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Student Dormitory / 学生寮

 船室から出てきた小柄な人影は、間違いなくアルドラだった。

 少し治まっているとはいえ、普段より荒々しい風に、紺色の長いマントが膨らみ、裾がはためいている。

 突然現れた大賢者に『船門』の人足達は驚き、すぐに駆け付けるべきか、頭を垂れるべきか迷った。

 この風では、大賢者は飛ばされてしまうのではないか。


「さ、病人がいるからね。早くしよう。人と、まず身の回りの荷物だけでも降ろすんだよ」


 皆の心配をよそに、片手は船室に入る扉をしっかりとつかんでいるようだ。

 ひゅうと唸る風の中、真っすぐ通るそのピシっとした声に、『船門』の者達は、はっとして動き始めた。

 四角い天幕の四隅を持った者達が船に乗り、腕を上げて甲板に雨よけを作る。

 ライアンは、ここにいるように、と、リンに告げ、自分は船に乗り込んだ。


「アルドラ、お久しぶりですね。嵐を連れて来るとは貴女らしい」


 ライアンはそう言いながら、杖を持つ手と反対側のアルドラの腕をとった。

 

「嵐の方が来たいっていうんだから、しょうがないねえ」


 アルドラは軽口を叩くが、どこからかは知らないが、この嵐の中、風を操って船を連れて来たのだ。疲れていないわけがない。

 それでなくとも濡れて滑る甲板を、ゆっくりと慎重に支えて歩く。

 タラップだって、今日は、なかなかに揺れているのだ。


 その間に、もう四名が天幕を持って、岸壁から『船門』までも濡れないように用意を整える。

 アルドラの後ろから、がっしりとした身体つきの男性が甲板に出てきた。さっと周囲を見回して、船の中に向かってうなずいた所を見ると、護衛だろう。

 すると間もなく、雨がかからないようにショールで頭からすっぽり覆われた、病人らしき女性を抱きあげた男性が現れた。その後ろには、腕に木箱や鞄を抱えた、使用人らしき者が数名続いている。

 男性も女性も服装がちょっと違うので、フォルテリアスの人ではないのだろう。

 船員も、船に乗り込んだ人足も全員が手伝って、さっさと荷物を運びだす。

 下船はこれ以上ないほどに、迅速に終わった。


 ライアンにエスコートされたアルドラは、雨のかからない『船門』で待つリンの前まで来ると、にっこりと笑った。


「アルドラ、ご無沙汰しております。お疲れさまでした」

「リン、久しぶりだね。少し見ないうちに大きくなったかね」

「ぶっ。アルドラ、私、もう大人なので。成長期は終わっていますから」

「おや、そうだったかね。……さ、もう風も水も、戻していいよ」


 下船の様子を見ていたアルドラは、リンに言った。

 それを見て、風と波が戻るぞ、備えよ、と、ライアンは声を張った。

 自然に力を加えるのは、できるだけ短い方がいい。

 リンはコクリとうなずいて、空に向かって、もういいですよ、ありがとう、と、声をかけた。

 一瞬、シンと静まったかと思うと、途端にゴウという音を立てて風が叩きつけ、雨は斜めに殴り掛かる。目の前の船は上に下に、ひどく揺れ出した。


「うひゃっ」


 人足達が雨を払いながら、頑丈な石造りの『船門』に慌てて飛び込んでくる。

 この嵐の中、やって来る船はもうないだろう。

 

 すぐ側に病人を抱えたままの男性がいるが、ライアンの髪色を見て、はっと気づいたようだ。

 それでも今のままでは、挨拶もできない。


「挨拶は落ち着けるところに、移動してからにしようかね」


 アルドラがそう言うのを心得ていたかのように、シムネルが馬車の用意ができていると伝えた。

 一台目にライアンとリン、アルドラが乗る。二台目がタブレット達、三台目には、目を閉じた病人を抱えたまま、男性がお付きの人らしき者達と乗り込んだ。

 護衛はこの豪雨の中、馬車の後ろに足をかけて立ち、濡れていくことを選んだ。フログナルドと部下は、早くもぐっしょりだ。

 何往復かしてもらうことになるが、全員が順に学生寮に移動できるだろう。

 シムネルは最後の一人が馬車に乗るまでここにいて、最後に移動するようだ。


「ライアン、薬事ギルドには寄れるかね。薬を調合しようにも材料がなくてね」


 王領の港で買い求める予定が、ちょうど嵐に遭遇してしまったらしい。

 そのため、港も大混雑。入港に時間がかかりそうで、諦めて、風を操りながら船を急がせて来たようだ。


「今、向かっているのは、ウィスタントンの宿舎として借り上げている、精霊術師の学生寮です。工房も、それから調合用の薬草もそろっていますよ」


 アルドラはその言葉にほっとしたようだ。

 病人は、あの揺れる船で来たのだ。船酔いが酷いのかもしれない。


「あの方は、ぐったりとされていましたけど、船酔いですか?」

「それもあるけれど、元々、シュゼットと同じぐらい身体が弱いようだよ。フィニステラから一緒だったが、ずっと辛そうでね。長距離を旅しての疲れもあるのだろうが、ゆっくり休めば大丈夫さ」


 『船門』から学生寮までは、さほど遠くない。

 ほどなく馬車は学生寮の前に着き、雨よけに天幕を掲げる騎士達の腕の下をくぐり、中に入った。


 学生寮は、まず、こげ茶のウッドパネルが壁一面に貼られた、小さなレセプションホールがある。そのすぐ奥がグレートホールで、現在は食堂と談話室として使われていた。

 この二つのホールはどちらも天井が高く、吹き抜けになっており、ここが男子寮と女子寮の境だ。

 一階部分は全学生共通の施設だが、上階右手が女子寮、左手が男子寮となっていて、レセプションホールの両側にそれぞれに続く階段がある。


 ウィスタントンと『スパイスの国』の天幕から、ひとまずここに、と、運び込んだばかりの荷物が積み上がり、レセプションホールは、まだ、ひどいありさまだった。

 テーブルや長椅子、商台を端に寄せ、木箱等の荷物を見習いと文官が確認しながら、倉庫として使っている勉強室の方へと運び入れている最中だ。


 オグも荷運びをしていたのか、食堂から出てくると、アルドラを見つけて目を丸くした。


「なんだよ、ばあさんじゃねえか。嵐の中着くとは、ばあさんらしいな」


 その物言いに、アルドラは大げさにため息をつく。


「ライアンといい、おまえといい、どうして、もう少しまともな挨拶ができないかねえ。リンを見習うといいよ」

「まあ、学生寮へようこそ、だ。天幕の荷物が片付いてないんで、ちょっと散らかってるが、緊急避難だから許してくれよ」


 オグの後に続いて食堂からでてきた風の術師見習いは、話だけで知っている大賢者を目の前にして、ピタリと足が止まり、その背に他の見習いがつっこんでいる。


「挨拶は後だよ。病人を寝かせたいんだ。どこか部屋は空いているかい」


 オグはちょうど女性を抱えて入ってきた男性と、その供を認めて、すぐにそれが貴族であることがわかった。それも恐らく、上位の。


「ばあさん、こんな学生寮でいいのか?」

「緊急避難だから、仕方ないさね」


 アルドラが後ろを振り向くと、男性が軽く頭を下げた。

 文官が持ってきた、上階の鍵束を受け取り、オグが考えながら言った。

 

「あー、リン、悪いが、ばあさん達を女子寮の方へ案内してもらえるか?レーチェ達は、嵐で足止めを食っているらしい」

「もちろん、大丈夫ですよ」

「女子寮は、二階の奥以外、ほとんど空いている。階段脇に向かい合わせである二室が、監督術師の部屋だから一番広い。……あ、リネンが来たな」


 階段下に扉があるが、そこが厨房などの裏方に繋がるらしく、扉から両手にリネンを抱えた薬事ギルドの女性と、文官が現れた。リネンの上に籠が載っているが、『水の石』が見え、その横の袋に包まれているのは、恐らく『温め石』だろう。

 急遽こちらに泊まる、という連絡を受けて、その準備にも大慌てらしい。

 おまけに見知らぬ客までが増えている。

 リンも寮の中を知らないが、鍵には部屋番号がついているし、とりあえず部屋までの案内ぐらいはなんとかなるだろう。

 女子寮の鍵束を受け取ると、ライアンと交代して、アルドラの腕を取った。

 もう片手に、後ろから運ばれてきたアルドラの鞄をつかむ。大きな、目立つピンクのリボンが付いているので、たぶんこれがアルドラのもので間違いないだろう。


「では、ご案内致しましょう」


 女性を抱えた男性は女子寮だと聞いて戸惑ったが、他に抱えて階段を上がれる人がいるわけでもなく、とりあえず部屋まで、と、後を付いて行った。

 男性陣は、文官がそのまま、左側の階段へと案内していく。

 なにせ騎士はもちろん、誰もが雨に濡れて不快な思いをしている。


「まず、お部屋にご案内します。落ち着かれましたら、階下へお越しください。それまでにはこちらも、もう少し片付きますから」


 ライアンもタブレットも文官の後について、上階へと向かった。


 リンはまず、病人とアルドラを休ませなければ、と、二階の階段を上がってすぐの監督術師の部屋を開け、その鍵を渡した。


 部屋には備え付けの家具があり、決して王宮のような豪華さはないが、清潔で、機能的で、必要なものは十分に揃っている。

 入ってすぐは居室になっており、応接用の長椅子と、窓際には机と本棚がある。

 コンソールの上には、今は動いていないが、オンディーヌの水時計が見える。

 居室の奥、右手の扉を入ると寝室だ。寝室の奥にはさらに扉があって、浴室となっている。

 リンはとりあえずアルドラを長椅子に座らせると、寝室などの扉を開けて、足りないものを確認してから、向かい側の部屋に扉の所で声をかけた。


「失礼致します。お部屋の方はこちらで大丈夫そうでしょうか。よろしいようなら、並びの部屋にご案内しますが」


 中からお付きの女性の中でも、一番年配の者が顔を見せた。

 

「大丈夫です。私どもの部屋は、開けていただければ、姫さまのお部屋を整えましてから向かいますので」


 そう言って小腰をかがめる。

 姫さま、と、目をぱちくりとさせて、リンはにっこりと笑った。


「こちらの『水の石』と『温め石』ですが、使い方の説明はご入用でしょうか?」


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