Gaze 2 / 視線 2
お茶の前に、まず腹ごしらえだ。
ビュッフェ形式のガーデンパーティで、王宮の庭に面した部屋もすべて開放されている。天幕の下、真っ白なクロスを掛けられたテーブルがあちらこちらに置かれ、皆が自由に移動して、食事や散策を楽しめるようだ。
料理も小ぶりで美しく、食べやすく考えられたものが多い。
リンがブルダルーと一緒に考えた、夏向きの料理も多く採用されていた。
フック・ノーズのカナッペ、海老と夏野菜のアヒージョ、小魚の南蛮漬けと、魚介料理もあって、リンは真っ先にそれを選んだ。
「師匠、私にはこれ、小魚の南蛮漬けと、フック・ノーズのカナッペ、野菜のオープンオムレツ、あと、鶏のバロティーヌで」
緊張が解けて、一気にお腹が空いた気がする。
「かしこまりました、リン嬢ちゃま。……ライアン坊ちゃま、あちらにボリュームのあるものもございますので」
ブルダルーがいる天幕には、前菜として軽めの料理が多いが、隅にはかまどが作られ、大きな肉の塊が焼かれているのが見える。しっかりと食べたい男性でも、量が足りないことはないだろう。
「いや、大丈夫だ。……見たことのないものがあるな」
「リン嬢ちゃまの新作でございますよ」
「そうか。では、そのナンバン……?」
「南蛮漬け」
「ナンバンヅケと、バロティーヌを貰おう。ああ、チーズも入れてくれ」
ライアンはまだ食べたことのないものを選ぶと、好みのスモークチーズのカナッペもしっかりと頼んだ。上にサントレナのレモンを飾った、ライアンの定番つまみだ。
「よう。二人で目立っているな」
かけられた声に振り向くと、『スパイスの国』の長、タブレット・タヒーナが立っていた。
白地に、自分の瞳と同じゴールドとブルーの刺繍が豪華な衣装で、腰にはターメリックで染めた、黄色のサッシュを巻いている。華やかな衣装だが、それ以上に華やかなのがタブレット自身である。
目立っていると、タブレットだけには言われたくない。
今もあちらこちらから、主に女性からの熱い眼差しを集めているが、そんな視線をものともしないのがタブレットだ。
リンなどとは場数が違う。
「望んではいないがな」
「王都でお前の顔を見れるとはな。リンも、久しぶりだ」
「お久しぶりです」
「其方、ひとりか。夫人はどうした」
社交は夫婦同伴なため、夏の社交と、それに続く秋の大市は、毎年第一夫人を同伴していたはずである。
「戻ったら、腹に子がいると言われてな。さすがに長旅は無理だ」
「そうか。それは喜ばしいな」
「おめでとうございます!」
「ああ」
タブレットはニヤリとしながらライアンに近づき、耳元でボソリと言った。
「面白い話を聞いたが。こちらも祝いをいうべきか?」
明らかにからかっているタブレットを、ライアンは横目でジロリと睨んだ。
王都に到着したばかりだろうに、耳が早すぎる。
「全くどこから出た話なのか。おかげで視線がうるさい」
「関心を寄せられているのは、それだけが理由じゃないだろう?てっきりお前が、牽制のために流した噂かと思ったがな」
「そのような面倒なことはせぬ」
「ま、あのドレスだけで十分か」
東屋を指差してアマンドと話をしているリンに、チラリと視線を向けた。
シュトレンが、少し離れた東屋のひとつに席を整えたようだ。
「準備ができたみたいですよ」
「タブレットも一緒にどうだ?」
「邪魔はしたくないが」
タブレットの声は、まだからかいを含んでいる。
「其方がいると、他の者が話しかけてこないので助かる」
「お、壁か?今度は私の番だな。よし、任せろ」
国の長と話している時に、割り込んで来る者はいない。
ライアンのひどい言い草にリンはあっけにとられたが、タブレットはニヤリと笑っている。この二人は、いつもお互いに壁役を務めているのだろう。
タブレットは、リンのレシピを使った料理をくれ、と、大雑把に注文している。
他の天幕より少し離れたところにある東屋は、美しい薔薇園が目の前にあり、心地よい風が感じられる特等席である。何より人目が遠くなり、ほっとする。
東屋に落ち着き、庭を眺めると、ほとんどの者が挨拶回りを優先するのか、リン達のように食べ始めるものはいなかった。
ライアンとタブレットは白ワイン、リンはシロップのミードにレモン果汁をたっぷりと搾ってもらい、乾杯だ。
「再会を祝して。ドルーと精霊に」
「「ドルーと精霊に」」
リンはブルダルーに渡したレシピのひとつ、南蛮漬けを口に入れた。
小魚を揚げて、玉ねぎ、パプリカ、キュウリ、豆といった夏野菜と一緒に、ピリ辛で甘酸っぱい南蛮酢に漬けこんである。出汁も醤油も使ってないから、洋風南蛮漬け、エスカベッシュと呼ぶべきだっただろうか。
そう思っても、もう遅い。
料理人にも耳慣れない響きだったようで、ナン・バン・ヅケ、ナン・バン・ヅケ、と、お経のような変なリズムをつけて唱え、覚えてしまった後だ。
王領の港で揚がった鰯に似た青魚だが、傷みやすく、『冷し石』ができる前には地元でだけ食べられていたようだ。
漬け込んだ野菜と一緒に一口噛むと、小魚の脂と旨み、まろやかな南蛮酢があふれた。昨日から漬け込んであるから、味が染みて馴染んでいて、ほろりと崩れそうなほどに柔らかい。おまけにしんなりとした野菜は甘く感じる。
「ん。おいし。ふふふふふ」
久しぶりの青魚のおいしさに、リンは思わず笑いだしてしまった。
「ナンバンヅケというのは、さっぱりとしているな。この程よく辛いのもいい」
「夏にはぴったりでしょう?これ、おつまみにもいいですよ」
「……ワインも悪くないが、ビールも合うか」
ライアンは合う酒を考えている。
順調に好きなつまみを増やしているようで、なによりだ。
「そうですね。油があるから、意外と軽めの赤ワインも悪くなかったですよ」
「ほう」
島国の長で、リンのように魚に恋焦がれないタブレットは、鶏の唐揚げを口に放りこんでいる。
「ガーリックだな」
「ええ。ガーリックあり、と、なし、で二種類あるはずです」
「タブレット、それは添えてあるレモンを搾るとうまいぞ」
「こうか?これはなんだ?」
「ポテトサラダですよ」
「マヨネーズソースがいいだろう?」
タブレットの質問に、リンの料理を恐らくブルダルーの次によく知っているライアンが、うまいぞ、と答える。
これだから皆に、自慢していると言われるのだと、ライアンは全くわかっていない。
「リン、シー・ヘリソンは出さなかったのか」
塩うにを気に入ったライアンが、若干残念そうに言う。
「んー、あれはラミントンから披露する方がいいかなと思って。タルタルソースも」
「そうか」
「シー・ヘリソンだと?うまいのか?」
「ああ。見た目を味が裏切るのだ。かなり酒がすすむ」
「船で食べ切っちゃいましたし、次の船で持ってきてもらったらどうですか?」
「そうだな。タブレット、届いたら飲もう」
「ああ、楽しみだな」
再会してすぐ、酒の約束をしている二人をよそに、リンはせっせと食べている。
鶏肉でドライフルーツを巻き込んだバロティーヌも、リンのレシピが基になっている。それにブルダルーがスプルース・ビネガーに、季節のフレッシュベリーを加えて作ったソースがほんのりと甘く、爽やかで、夏らしく仕上がっている。
「おいしい」
「ああ、うまいな」
前菜でだいぶお腹いっぱいになったリンは、クレソンのポタージュを頼み、ライアンとタブレットは、メインにローストビーフを選んだ。
「あ、そういえば。手紙にあった、驚くようなニュースってなんでしょうか」
「ああ。あれか」
そこでタブレットはニヤリとした。
「ヒミツだ」
「えええっ」
ニュースがあると知らせておいて、秘密だとは、なんということだ。
からかうようなその答えに、ライアンも眉をひそめた。
「タブレット……」
「まあ、待て。ロクムのいる場で話がしたい。明日の大市で教えよう」
「大市に出るのか?社交は?」
「第一夫人もいないし、大市に顔を出すことも多いだろう。……リンも大市か?」
もちろん、と、リンはうなずいた。むしろ大市がメインである。
「ライアンがいるなら、商談もできるだろ?面白い道具を発表していたが」
「ああ。わざわざここまで出向いたのに、商談がなければやってられないな。タブレットが気に入りそうな道具になっているぞ」
ライアンはタブレットに売りつける気満々である。
「そうだ。リン、セサミオイルの味を見てくれ」
「できたんですか!?」
「ああ。今年の収穫はこれからだから、去年のものでまず試させた。それでもなかなかの風味だと思うが、リンの知る風味に近いのかが知りたい」
「ぜひ!」
ピリ辛キュウリの和え物、胡麻ドレ、やっぱりから揚げか、と、二人がローストビーフを食べている間、リンはずっと考えていた。
「デザートが冷たいから、温かい紅茶にしますね」
ムースやタルトなどもあるが、三人ともアイスクリームを選んでいる。
リンはメレンゲクッキーとアイスを混ぜたヴァシュラン、ライアンはシンプルなバニラアイス。
タブレットは、これが発表された『凍り石』のおかげで作られたときいて、両方を選んでいる。
紅茶はいつものGui Hongである。
タブレットは一口食べて、目を見開いた。
「本当に氷のように冷たいではないか。その上滑らかに溶ける。……これは、バニラ豆を使ったな?」
「そうです。お好みでこのソースをどうぞ」
「スプルース・ビネガーか?」
「ふふっ。ちょっと変えたんです。ライアンは好きだと思いますよ。スプルース・ビネガーに、赤ワインを加えて煮詰めてあります」
赤ワインで更にコクと深みがでていて、ビネガーも旨みが濃縮されている。
『スパイスの国』の長で、甘党だというイメージは全くなかったタブレットだが、二つのアイスクリームをペロリと平らげた。
この様子ならアイスクリームは人気がでるだろう。
『凍り石』と共に一度で全員に周知ができるからと、始まりの宴で披露して、正解だったかもしれない。
明日からの大市では、日替わりでフレーバーを出す予定になっていて、そちらもきっと驚かれるだろう。
リンは想像して、ふふふ、と笑った。
皆が食事を始めた頃には、三人の食事は終わり、東屋から外へと踏み出した。
「では、タブレット、明日だな」
「ああ。……待て、ライアン。まさか、もう戻るのではないだろうな?」
「そうだが。何か他にあるか?」
「社交は?」
「皆の加護は先ほど願ったので、私の役目は済んでいる。……リン、戻ろう」
来た時は馬車だったが、森を抜ければ歩けない距離ではない。
ライアンはリンの手を取って、さっさと王宮から離れていく。
見頃だ。カリソンの薔薇園を抜けていこう、と、話しながら歩いて行く二人の背中を、タブレットは笑いながら見送った。





