おまけ:Tablette and Baklava / タブレットとバクラヴァ
夜が更けてから、バクラヴァは寮の三階の自室で、リンのカレーレシピを清書していた。
「スパイスはコリアンダーシードとクミンシードが同量で味を決め、『恋の情熱の実』は半量以下。好みで辛さを決める。ターメリックは少な目。ああ、ガーリックとジンジャーは好みで、リン様は多めがお好き、と」
バクラヴァはそこで、ペンをインク壷の中に突っ込んだ。
使用したスパイスの量は計算してあり、手順を思い出しながら書いていた。
春の大市以来、レシピを見る事が多く、料理人にもアドバイスをもらって、適切な料理用語でわかりやすい書き方ができるようになったと思う。
バクラヴァの隣はタブレットの部屋だが、先ほどから二階のライアンかオグの部屋を訪れているはずだ。
カツカツと階段を上がる音に、タブレット様らしい音だ、と、耳を澄ませると、足音は階段脇の部屋を通り過ぎ、バクラヴァの部屋を叩いた。
「はい」
さっと立ちあがり、扉を開けると、思った通りタブレットが黄金色をしたミード酒のグラスを手に入ってきた。
食卓では酒を飲んでいなかったようだが、その後に飲んでいたらしい。
タブレットは部屋に入ると、どこか懐かしそうに見まわしている。
監督術師は一人部屋で、居室と寝室に別れているが、学生の部屋は居室と寝室がまとまっている上、他の学生との相部屋になっている。
「昔、こちらにいらしたことがございましたか?」
「ああ。オグが学生の頃だ。ライアンと一緒に、連れ出されてな。厨房に忍びこんで、学生の部屋に集まって、最後は寮監督だという術師に見つかって……」
「もしや火の玉に追いかけられたという、あの夜では?」
「真っ赤な顔の術師が、オグのマントに隠れていた私とライアンに気づいて、真っ青になった。あれは愉快だったな」
タブレットはふっと笑みをこぼすと、椅子ではなく、二つ並ぶベッドの一つに腰を下ろした。
「それで、どうであった?」
バクラヴァは食事の時に、シムネルやマチェドニアの文官と一緒だった。
マチェドニアの皇太子には、成人以来、毎年ではなくとも何度か夏の社交で会っている。
実際の通商交渉では側近同士で詳細を詰めることが多く、各地に顔見知りが自然と多くなる。主の交流や交渉とは別に、こういう場で互いに情報交換をするのが普通だ。
「言葉は濁しておりましたが、シュージュリー東征の目的には、心当たりがあるような口ぶりでございました。恐らく王陛下との面会で、その辺りも判明するかと」
「わかった。他には」
「リン様のことは気にされておりました。ロクムより、茶の件で、話は聞いていたそうなのですが、ライアン様と同席されておりましたから、どのようなご身分の方かと、シムネル殿に」
「ほう」
タブレットは手にしていたミード酒で口を湿らせると、チラリとバクラヴァを見た。
「シムネル殿は『ライアン様のお側にある方』と」
「お側に、なあ」
「ずいぶん、お気にされていらっしゃいますね」
「ん、私がか?そうかも知れぬな。長い付き合いだが、ライアンが初めて私に紹介してくれたから、だろうか」
七歳だった。
父に連れられ、初めてフォルテリアスに来た時にライアンと会った。
いつも一人で精霊と遊んでいるような子供で、自分が誘いださないと、誘いにも来ない。精霊が見えないのが悔しくて、オグと一緒に、わざとあちこちに引っ張りまわしたものだ。
少しして、将来、国を支える賢者となる子だと聞き、自分と同じだ、と、より親しみがわいた。
「ずいぶん変わっただろう?今までは精霊道具を作っても、武具に防具。民の生活に役立つからって感じで、用途も理由も硬いばかりだったのに」
「今、発表している道具も、民のための物、でございますよね?」
タブレットはニヤリと笑った。
「『温め石』はリンの風呂のために作られたんだぞ」
バクラヴァは眉を上げた。
「おや。フォルテリアスの文官は、ライアン様が大市のために開発された、と申しておりましたが」
「ま、リンの風呂のためとは、言えなかっただろうよ。カチカチに硬いライアンが、今年はずいぶんと溶けてる。あの公爵のようにとろけるのは、もう少し後だと思うが、な」
確かに、バクラヴァには淡淡と接していたライアンが、今年は何度も笑顔を見せている。
それでも溶かし始めたのは、いつも誘い出していたタブレットではないかと、バクラヴァは思っている。
だが、ライアンが父公爵のように、甘々でとろとろになるのは。
「……想像もつきませんね」
「ふっ。そうか?ま、楽しみだな」
タブレットは飲み終えたグラスを置いて立ち上がった。





