表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
139/275

A hot day / 暑い日

 今日はリンの休みの日だ。

 最初の休みを、リンは街の散策に使うつもりだった。


「リン様、ライアン様がお出かけになります」

「あ、はあい」


 工房脇の水場で、ラベンダーの大鉢を抱えているリンに、シュトレンが中から声をかけた。

 ライアンも執務室からやってきて、横から顔を出す。


「いや、ここでいい。リン、午後からの予定に変更はないな」

「ええ。お昼前に一度、天幕に顔を出します」

「ああ。何か伝言は?」

「今日のアイスクリームは、バニラとレモン。両方ウィスタントン産じゃないんですけど。……なんといっても、あの大きさで、あの量でしたから。使わないと」


 リンは厨房にまだ積まれているレモンを思い浮かべた。


「ああ。暑くなりそうだから、さっぱりとしたものは好まれるだろう。見習いにサントレナの天幕も案内させる」

「レモンの方は、いつもと違う作り方をして、より軽やかになってますよ。皆に味見をするように言ってください。ライアンも」


 昨夕、ポセッティが三番目の兄と挨拶にやってきた。


 いつも代わり映えのしないもので、申し訳ございません、などと言っていたが、ライアンが預かってきたサントレナからの荷物は、大量だった。

 特に、レモンには目を見張った。

 春の初めにはまだそんなに大きくなかったが、本当に子どもの頭ほどあって、ずっしりと重い。

 学生寮のオグにも、酒用にひと箱渡そうとしたら、さすがにそんなに使えねえ、と断られたぐらいだ。

 昨夜はせっせと、レモンジャムと塩漬けレモンを作り、ブルダルーはその果汁で、新作というか、生クリームを入れないレモン・ソルベを作った。

 レモン果汁、砂糖、水、牛乳をどれも同量ずつ使ったのだが、ソルベというより、ジェラートだろうか。


 荷物はそれだけではなくて、収穫したばかりのラベンダーの蕾の袋に、今まさに咲いて、芳香を放つラベンダーの大鉢、挿し木をして、根が生えてきたばかりの苗がたくさん入っていた。

 リンと一緒に、庭師の一人がラベンダーの大鉢を動かしている。

 花が終わるまで、領主家族の部屋に鉢を配ってもらうよう、お願いしたところだ。


「苗の方は少し考えさせてください」


 ウィスタントンに持って帰るのなら鉢植えにするのだが、もらったラベンダーの大鉢は、ウィスタントンで育てているのと比べて、茎も太く、しっかりしている。

 気候を考えると、苗はこの離宮に植えてもらった方がいいのかもしれない。悩むところだ。


 庭師にとりあえずの世話をお願いして、リンは工房に戻っていった。

 これからピカピカの蒸留器を使って、ラベンダーの精油をとるつもりだった。

 



 

 昼頃になると、日差しを肌で感じるぐらいになり、リンはしっかりとショールを頭からかぶって、天幕へ向かった。

 気温はぐんぐんと上がるし、久しぶりの暑さはけっこう辛い。

 軽い布地を使ってあるとはいえ、リンは七分袖のドレス姿である。ブラマンジェ領のレースが手首を飾り涼し気だが、これ以上袖をまくるわけにも、スカートを短くするわけにもいかないのだ。

 まだなんとか耐えられるのは、湿度が低いからだろう。


 ウィスタントンの天幕前にはアイスクリームと冷たいドリンクの前に、長い列ができていた。

 リン達の乗った船には、頼まれて、追加のアイスクリームを載せてきている。

 内側の数か所に『涼風石』が置かれ、今日は『送風』ではなく、『紅葉散らし』の風をビュウビュウと出していた。

 天幕は大きく開いているとはいえ、日光を遮っていることもあり、だいぶ涼しく感じる。


「生き返る……」

「リンさん」


 その前に立ち、風を顔に受けていると、後ろから自分を呼ぶ声がした。

 振り返れば、同じようにお休みのローロともう一人、ハンター見習いのダイが、籠を背負って立っている。

 ハンター見習いの採集スタイルだが、王都の街中ではあまり見かけない。どこからか籠を調達してきたようだ。


「あれ、どこに採集に行くの?ローロも、お休みだよね?」

「俺達、リンさんと一緒に行く。騎士様に荷物を持たせるわけにいかないでしょ」


 ローロは背負った籠を指す。


「私と?でもねえ」

「俺もダイと、街を歩こうって言ってたんだよ。大丈夫。支払いの時は口を出さないから、計算の練習できるよ!」


 ローロがきっぱりといい、隣に立つダイもコクコクとうなずいた。

 リンは空を見上げて、計算はできるんだけど、と呟いた。


「わかった。じゃあ、お願いします。……あ、ライアン、私、今日は護衛いらないです。ウィスタントンの凄腕ハンター見習い二名を雇いますから!お昼ご飯もつけます!」


 リンはいいことを思いついた、というように、護衛を断った。


「ダメだ。その二人は荷物持ちだろう?手が空かなくて、どう護衛するのだ。別に連れていけ」

「大丈夫です。なにかあったら、サラマンダーにお願いしますから」


 ライアンは、リンの頭、ナナメ左上の辺りに視線を移し、ため息をついた。

 オグもじっと、そこを見ていたかと思うと、言った。


「あー、ライアン。俺が行く。リンがやらかしたら、見習いにも騎士にも止められんだろう。サラマンダーはもっとまずい」

「ただの買い物ですよ?何をやらかすって言うんです?」

「悪いな、オグ。頼む」


 今日の護衛が決まって、リンはローロの籠に冷室の木箱を入れた。買う物によっては、冷室で持って帰りたい。


「サントレナの天幕に持っていく、小さい木箱が来ていると思うんだけど」


 レモンのお礼に、領主夫人からの下賜として、領の銀製ボンボニエールに入った『アイスの実』を預かってきた。それ以外に天幕の人で分けられるように、レモン・ソルベのアイスクリームサンドを詰めてある。


「ああ、ここだ」

「じゃあ、これはダイの籠に」

「よし、行くか。まず、昼を食べてからだな。お前達、何を食べたい」

「芋煮」

「芋煮」


 ローロもダイも、即答だ。


「お前ら好きだなあ。……リンのおごりだし、別に芋煮じゃなくてもいいんだぞ」


 どうやら芋煮は安くておいしい、ハンター見習いの好物らしい。

 リンもオグの言葉に、他のものでもいいんだよ?と、コクコクとうなずく。


「芋煮がいいんだよ」

「ま、あれはうまいもんな。じゃあ、爺さんの店に行くか」


 そうしてリン達は、ライアンに手を振って、爺さんの芋煮を食べに天幕を出た。


 爺さんの芋煮は、味がしっかりと染みていて、おいしかった。

 じゃがいもの色は黄色くて、ねっとりと甘味がある。芋煮というが、肉も入っていて、洋風肉じゃがといったところか。


「こりゃあのう、煮てもくずれん芋でなあ。芋煮がいいじゃろ」


 その爺さんの息子がじゃがいもを作って売っているのだと聞いて、買い物はそこから始まった。

 

 騎士がついている時にはできない、食べ歩きを楽しみながら、広場をひと巡りして戻ってきた。

 ローロ達二人が持つ籠もいっぱいだ。ウィスタントンの天幕に届けてもらうことにしたものもある。

 あちこちの天幕で話し込み、夏野菜や、チーズ、ソーセージ、果物、と仕入れてきたリンは大喜びで『水の広場』へと戻ってきた。

 


「リン、こんなにどうすんだ」

「食べるんですよ?明日か、あさってに、飲み会なんですよね?」


 食べ物は食べるに決まっている。

 何を言っているんだ、というようにリンは答える。


「そういや、つまみになりそうな物も多かったな。楽しみだ」


 甲高い声が響き、見れば、水場の周囲を子供達が囲んで、水をかけあっている。

 どの子もびしょびしょだ。


「元気だなあ」

「さっき聞いたが、しばらくこの暑さが続くらしいぞ。こんなに暑いのは数年ぶりだそうだ」

「うわあ、きついですね。……天幕に戻ったら、アイスティーを飲みましょう」


 水遊びは冷たくて気持ちいいだろうなあと、眺めながらその脇を通る。


「ん?」


 通り過ぎた水場を振り返ると、はしゃぐ子ども達の後ろに、頭を下げて座り込んでいる男の子が見える。

 側には女性が屈みこんで、声をかけているようだ。


「オグさん、あれ」

「あ?……具合悪いみたいだな。暑さに負けたか?」


 ローロとダイに先に天幕に戻るように言い、オグは男の子の元へ駆けて行く。

 リンもその後を追いかけた。


「大丈夫ですか?息子さんかい?」

「少し前から頭が痛いって言っていたんですけど、あの、今、気持ち悪いと座り込んでしまって」


 女性は男の子の背中に手をあて、さすっている。


「今日は暑いからなあ。家はこの近くかい?」

「いえ、『火の広場』近くに宿が。あの、夫が大市で出店しておりまして。私達は、大市見物で、昨日、着いたばかりで」

「そうか……。じゃあ、とりあえず、あそこのウィスタントンの天幕へ行こう。ここよりは、いくらか涼しい」


 母親はオグを見上げると、何度も頭を下げた。

 オグはヒョイと男の子を抱き上げると、大股でさっさと歩いていく。

 リンと母親は、慌ててその後に付いた。


「ライアン、病人だ。そこの水場で座り込んでいた」


 天幕の奥を広く開けて、そこに寝かせる。

 リンは涼風を出しているシルフの像をつかんで、近くの棚に移した。

 男の子の顔は真っ赤だ。少し熱があるかもしれない。


「暑さ負けか」

「たぶんそうだろうな。大市に遊びに来て、疲れたのかもな。……お母さん、北の方からかい?」

「は、はい」


 息子の側にしゃがんでいた母親が顔を上げ、オグの言葉にうなずいた。

 その横に立つのがライアンだと気づいたらしく、身体を硬くして緊張している。


「それならば暑さに慣れていないか。リン、服を脱がしてやってくれ」


 リンは男の子の肩を叩き、声をかける。


「大丈夫?わかるかな?」


 男の子はうっすらと目を開けた。

 母親と二人、上着を脱がしていく。

 

「よかった。意識はあるね。……ローロ、お願い。そこの水差しの半分まで水を入れて、砂糖を大きいスプーンで二杯入れて、溶かしてくれる?えーと、天幕に塩はありましたっけ?」

「塩?うちにはないな。ラミントンで借りてくる」


 オグは天幕を飛び出していった。

 薬事ギルドのマドレーヌが、濡らした布を渡してくれ、顔と身体を拭いた。それだけでも少し、すっとするはずだ。


「持ち帰り用の『凍り石』セット、冷えていますよね?六個ください。マドレーヌさん、同じように布を固く絞って、あと六枚ください」


 リンはテキパキと指示を出していく。

 熱中症対策なら、ばっちりだ。


「冷たくて、気持ちがいいからね。すぐに楽になるよ」


 『凍り石』セットは、石が銅箱に収められ、すぐに使えるように冷えている。それを布で巻いて、首の横、両脇の下、太ももの付け根にあてて、冷やしていく。


「塩、もらってきたぞ」

「ください」


 オグから壷を受け取り、ローロの作った砂糖水に、塩をふたつまみ入れて、またよく混ぜる。

 簡単な経口補水液だ。


「砂糖と塩を入れるのか」


 リンのすることを興味深く眺めていたライアンが尋ねた。


「ええ。汗をかき、熱が出て、脱水症状になっています。水と一緒に、足りなくなったものを補うんです。こうすると身体が吸収しやすいんですって。……さ、これ、飲めるかな?」


 母親にグラスを渡して、男の子の背を支えて、起こす。


「この水差しに入った分は、休みながらでいいので、全部飲ませてください。あとは、ここで少し休んで様子を見ましょう」


 言いながらリンは立ちあがる。

 マドレーヌが母親の方には、アイスティーのグラスを渡した。


「リン様は、やはり、医学の心得もあるのでしょうか」


 マドレーヌも、ライアンのように、リンがしたことをしっかりと見ていた。


「医学は修めておりません。私の母国は暑く、あと、私自身が暑さに弱くて、それで対処法を」

「あのように冷やすのは、なぜだ?」

「ん?あの部位は太い血管が通っていて、そこを冷やすと効果的だと聞きました」

「リンの国は雷の使用法だけではなく、医学も進んでいたか。そうだろうな」


 話を聞いていたオグが声をかけた。


「ライアン、暑くなる話を聞いたか?これから病人が増えるんじゃねえか」

「ああ。海の温度がだいぶ高いと聞いた。対策を考えねばまずいな。リン、対処法はわかった。他に気をつけることは?」

「屋内外のどちらでも、こまめに水分・塩分を補給し、休憩をしっかりとって、予防することでしょうか。高齢者と年少者は特に注意して、ひどくなる前に治すのが大事です。あと、『涼風石』『凍り石』、使えると思いますよ。あ!水分補給といっても、ビールやミードはダメです。対象外」


 ライアンは考え込んだ。


「まず必要情報を案内し、不足なのは、砂糖、救護所、精霊道具、か」

「そうでございますね。薬事ギルドを救護所にするように、掛け合いますが」

「ハンターズギルドにも伝えるぜ。あー、トゥイルは、今日休みか?どうせ宿舎で在庫確認でもしているはずだ。呼ぼう」


 オグはそういって、学生寮にダイを走らせた。


「いくつかのギルドで救護所を開いてもらおう。対処を見ると、男女別の部屋が好ましい。可能であれば、各広場の天幕や店でも受け入れられれば良いが。『水の広場』はここだ」

「ラミントンも大丈夫だと思うぞ。文官が常駐している。足りなければ、学生寮も誰かを置いてもらえばいい。ベッドもあるしな」

「リン様の水を救護所で用意させれば、よろしいですね」

「ああ。砂糖はウィスタントンの在庫から出す。リンの水のレシピを配って」

「あのー、あれは、経口補水液。補水液っていうんですよ。私の水じゃなくて」


 ライアン、オグ、マドレーヌで、話をどんどん進めていくが、しっかり訂正しておかなければならない。

 訂正して、リンは男の子の側にしゃがみ込んだ。

 水を半分ぐらい飲んで、少し楽になったのか、また目を閉じて横になっている。

 さっきより表情も呼吸も穏やかで、母親も安心したようだ。


「参りました!」


 トゥイルが天幕に飛び込んでくる。

 簡単に話をきくと、大きくうなずいた。


「商業ギルドの本部担当者を呼んできます。『涼風石』『凍り石』も商業ギルドで、数を確保しているはずですが、確認します」

「ああ。春の大市でしたように、すべての天幕に貸し出したい。私は王宮へシルフを飛ばす。シムネル、離宮に砂糖の件で連絡を」

「じゃあ、俺たちはそれぞれのギルドだな」


 皆が動き始める。

 オグが天幕を出ていく時に、ニヤリと笑った。


「そうだ。ライアン、あちこちから問い合わせがあると思うぜ。リンが、いろいろやらかしていたからな」


 全く身に覚えのないリンは、目を丸くした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
MFブックス様より「お茶屋さんは賢者見習い 3」が11月25日に発売となります。

お茶屋さんは賢者見習い 3 書影
どうぞよろしくお願いします!

MFブックス様公式
KADOKAWA様公式

巴里の黒猫twitterでも更新などお知らせしています。


― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ