To the Capital / 街へでる
夏の大市が始まる日、リンは早朝に出かける支度を整えた。
リンだけではない。
アマンドにブルダルー、文官達も、大市の天幕へ運ぶ荷物を準備し、離宮の前に停まった馬車に積み込んでいる。
大した距離ではないが、荷物があるので、ここから王宮の森を抜けた船門までは馬車、そこから船で下って、街の船門へ入ることになる。
「うっふふふっふ」
今日は袖の短い、動きやすい服だし、いよいよ王都の街中へ行けるとあって、昨日とうってかわって、心が弾む。
こんなに早く朝食をとるのはライアンとリンだけのようで、家族の食事室には、使用人を除けば二人だけだ。
その食卓で、うきうきしているリンに、ライアンは大事な注意を与えた。
「リン、館の外に出るときは、必ず護衛を待ってくれ。交代で二名が付く。街中でも一緒だ」
「……」
ライアンの視線を追ってチラリと見れば、壁際にはフログナルドと、あと六名の騎士が控えている。
リンは床の上に視線を這わすが、見慣れたかわいい姿はない。
「探してもシロはいないぞ」
「……知ってますよ。護衛の方がいる方が、街では目立つと思うんですけど」
「ここはヴァルスミアと違って、誰もが知り合いで、住む者の顔がすべてわかるわけではない。私やオグが、常に天幕にいられるわけでもないのだ」
「リン様が護衛をお厭いになるのは存じておりますが、なるべくお邪魔にならない位置におりますので、どうか」
フログナルドにも丁寧に言われれば、わがままだとわかっていて、嫌だというわけにもいかない。こちらが守ってもらう方で、お願いされるのが変なのだ。
逆に、ご迷惑をおかけします、と、丁寧にお願いをした。
次にライアンが説明したのが、『水の浄化石』の使い方である。
「『浄化石』は、水に触れると効果がでる」
ライアンは自分の水のグラスに『水の浄化石』をポトリと落とした。
「清き水に入れても、このように何も変化はない」
グラスの底で、石は静かに青白い光をほのめかせている。
リンはそれを見て、コクリとうなずいた。
「これが汚れのある水だと、違う」
同じグラスに、ライアンはテーブルに置いてある塩を摘まんで入れた。
塩が沈んでいくのが見えたとたんに、中の石が青の色を強く放った。
「わあ」
思わずリンは、グラスからライアンの顔に視線を上げた。
「この反応は、水が汚れているということだ。そのまま見ていてくれ」
青の色を強くした石は、今度は白くキラキラとした光を発し、グラスの水を覆ったかと思うと、すぐにその色を消した。一瞬の輝きは、『浄化石』を作った時に湧き水からあふれた、白い光に似ていたように思える。
光のスペクタクルを見せた後、『浄化石』はまた元のように、静かな青白い光を保つだけに戻った。
「これが月の浄化の光だと言われている。汚れた水に入れると、まず青が濃くなり、その後に今のような浄化の光を放つ。元に戻ったら、浄化が完了し、清き水となったことを意味する。今回は少量の塩を入れただけだから、すぐに終わったが」
「……なんかすごいですね」
「元の『浄化石』から青白い光が消えたら、その石はもう使えぬ。蓄えた月の光を使い切ったということだ」
リンは『浄化石』を見つめたまま、コクコクとうなずくばかりだ。
「リンがこれから気をつけなければいけないものには、毒物や薬物が含まれる」
いきなりの怖い話に、リンはライアンの顔をじっと見た。
悪い物を食べての、食中毒の話ではない。意図的に入れられる毒物や薬物の話で、ラミントンの船の中で、グラッセに聞いてはいたが、どこか自分から遠いところにある話だと思っていた。
今までリンにとって、毒物なんて、テレビドラマの中だけで見る話でしかなかったのだ。
「街の食堂や屋台で食べる物は、そう注意しなくても大丈夫だ。もちろん、館も」
「注意するのは、貴族ですよね」
「そうだ。お茶会に出ることがあれば、注意が必要になる。相手が口に入れるのを確認してから、食べる、飲む。こちらが招待すれば、逆だ」
「毒見ですか」
「そうだ。こちらが招待した時に、もし相手が、自分との皿替えを希望したら、応じること。同様に、こちらから願うこともできる。相手が自分専用の磁器やグラスを持ち込むこともある」
相手から出された皿を使うことが、相手を信用しているという意思表示になるし、ホスト側も、水差しの底に小さな『浄化石』を入れて、問題ないことを示したりもするという。
「そこまでするんですか」
「まあ、そこまでするのは、係争関係にある領地の領主会談ぐらいだ。お茶会などでは、相手が口を付けてからという点だけ守っていれば良いのだが……」
「だが?」
「何事も用心するに越したことはない。疑いがあるようなら、そのブレスレットの『すべての浄化石』を使うと良い。少々常識外れの石ではあるが、同じように役に立つだろう」
「少々、ではなかった気がしますけど。王室献上級じゃなかったでしたっけ?」
「まあ、精霊の気まぐれでできたものだ」
リンはグラッセの話を思い出し、口を尖らし、眉を寄せた。
「ホント、陰険で、嫌ですよね。お茶会で薬物なんて。お茶は楽しむものなのに。お茶への冒涜です」
「憤るポイントはそこではない。ああ、『浄化石』を使うと、茶は飲めなくなる」
「ん?なんでですか?」
「お茶が汚れとして認識され、透明な湯に変わる。赤ワインが水になったことがあるぞ」
リンはポカンと口を開けた。
薬物だけ消すとか、うまくいかないのだろうか。
「……『水の浄化石』って、意外と使い道が限られますね」
「本来は濁って飲めないような水を、清き水に浄化してくれる石だ。そのような地に住む民にとって、まさに精霊の加護の賜だ。天の女神とオンディーヌが与えてくださる水の恵みに、薬物を放り込むような愚か者に対応する石ではないのだ」
確かにその通りだ。
お茶が水になっても、それは精霊のせいではない。
お茶を水にしなければいけないような状況を、作った人間が愚かなのだ。
「オンディーヌ、ごめんね」
リンは、失礼なことを言った、と、オンディーヌに謝った。
準備が整えられた小舟はタチェーレ川を下り、王都城壁の船門に、ゆっくりと接岸を始めた。
港のある下流の方から上がってくる船は多く、接岸の順を待って列を成しているが、王宮のある上流から来るのは、リン達の乗る一隻だけである。
『船門』には、開門していることを知らせる、王領の紋章が織られた旗が揚がっている。
「ウィスタントンの紋ですよね。……なんで来た時に気づかなかったんだろう」
「船内にいたからな。それに、これは叔父上の、国王の紋だ。似ているようだが、上に頂く王冠の形が、父上の紋と少し違うだろう?」
じっくりと見ると、確かに王冠の厚みが違うように思える。
術師に誘導された船が静かに接岸し、門を守る騎士や文官が一斉に頭を下げるのが見えた。
「ライアン、リン」
先に連絡がいっていたようだ。
オグが岸壁に、ハンター見習い達を連れて立っている。ローロの顔も後ろに見えた。
「「おはようございます」」
タラップを降りたリン達と入れ違いに、見習い達は元気よく挨拶をして船に乗り込み、荷下ろしを手伝い始めた。
他の船でも、同じように荷の上げ下ろし作業が行われている。邪魔にならないように、リン達は歩き始めた。
「いよいよだな」
「ええ、楽しみですね」
「ウィスタントンは『水の広場』だ。もうほとんど用意は整っているぞ」
オグはずっと街にいて、見習い達に王都を案内したり、天幕の準備を手伝っていたのだ。
「水か。オグ、助かった」
「ああ。二人とも、見たら、いろいろ驚くと思うぜ」
「驚く?」
「いろいろって?」
オグはニヤリと笑った。
「見てのお楽しみだ」
ヴァルスミアと同じような、薄暗い、厚い石の城壁をくぐり抜けると、目の前は王都の街だ。
「わあ。すごい」
リンは思わず立ち止まった。
道が広い。人が多い。馬車も多い。
木の海の音ではなく、街の音がする。
春の大市の時もヴァルスミアの人口が膨らんだが、それとは比べものにならないぐらいの賑わいだ。
ヴァルスミアではそれほど見かけなかった馬車が行き交っている。
道の両脇に建ち並ぶ家も、ヴァルスミアでは三階建てだが、ここでは、四階建て、その上に小さい窓があるので、もしかしたら五階建てなのかもしれない。
「驚いたか?人が多いからな。気をつけないと、リンなんか埋もれちまうんじゃねえか」
オグは少し先を行きながら、憎まれ口を叩き、リンは、ライアンと護衛に挟まれながら歩いている。
ここにいる誰も、リンがこの何倍も大きな都市から来た事を知らないだろう。
半年以上振りの賑わいは、全く違う世界で、眺めも同じものはないのに、どこか懐かしかった。
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今まで「テント」と書いてきましたが、「天幕」という呼び方が気に入ったため(笑)、天幕と変更しております。突然変えてすみません。天幕=テントだとお考えください。





