おまけ:Voice on the wings of the wind / 風が運ぶ声
ライアンとリンが庭へと出て行った後の『白の間』では、息を吹き返したかのように、一斉に皆が話し始めていた。
檀上では、フロランタンが、こめかみに指をあてている。
隣に立つシュゼットが、それに気づいてそっと声をかけた。
「フロランタン、大丈夫かしら」
「『冷風石』のおかげで、今日はここに風があるからね。声がいつもより響くようだよ」
特に祝詞を使わなくても、少し風の流れに集中して耳をすませば、声がころがり落ちてくる。
『賢者は御立派になりましたなあ』
『あの方、堂々とされていたわね。……でも、恥ずかしくないのかしら』
『ライアン様、肖像画と同じで素敵だわ。凛々しくていらっしゃるのね』
『いくらご寵愛が深いとはいえ、このような場所にまで連れて来るとは、なあ』
『今度は王都が、彼女の像で埋まるのではないかね』
『まだ子供なのに、ずいぶんと世渡りがお上手な方なのねえ』
『今代の賢者殿だ。あの方のように立派な術師になりなさい』
ふと見れば、ホールの隅に立つシムネルも眉間をもんでいるから、情報収集中のようである。
一斉に口を開きだした者達の中で、口を閉じて立ちつくし、動かない者が見えるが、各領の領主側近である風の術師が、声を拾っているのだろう。
「風の術師は、耳のいい方が多いのでしょう?」
「ああ。聞きたくないものも聞こえるのが、辛いところだね」
「兄様がいつも言っていたわ。『気をつけよ。悪口ほどシルフが飛ばす』って」
「全くそのとおりだね。ライアンはそれにシルフの声も拾うから、うるさいほどだろうよ。……さ、私達も行こうか」
うるさいだけではなく、かなり不快な思いもしただろう。
貴族からの挨拶を受けるべく、フロランタンはシュゼットに手を差し出した。
長い挨拶の列をさばき終えたウィスタントンの一族、つまり、国王と公爵家族が『青の間』に集まり、ようやく食事を取っていた。
「……ライアンは、リンを連れて、もう帰ったみたいだよ」
席を立ち、ライアンからのシルフを受けたフロランタンが言った。
「おや」
「ライアンめ、ひとこと言っていけば良いものを」
「まあ、兄様ったら」
「ほう。素早いな」
社交もせずにさっさと帰ったライアンに、国王に、公爵、シュゼットがあっけにとられ、シブーストは感心しているようにも見える。
「言ったら、引き留めるでしょう? せっかくだから、リンに薔薇園を見せながら帰るって」
「……逃げたか。オランジェット、久しぶりなのに、すまぬな」
公爵はライアンの父として、弟に謝った。
「兄上、かまいませんよ。大賢者も建国祭の儀式以外、社交はしませんので」
「だが、其方、ライアンやリンと話したかったのではないか?」
「夏の間滞在してくれるのですから、また別の機会に」
「他にも交流したい者があったのではないかと思うが、アレが立ち去るということは、望ましくないと判断したのであろうな」
実際に今日挨拶を受けた時も、ウィスタントンから発表された物産や道具に探りを入れ、その手腕を褒めたたえ、同時にライアンやリンの招待を言い出すものが多かった。多いというより、そればかりと言ったほうがいいだろう。
「伯父上、ライアンはともかく、リンとの交流は、もう少し諸侯の様子を見てからの方が良いようです」
国王と公爵が話しているところに、フロランタンが言葉を挟んだ。
「ほう。シルフは、美しい言の葉を運ばなかったか」
「ライアンはともかく、リンについては、あまり。ライアンとの噂だけが先行し、リンが何を成し遂げ、もたらしたかを知らぬ者も多いのでしょう。リンは作ったものに、自身の名を付けてはおりませんし」
諸侯の間で話題となっている、ブラシに、石鹸やクリーム、ヴァルスミア・シロップと砂糖、それに、今、外の天幕で驚きの声があがっている料理やデザートまで、誰が考案したのかを知れば、全く違った反応になるだろうに。
「春の大市では、リンに会いたいという声も多かったのだが」
「大市に出向いた、領政に携わる文官達の認識と違うのでしょう。王都は遠く、様々な噂が混じりあって届きますから。それに嫉妬や蔑みも加わり、聞いていて耳を押さえたくなるほどでした。シルフもあのように醜い言葉ばかりを運ぶのは嫌だったでしょうね。……ライアンがリンを近づけないのは、当然です」
フロランタンの言葉に、その場にいるウィスタントン一族が全員顔を曇らせた。
「少なくとも、もう少しリンに対して好意的な声が出なければ、会わせる必要もないでしょう」
社交の初日だ。
どの領も風の術師が、同じように耳を澄ませていただろう。
拾われた声は、それぞれの主に伝えられる。
二人の態度を見て、周囲の声と合わせて、どのように判断して動くだろうか。
声は風で増幅するし、消されもするのだ。
国王は自分の皿に載った、チーズムースを口に入れた。
ヴァルスミア・シロップとレモンを使ってあり、爽やかで、軽やかなデザートだ。
氷を使わなくてもいい『冷し石』のおかげで、夏に涼やかな、冷たい料理とデザートが多く提供されている。
配膳人が忙しく動く天幕から、ざわざわと驚きの声があがるのが、風の術師ではない国王の耳にも届いている。
国王はふうと息を吐いて言った。
「もともと、賢者とは、精霊のように自由であるべき者。精霊と交流し、その加護を願い、国と民のために力を使う者。ライアンは十分すぎる程に、その役目を果たしておりますよ。……もちろん、まだ、人の間で、賢者と認められていないリンも」
「精霊が認めている者を、人が認めぬというのも、おかしな話であろうな」
「……精霊は魂を見るのですよ。人は、人が作りあげた地位や身分、幻像に虚像、そういったものを見る」
国王に続き、公爵と王子も続いて言う。
文官が側にひざまずいた。
これから男女別室に別れて社交が行われるが、それにしても少し早い。
「どうした」
「お邪魔を致しまして申し訳ございません。新しい精霊道具にレシピ、それから、王妃陛下、ならびにウィスタントン公爵夫人殿下がお持ちの装身具につきまして、問い合わせが続いております。どのように応対すれば良いかと」
ウィスタントン一族が、テーブルで目を見かわした。
すべてリンとライアンが開発したものである。
「賢者と人の間をつなぐのも、我々の役目であろうな」
「ええ、それに家族は助け合うものです」
「この後の社交にて回答すると伝えよ。『太陽の間』『薔薇の間』へ集うように」





