A renewed name / スパイスの国、改め
「初日から盛況のようだな」
表の空気がざわりと揺れたな、と思ったら、外から声が聞こえた。
衝立の陰から見ると、護衛を従え、慣れた様子で天幕に入ってきたのはタブレットだ。
クナーファ商会のロクムが従者と共に続き、ライアンとリンに丁寧に頭を下げた。
「ちょうどリンが、変わった茶を入れるところだ」
「いい時に来たな」
ライアンが衝立の裏へと誘うと、タブレットはニヤリと笑う。
精霊のアイスクリームをもう一つの応接テーブルに移し、タブレットとロクムの場所を作ると、従者は持ってきた荷物を文官に預けて帰っていった。
「シロは?連れて来ていないのか?」
タブレットがさっと天幕内に視線を走らせて聞いた。リンは、タブレットがシロを気に入っていて、天幕に遊びに来ては、懐かせようとシロップをあげていたのを知っている。シロもそれを狙って、タブレットが来るとその足元に寄っていくのだ。
「淋しいですよねえ。シロに会いたがってくださる方には、特別にこれを差し上げましょう」
リンは、お茶が出るまで、と、自分用にと作ったサブレを出した。
「これはシロか!リン、こんなものまで作ったのか」
タブレットのこらえきれていない笑いが、肩にヒクヒクと表れている。
リン以外には、犬が口を開けている形に見えるらしいが、これはシロだ。
焼き加減も白っぽくなるように、こだわっている。
「かわいいでしょう?シロサブレです」
すり白ごまをたっぷりと使い、香ばしく、一枚食べたら手が止まらなくなる。
ごまは輸入品で原価が高くなるが、価格を調整してシロサブレを天幕で売るかどうか、悩むところだ。
ライアンは「変わった茶」と言ったが、変わっているのは茶ではなく、茶器である。
ラミントンに作ってもらった、新しい中国茶用の茶器だ。手元に届いて以来、出立の準備に慌ただしく、ライアンとお茶をのんびりと楽しむ余裕がなかった。
テーブルの上には、白く湯気の上がる銅のケトルが据えられ、シュウシュウ、カタカタとかすかに音を立てている。『温め石』の大きさを変えて、湯がふつふつと沸き続けるように調節してもらった特注ケトルだ。
リンの前には白い、変わった形の磁器がいくつも並んでいる。
サブレをかじりながら、リンが空の茶碗をそれぞれの前に置くのを、タブレットもロクムも不思議そうに見た。
「これは子供用か?」
「違いますよ。こういうものなんです」
皆がそう思うのはわかる。
指先で持つ、ままごとの茶碗のように小さなカップだ。取り上げて眺めるタブレットの指に、大半が隠れてしまう。
細長く、背の高い、香り用の聞香杯と、飲むための小さな茶杯には、五枚花弁のフォレスト・アネモネが、薄く浮き上がって見える。花びら形の曲線が美しい茶托の上に、その二つのカップがちょこんと載っている。
リンの前にあるトレイの上にも、置いてあるのは大きなティーポットではなく、蓋付きの茶碗、蓋杯だ。
リンは蓋杯の中に、黒褐色で、長細いねじれた茶葉を入れると、シュンシュンと沸いたお湯を注いだ。
今日のお茶は福建省の烏龍茶、水金亀だ。
焙煎されたお茶だが、作られて十年は経っており、最初は強かった焙煎の香りが消えて、茶葉本来の果実や花の香りがでているはずだ。
新しい茶器なら、一瞬で移り変わっていく繊細な香りを、しっかりと楽しめる。
「この細長い方のカップで香りを楽しんで、隣の小さい方で味わうんです」
「それにしても、小さいだろう」
リンが茶葉を湿らせ、その湯をこぼして捨てると、それだけでふわりと香りが立ち上がった。
蓋杯に再度、沸騰したお湯を注ぐ。
「これは鉄観音茶のように香ばしいな」
ライアンは自分の好きな焙煎の香りに、目を細めた。
「茶葉の品種も、生産地域も、作り方も違うんですけどね」
銅のケトルを静かに戻し、ゆったりと待つ。時折、蓋杯の蓋で、ゆっくりと茶の水面を撫でるようにリンの手が動いた後、蓋の裏の香りを確認する。
すべてが流れるような、儀式のように静かな動きを、シンとして見守っている。
衝立の向こうの騒めきとは反対に、天幕の奥のリンの周囲は、そこだけ空間が切り取られているようだ。
リンは蓋杯の蓋を少しずらして閉め、隙間から、隣の茶海と呼ばれるピッチャーのような茶器に茶を注ぎ入れた。
綺麗な金茶色をしたお茶で、香ばしく、さっきよりも濃厚な香りが立ち上がる。
リンは手を伸ばして、それぞれの前に置かれた背の高い聞香杯に茶をついだ。ちょうど四名分でぴったりと注ぎ終わる。
「さ、細長い方のカップを手に取って、まず香りを楽しんでください。……この状態では、ウッディで香ばしい香りが一番強いでしょう?じゃあ、中の茶を隣のカップに移したら、空のカップを鼻にあてて、なるべく長く香りを嗅いでください。皆で同時にやりますよ。……いいですか?はい!」
リンの合図で三人は言われた通りに、茶を隣のカップに空けて、すぐに空のカップを鼻にあてた。
「フルーツの香りがでてきましたね。ん、ポメローに、プルーン。シンビジウムに水仙の花の香り。わー、すごい。どんどん香りが甘くなりますね。……これはタマリンド。わかりますか?」
男性三人は変化していく香りに目を見開き、鼻から聞香杯を離しそうになり、慌ててまた近づけた。リンの口から出る単語には、聞いたことがないものもあるが、コクコクとうなずきながら、香りを嗅いでいる。
「驚いたな。話は聞いていたが、このように変化するとは」
「なぜ空のカップの中で香りが変わるのだ?」
「面白いでしょう?烏龍茶はこの細長いカップを使うと、これが楽しめるんです。さ、どうぞ飲んでください」
リンも自分のお茶を飲みながら、もう一度茶葉の上にお湯を注いだ。
大きなティーポットと違い、蓋杯を使うと、お茶を入れる人間は忙しい。
「……これはずいぶんと余韻の長い茶だな」
「ああ。香りがまだ口の中に残っている」
「今までに飲んだことがない味です。こちらも素晴らしい」
男性的で複雑な香りのお茶だからか、三人は気に入ったようだ。
リンのショップのお客さんでも、ボディのしっかりとしたワインを好む男性が、このお茶を購入していたと思う。
今年作ったばかりの茶葉も仕入れてきたから、数年後、香りが落ち着く頃が楽しみだ。
茶をしっかりと堪能してから、タブレットが本来の用件をきりだした。
「リン、先ほどの木箱だが、セサミオイルが入っている。三種類あるので、確認してくれ」
「三種!?すごいですね。わかりました」
「試食の時は、招いてくれてもかまわんぞ」
タブレットはニヤリと笑った。
「じゃあ、飲み会の時にでも、考えますね」
「楽しみだ。……それから、ニュースだ」
「やっと教えてもらえるのか」
「ああ。驚くぞ。正式発表はまだなのだが……」
ライアンはその言葉に、少し待て、と、タブレットを制して、風の壁を立ち上げた。
「クナーファ商会の仲介で決まったことなのだが……」
タブレットはチラリとロクムの方を見て、ウン、と、うなずき、話し始めた。
「我が『スパイスの国』から、さらに船で行ったところに『砂糖の島』がある。まあ、本当はラウラという名前の島だが。砂糖の生産で食べているような島だ。クナーファの船が砂糖を買い上げ、生活物資を持って行くことで、なんとか生活ができているようなところがある」
「唯一の砂糖の産地ということで、安定していたのですが、大陸で砂糖が生産されたことで危機感を覚えたようで、クナーファ商会が相談されたのです」
リンはライアンと顔を見合わせた。
ヴァルスミア・シュガーの流通量と価格は、ライアンが文官とずいぶん調査して設定したと聞いたし、こんなにもすぐ、影響がでるとは思ってもみなかった。
「島の経済を脅かすことになってしまったか」
ライアンは難しい顔をしている。
「砂糖の値が崩れたわけでもないし、ロクムが言うには、バニラ豆の販売が伸びればカバーできる程度だそうだ。まあ、一つの産物のみに頼りきるのも危ないのだ。昔から出たり消えたりした話で、ちょうどいい機会だったのだよ」
「……?」
「タブレット、もったいぶらずに言ったらどうだ」
ライアンがタブレットをうながした。
「『砂糖の島』は『スパイスの国』に統合されることになった」
「えっ」
「そうか。島民の生活が安定するいい話ではないか。其方の下なら安心だろう」
「ああ。私なら価格にせよ、流通にせよ、大陸の諸侯と直接話して決めることができる。まあ、正式な調印は、秋の大市の後に私が戻ってからになるが」
「じゃあ、バニラも砂糖も、今後は『スパイスの国』産ってことになるんですね」
「ああ。次の春には、我が国は『砂糖とスパイスの国』だな」
『砂糖とスパイスの国』。なんていい響きだろう。
バニラに砂糖、シナモンにジンジャー、クローブ、がそろったら。
アップルパイに、パンプキンケーキ、なめらかプリンに、ジンジャーブレッド、秋になったら作りたいと思っているお菓子が、全部作れる。
「……いいですねえ。『お菓子の国』ではないですか。羨ましい」
「『菓子の国』か。うまそうだ。いいな。春からはそれでいこう」
タブレットはうんうん、と、うなずいている。
もしかして、と思ってはいたが、案外、甘党なのかもしれない。
「そんな簡単に国の通称を変えるのは……」
「セサミの入った菓子もあることがわかったしな。砂糖とスパイスだけではない『菓子の国』。いいではないか」
「リン、かまわぬと思うぞ。『スパイスの国』というのも、元はといえば、タブレットが言い出したのだからな」
長の命名であるのなら、どうりで『スパイスの国』と大っぴらに呼んでも、怒られないはずである。
ふと気づいた。『砂糖の島』がタブレットの下に入るなら、ラム酒も造ってもらえるかもしれない。
そしたら、絶対に、ラム&レーズンアイスに、ラム&レーズンサンドに、洋梨のクリームブリュレにもラム酒を利かせて、ああ、それに、ラム&バターがとろけるパンケーキを真っ先に作ろう。
「砂糖の搾りかすから『ラム酒』ができたら、それもお菓子に使えますしね」
確かにぴったりの、いい名前ではないか、と、リンは新しい菓子への期待にコクコクとうなずいた。
こうして正式名称『タヒーナ タブラレア カシ タルム国』の来春からの呼び名が決まったのだが、リンは新しい産物や商売の利、なにより『酒』を逃さない男たちに、ラム酒について知っていることをすべて話す羽目になった。





