A glass of cold beer and nibbles / 冷たいビールとつまみ
ライアンの執務室に入ると、オグはキョロキョロと見回した。
「ここに来るのは十年ぶりだが、ずいぶん居心地が良くなっているじゃねえか」
工房の隣にある執務室は、記憶にあるよりだいぶ広くなっていた。その広げられた場所には応接用の長椅子が置かれて、くつろげるようになっている。
執務机と長椅子の間は、衝立代わりに飴色のキャビネットで区切られ、執務室というより、ちょっとしたサロンのようだ。
ライアンはそのキャビネットからグラスを取り出し、オグに渡した。
「ああ。私もここに来て、驚いた。工房と第二厨房を整えてもらおうと思ったのだが、この隣に第三厨房が新設されていた」
「新設?もしかして、リンのためか」
「小さめだが、家の厨房と配置が一緒で、使いやすいと喜んでいる」
一緒に天幕から来たタブレットとラグナルは、その厨房に入って、リンがずらりと並べた食材を、興味深げに眺めていた。
あちらこちらでリンが見つけた夏野菜が多いが、ラグのお土産のシー・ヘリソンの塩漬けや、タブレットから渡されたセサミオイルもある。
「リンがここで作るなら、また厨房で食べるのがいいか」
「そうですね」
気安くそんな事を言う、若き国の長と領主に、リンは首を振った。
「いえ、大丈夫です。今日は料理人さん達が手伝ってくれるんですよ」
領主夫妻とシュゼットは晩餐に招かれて、離宮にいないが、料理人がレシピを覚えて、後で披露するという。料理の一部は、使用人の夕食にもなる予定だ。
今夜は保存用の野菜のピクルスを作る者、天幕用のアイスクリームを作る者、リンの手伝いをする者と、料理人達は三つの厨房に分かれて張り切っている。
「これを持っていって、始めてください。すぐに行きますから」
リンはとりあえずのつまみに、と、チーズの盛り合わせとシー・ヘリソンの塩漬けの皿を、タブレットとラグナルに差し出した。
作業を止めて控えていた料理人達は、その様子に青くなったが、二人は気軽に皿を受け取り出て行った。
二人が執務室に戻るとライアンとオグの姿はなく、執務室の向こう、庭先から声がかかった。
「こちらだ。この時間、外の方が心地よいだろう」
シルフが風を運んでくるし、すぐ目の前にはオンディーヌの水場があって、水音を聞くだけでも涼しさが増す。
庭にはすでにテーブルや椅子が出され、グラスやカトラリー、皿が並んでいた。
オグの足元には小型冷室が置いてあって、どうやら酒担当のようだ。
厨房からもらってきた、つまみもそこに並べる。
「タブレット、ビールでいいか?ラグは?」
「ああ」
「兄上、暑いので、私もビールで。リンは先に始めていてくれ、と」
「じゃあ、先に乾杯だ。……ドルーと精霊に」
「「「ドルーと精霊に」」」
カチリとグラスを合わせて、一気に喉に流し込む。
「うおー、夏に冷たいビールが飲めるのは最高だ。今日は暑かったからなあ」
「私達、北の人間にはきついですね」
四人はそれぞれに手を伸ばして、自分の皿につまみを取り分ける。
「タブレット、これがシー・ヘリソンだ」
「これか」
ライアンは早速タブレットに、気に入りのつまみの皿を回した。
「ずいぶん、あちらこちらのチーズが揃っていますね」
「リンが天幕で、試しては買っていたぞ。ライアンのつまみ用じゃねえか?」
「自分の好物を揃えてくれるなんて、ライアン、嬉しいだろう?」
「……料理にも使うと言っていたから、私のつまみだけではないと思うが」
ライアンはニヤニヤと笑う三人から目をそらし、シー・ヘリソンを口に入れた。
実際、確かにくせのあるチーズは好物だったが。
「ここは気持ちいいですね」
厨房の扉からリンが顔をのぞかせ、両手に皿を持ち、直接庭へ出て来る。
ライアンとオグがその皿を受け取って、リンは腰をおろした。
「最初はさっぱりと冷たいものです。こちらが『鶏とコリアンダーのサラダ』、あと、もしコリアンダーを嫌いな方がいるといけないので『叩きキュウリの塩セサミオイル和え』です」
「おお、セサミオイルの試食だな」
「春にリンの言っていた『魔法のオイル』ですか。できたのですね」
「ああ。試作段階だが。リンに確認してもらって、良ければこの秋か、次の春の大市から販売できる」
それぞれの皿に、少しずつ取り分ける。
リンはライアンから手渡された、ミードにレモンを絞り入れながら言った。
「さ、食べましょう!」
叩きキュウリは塩とセサミオイルで、シンプルに和えてある。
コリアンダーを使ったサラダは、蒸し鶏、コリアンダー、レタス、玉ねぎを、塩、セサミオイル、ビネガーに、ガーリックと『サラマンダーの怒り』を加え、ピリリと辛いドレッシングにしてある。
「この香ばしいのが、セサミオイルの香りか」
「塩と油だけなのに、風味がぐんと上がりますね。おいしいです」
「うお、うまいじゃねえか。なんだ、飲み過ぎの薬と全然違う」
クンっと香りを嗅いだ後、コリアンダーのサラダを頬張ったオグが声をあげる。
「薬じゃないですもん」
見ていると、全員二回目を取り分けている。
「……コリアンダー、大丈夫そうですね」
「香りが強いからか、同じように風味の強いドレッシングが合うな。リン、このドレッシングのレシピをくれ」
そこに料理人が、大皿を持って現れた。
「あの、続けて揚げ物です。セサミオイルを使いたかったので、揚げ物ばかりになっちゃいましたが」
「から揚げは最高だな」
「大丈夫ですよ。天ぷらもおいしかったですし」
「ふふ。から揚げもありますよ。まず、新しいのを試してください。コロッケといいます」
オグはから揚げと聞いて、ガッツポーズだ。
皿の上には、小判型と俵型、二種類の揚げたてのコロッケが載っている。
「こちらが『ポテトコロッケ』で、もう一つ『シー・ヘリソンのクリームコロッケ』です。熱いので気をつけて。トマトソースをつけて召し上がってください。好みで、合わせてレモンをどうぞ。どちらもセサミオイルで揚げています」
リンは熱々のポテトコロッケを、フウと息を吹きかけて口にいれた。
「ハフッ。熱い!……おいしい」
衣はサクっとして、中のポテトがホクホクだ。
しばらく全員が、フウフウ、ハフハフと言いながらコロッケを頬張った。
時々、アチッという声があがっては、グビっとビールを飲んで冷やしている。誰も何も言わないが、その食いつきぶりを見ると、皆が気に入ったようだ。
「うまいなあ。あの爺さんの息子が作った、じゃがいもだろ」
「私はこの、とろけるクリームコロッケが」
「これは、シー・ヘリソンの香りが濃厚だな。レモンをかけるのもいい」
ライアンはさっぱりとさせるのが好きなようで、またギュッとレモンを絞った。
「リン、このセサミオイルは、焙煎していないほうか?」
「そうです。香りもマイルドでしょう?私は琥珀色をした、焙煎してあるオイルをよく使ったんですが、私の国の料理人は、白い、焙煎なしのオイルが揚げ物に最適だって使っていたんですよ。てんぷらとか」
「そうか。では、やはり両方あった方がいいのだろうな」
タブレットは頷くと、もう一つコロッケを取った。
料理人が次の皿を持って現れた。
こんどはラミントンの産物を使った試食だ。
「あ、鶏の、『塩から揚げ』なんですけど、ラミントン領の海藻を風味付けに使ってみました」
「え、あの?」
ラグナルがコロッケを飲み込んで、慌てて顔をあげた。
「毒性はないって、聞いたので」
「この周りについている緑が、あの時採った海藻ですか?」
「ええ。私の国で『青のり』って呼ぶ、海藻だと思うんですけど」
「お!磯の香りだ」
オグは自分の好物の登場に、リンの説明の途中でから揚げに手を伸ばし、がぶりと噛みついた。
そこにグイっとビールを流し込む。
「ぷふぁあ。なんでから揚げに、ビールって合うんだろうなあ」
やっぱり最強だな、と、そのあまりにおいしそうな様子に、オグ以外の四人もから揚げに手を伸ばした。
ふうっと息を吹きかけて齧ると、青のりの香りが肉汁と一緒に口に広がる。
オグが自分とライアン、タブレットのグラスにビールを注ぐと、三人が同時にぐいっとあおった。
「美味しいですね」
「これだけで、海の香りだな」
「でしょう?これからは船で、皆が海藻を干しますよね」
リンは、ライアンに向かって、得意げに笑った。
「ライアンはいいよな、いつもリンのつまみで飲んでるんだろ?」
オグが今度は、コロッケを口に放りこんだ。
またビール、つまみ、ビール、で止まらなくなったらしい。
「いつも、ということではないぞ。飲むのは、塔か館に戻ってからで、大抵チーズか、つまみなしだ」
「リンのつまみで飲める所ができたらなあ。なあ、リン、店をやらねえか?ハンターズギルドの近くか、ああ、いっそギルドの一階を改装してだな……」
オグがビールのグラスを揺らしながら言う。
「エクレールさんに、家で作ってもらえばいいじゃないですか」
「兄上、自分ばかりずるいですよ。私だってラミントンに欲しいです」
「まあ、大市の時にリンの店があれば、私も行くだろうな」
「大市か。ビールに合わせたつまみ、ミードに合わせたつまみ、と、各地の産物を使って出せば、大市らしいな。屋台にやらせてもいいだろう」
男性陣は、何やら飲み屋をつくる話で盛り上がっている。
集まっているのが長や領主一族だと、こういう時に話がどんどん進んでいくのがやっかいだ。
「あのう、店をやるなら、私はお茶屋さんがいいんですけど」
「ライアン、料理人はどうする?館の料理人にすべて任せるのは、無理だろ?」
全く聞いてくれない面々に、リンはそれでも声をかけた。
「お腹の具合はどうですか?私はもう飲まないので、最後のメインを持ってきてもらいますけど」
「食べる」
「もちろん」
「いただきます」
「食うぞ」
「そうですか。一応、聞こえていますか」
即答で返事が返り、リンはこちらの様子をうかがっていた料理人に合図をした。
厨房から運ばれた皿は、トマトソースを使った『ピザ』で、一枚は海老とシー・ヘリソン。もう一枚はバジル、玉ねぎ、ベーコンのトッピングだ。
トマトソースとチーズが溶けて混ざる、食欲を誘う香りがふんわりと届き、全員の目がそちらに吸い寄せられた。
リンはローズマリー、タイム、バジル、といった薬草に、『サラマンダーの怒り』と胡椒を加え、風味と辛みを足したオリーブオイルの瓶を、皆の前にずいっと差し出した。
「はい。好みで、この薬草オイルをかけてください。ピリ辛になります」
ラグナルをのぞく全員がオイルをたらし、ピザに噛みついた。
「大市の間だけだったら、各地の料理人を借りたらどうだろうか」
「リンのレシピを習えるなら、ラミントンからは喜んで貸しますよ。……これ、おいしいですね」
「足りなかったら、一時的に、火と土の見習い術師を雇えばいいんじゃねえか?……いや、これもビールに合うよな」
とろりと溶けた、伸びるチーズを噛みちぎっていたリンは、オグの言葉に、ん?と思い、慌てて飲み込んだ。
「厨房で雇うんなら、風の術師じゃないんですか?」
リンの疑問に、ライアンが答えた。
「『泡立て』なら風だが、厨房に、火と土は便利だ」
「火は、まだわかるんですけど、土って、かまどを組むとか?」
同じようにピザを頬張っていたラグナルが、ニコニコと笑いながら言う。
「兄上はすごいのですよ。自分は他のことをしながら、グノームを使って、豆の皮をむいたり、石のナイフで野菜を切ったりできるのです。それで野菜が、ひょいっと、鍋に飛び込むのですよ」
「……土の術師って、手を使わずに料理ができるんですか」
勝手にじゃがいもの皮がむけたり、玉ねぎがみじん切りになっていくのだ。
なんて楽しいんだろう。
玉ねぎを切って、泣くこともないだろう。それともグノームも泣くのだろうか。
「普通ではないが、オグと私は、アルドラに訓練の一つとして料理をさせられた」
「見習いを鍛えるのに、ちょうどいいんだよな」
「そういえば、ラミントンの館で泡立てをよく手伝っている風の術師は、細かい調整がうまくなったと聞きましたね」
「へえ、料理の特訓って、効果的なんですねえ」
「だがなあ、術師は切ったり、焼いたりはできるんだが、味付けはひどいものだよな。なあ、ライアン」
タブレットはビールを片手に、笑いながら言った。
「あれは料理を始めたばかりのことだろう?だが、私は肉を、炭にはしなかったぞ。なあ、オグ」
「あんなに燃えるとは思わねえだろ?驚いて水をかけて、肉を台無しにしたよな。なあ、タブレット」
ラグナルは聞いたことがなかった兄達の失敗に、声を上げて笑う。
幼馴染の三人は、楽しく昔を思い出しながら、ビールをあおった。
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