Gaze / 視線
切りどころがわからず、ずらずらとしていたのを、やっと切れました。
後半もなるべく早くアップします。
遅くなりました。
始まりの宴の朝、リンはアマンドに浴室へといざなわれた。
「お風呂には昨夜入りましたけど……」
「ええ、存じておりますよ」
もちろんアマンドは知っているはずである。
いつもならリンは一人でお風呂を使い、身支度を整える。オーバードレスを脱がせてリンを浴室に送り、ドレスを片付け、水差しなどをベッド脇に用意すると、そのままアマンドの仕事は終わりである。
昨夜は入浴が終わるまで待っており、アマンドはリンの洗い髪を小分けにして、いくつもの布に巻き付けた。髪にウェーブを付けるのが、今の流行りらしい。もこもこ、ごろごろになった髪のまま、休むように言われたのだ。
いつもは使わない薄い入浴用の肌着を着せられ、腰までぐらいの、ぬるめの湯に入れられる。
「わあ。すごい」
ぺったりと肌に付く肌着はちょっと気持ち悪いが、浴槽には薔薇の花びらがたっぷりと浮かべられ、香気の中に入浴するようだ。プリンセス気分になるには十分だった。
そこに侍女が二人招き入れられ、すっと近寄ってくると、リンの両手を取った。
「え、えっ?」
「どうかそのままで」
身を起こしかけたリンの両手を取り、指先から上の方へマッサージを始めた。
薔薇が香るオイルを手にとり、クルクルと揉みほぐしながら上がっていく。
「なんでしょう、この楽園。……とろけそう」
「ホホホ。こうすると肌の色が良くなりますし、柔らかくなるのですよ」
「でも、リン様には必要ないぐらいですわね。きめが細かくて、美しくて……」
「本当に。象牙のように滑らかで、見惚れるほどですわ」
あがる称賛の声にムズムズとしながら、薔薇の香りにうっとりと目を閉じて、腕から肩、デコルテに首筋、顔へと触る指先に身を任せた。
王宮のグレートホールは、別名『白の間』と呼ばれていて、壁から天井まで、すべてが白く、ドレスの色が映えるようだ。壁の上部には精緻なレリーフが彫られていて、色がない代わりに陰影で部屋を美しく彩っている。
各地から集まった貴族達、他国からの招待客、国王王妃両陛下は、すでにグレートホールに入っており、これから入場するのは、今年社交界にデビューする若い貴族子女のみだ。音楽に合わせて会場を一周し、両陛下の前に並んで披露目となる。
リンもその内のひとりで、ホールの横にある控えの間で、ライアンの横で身を固くして出番を待っていた。
若いデビュタント達とリンの年齢は十歳近く違うが、その中にあってもリンは浮き上がらない。雰囲気に慣れていない初々しさも、緊張した表情も同じだ。
「列の最後に付いて踊ればいいと、思っていたんですけどね」
「私がエスコートするのに、最後になるわけがないだろう」
「ですよね。なんでライアンがエスコートなんでしょう」
「他に人がいないからだが。……私では不服か?」
ライアンは隣に座るリンにチラリと視線を投げる。
リンも隣を見上げた。
「そういうわけでは。あ、そうだ。ライアン、術師のマントで舞踏ブロックしてくれれば……」
「私はいいが、リンが踊るのは変わらないぞ。リンのデビューだからな」
「ですよね。……あー、なんか。ゆっくりお茶飲みたいですね」
「これが終わったらな」
話している内容は周囲には聞こえない。
長椅子に寄り添い、話す二人は、緊張するリンをライアンが励ましているように見えた。
リンのデビュードレスはレーチェの力作である。
上半身がパールホワイト、下がネイビーのドレスで、全体に刺繍とコサージュで、白のフォレスト・アネモネが飾られている。上半身の刺繍とコサージュには、ピンク色のビジューがふんだんに縫い付けられ、光を反射して輝いている。
ビジューの反射が顔に映るのか、リンを磨き上げた侍女達の腕か、肌はほんのりと薔薇色だ。
髪は昨夜のモコモコが功を奏して、ふんわりと編み込まれ、ブラマンジェ領から贈られたレースのヘッドドレスで飾られている。
清楚で、優美な、デビュタントに相応しい装いといえるだろう。
ライアンの衣装もリンのドレスに合わせており、すっきりと涼し気で、端整な美貌を引き立てている。
二人の腰に付けられた、白いタッセルを付けた扇子もお揃いだ。
とうとう入場の案内がきて、リンは冷たい右手をライアンの手に重ねた。
『白の間』の扉が大きく開かれ、昨日練習を重ねた音楽が聞こえてきた。
集まった人々は壁際に立っており、ホールの真ん中は広く開けられている。
一歩踏み出すと、全員が振り返り、視線が集まってくるのに手が震えた。
「うゎぁぁぁぁ」
「リン、大丈夫だ」
ライアンが囁き、リンは慌てて口を横に引いて、笑顔を作った。
ホールの最奥は高くなっており、最上段に国王王妃両陛下が立っている。その脇に一段下がって、王子殿下、ウィスタントン公爵夫妻、シュゼットが並ぶのが見えた。
「ライアン様よ」
「ねえ、あの噂は本当かしら」
「おお、賢者殿だ」
「あの方、ね。難民の方と聞いたわ」
「面会を願いたいが」
ひとりひとり声は抑えているようだが、ホールの空気はざわめき、リンはライアンの左手をぎゅっと握り、一歩を踏み出した。
檀上にシュゼットの顔が見えてから、ホールを一周して彼女の隣に来るまで、リンは自分がどう手足を動かしたかも覚えていなかった。
「リン、笑顔で上手に踊れていたわ」
顔が引きつって動かなかったのが真相だが、笑顔に見えていたのなら、なによりである。
今も一段高い檀上に上がっているが、貼りつくような視線が飛んでくる。そのうち噛みつかれるのではないだろうか。
そちらを見るのも怖いので、口元に笑みを貼りつけたまま、宙を見るようにしている。
「もう帰りたい……」
「さすがにそれは、早いのではないか?まだ始まってもおらぬ」
「リン、後は陛下のご挨拶だけですよ」
「もうすぐお茶だぞ」
ウィスタントンの領主一族にあと少しだ、と、励まされていると、国王が一歩前にでた。
全員が背筋を伸ばし、国王に注目する。
「今年も皆の元気そうな顔を見て、挨拶を受けることができ、嬉しく思う。初めてこの場に参列する者もいるが、皆、良き見本を示し、不慣れな者を導いて欲しい。社交の成功はもちろん、それぞれの健康と発展を願う」
国王の言葉に、全員が礼を取った。
「今年はライアンも来てくれた。発表があるようだからこの場を譲ろう」
ライアンが一段上がって、国王の隣に並んだ。
「この場を借りて発表する。春に続き、新たに三つの精霊道具の登録が完了した」
おおっと声があがった。
「この部屋でも使っているが、夏季に部屋を冷やす『冷風石』、冬季に部屋を暖める『温風石』、それから『冷し石』の温度を更に下げた『凍り石』の三点だ。生活に根差した道具となり、各地で物産の輸送がさらに促進され、民の生活も向上するだろう。精霊術師ギルドで確認できるはずだが、さらに質問があれば、明日からの大市で天幕の方に問い合わせて欲しい」
そこでライアンが背をすっと伸ばし、国王も含め、すべての者が頭を下げた。
「……ここに集うすべての者に、ドルーと精霊の加護を」
ライアンの発表に、リンはホールに風が通っているのを感じた。どうりで人でいっぱいなのに、涼しいはずである。そんなこともわからぬほどテンパっていたらしい。
そっと見回すと、背中に羽のあるシルフの像が見えた。
挨拶が終わると、ホールから庭に続く扉がすべて、大きく開かれた。
祝宴の支度が整えられているようで、ブルダルー達料理人や配膳人が、庭を忙しく行きかうのが見えた。
「リン、茶を飲みにいこう」
隣に来たライアンが差し出す手を、リンはそそくさと取った。
すぐにも纏わりつく視線から逃げたい。ホールに残って周囲と話す者も多い中、真っ先に外へと出ていく。
太陽の下へと出た途端、変幻石で飾られたリンのドレスがブルーに輝いた。
「まあ……」
「なんて素晴らしい」
息を飲む者、口を押さえる者と、いろいろだが、あがる声は驚きに満ちている。
途中で色が変わるドレスなど見たこともないし、変幻石だとわからない者も多い。たとえ知っていても、高価な変幻石が散りばめられたドレスなど、考えられなかった。
すでに外に出ているリン達に、ホールの騒めきは届かず、じっと見送る視線には気づかない。
二人は話しながら、ブルダルーの元へと歩いていった。





