありがとう、リン。試してみるわ」


 明日、感想を聞かせてね、というレーチェの笑顔に、リンは笑顔を返した。

 これがリンの、ベビードール、いや『シルフィーのナイトドレス』初体験になる。

 その夜、シルフの柔らかな加護に包まれて、リンはやすんだ。


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