休憩:離宮使用人達の準備
夏の社交を前に、ここ一月、離宮の使用人達は忙しかった。
ウィスタントンで春の大市が終わる頃から、王都の離宮では夏のために再点検が行われる。
もとより、いつ、誰が滞在してもいいように清掃は行き届いているが、各部屋の設えに不備はないか、中餐、晩餐会や、お茶会に必要な備品は十分揃っているか確認するのである。
何しろ広い。やることは多かった。
館の調度や備品の準備だけではない。
庭師は広大な庭が一番美しく見えるように考え、料理人は十分な食材が、間違いなく届くように差配し、それぞれが自分の持ち場で、領主一族の滞在が快適なものとなるよう、社交が成功するように、と、心を配っていた。
領主一族のプライベートルームを整える使用人達が集まった報告会で、離宮を預かる執事が皆の報告を書き取りながら言った。
「これでいいでしょう。ですが、ライアン様とリン様のお部屋に関しては、ウィスタントンに問い合わせるべきですね」
「ええ。ライアン様は学生の頃とは調度のお好みが変わられたかもしれません。新たに整えるべきものもあるでしょう。リン様のお好みも存じ上げませんし」
執事の言葉に女官長はうなずいた。
そこへメイドの中でも若いひとりが、ためらいながら発言した。
「あのう、リン様のお部屋は、どちらに整えればよろしいのでしょうか」
使用人達の何名かは、その質問にはっとしたように執事を見た。
「どちらに、とは?」
「西翼のゲストルームなのか、ご一家と同じ南翼なのか、その、ライアン様のお隣に入られるのか、もしくは、同じお部屋を使われるのか……」
「それはないでしょう」
「あの、でも、ご婚約が間近とうかがいましたし」
「すでにご一緒にお暮らしだとも……」
集まった者はコクコクとうなずき、それぞれがその噂を聞いた、と、示した。
なにしろ、それは王子の近くから出た話だといい、何を言っている、と、一笑に付すには信憑性がありすぎる。
「いくらなんでもご婚約となるのであれば、正式に連絡がきているでしょう。準備があるのですから」
さすがに執事は冷静である。
「いずれにしてもお好みの把握も必要ですし、何か特別にご用意が必要なものがあるかもしれません。問い合わせて返事を待ちましょう」
そう執事は話を締めくくった。
回答を見れば、おおよそ察するものがあるはずである。
『ライアン様のお好みは、さほど変わっておりません。
落ち着いた色合いでまとめてください。
執務室と工房脇の部屋にも、休憩をお取りになれるよう
長椅子とローテーブルを入れてください』
『リンには眺めの良い部屋を用意して欲しい。
入浴を好むので、浴室が広めの部屋を頼む。
美しいものは好きだが、派手で華美にすぎるものは好まぬので、
部屋はゆったりと、落ち着けるように整えて欲しい。
また、私の工房と第二厨房も、リンが使う可能性がある。
よろしく手配を頼む』
届いた回答は、ライアンについては侍従のシュトレンからの簡潔なものだったのに対し、リンについては、なんとライアンが直々に書いてよこした。それに侍女のアマンド、側近のシムネル、料理長のブルダルーが、それぞれ、リンの部屋、工房、厨房に必要な物品のリストを添付している。ブルダルーに至っては、リンの手に合う調理器具を、と、大きさまで細かに指示していた。
その手紙を待って、再度集まった者たちは、ざわりとした。
「まあ」
「これは、やはり……」
「そういうことでございましょう」
ライアンがリンの好みを知り、側近に、料理長までが気を配っている。
工房も共有するようだし、おまけにその中に浴室の希望まであるのだ。
「実は陛下のお側近くから、ライアン様とリン様のことで何か準備で必要なことがあれば助力する、とのお言葉を内々に頂いたばかりだ」
執事の言葉に皆で顔を見合わせた。
それはもう決まりなんじゃないだろうか。
「お部屋はどこに致しましょうか」
「王妃の間がよろしいのでは。あちらでしたら、ライアン様のご要望にもかないますし」
先々代まで王妃陛下が使っていた王妃の間は、壁には光沢のあるシルバーグレーのシルク生地が貼られ、そこに優美な花模様が織りだされている大変気品のある部屋だ。国王陛下が訪れることもあったから十分な広さもある。
現領主夫妻は大変仲がよろしく、もちろん第二夫人もいない。私的な時間はできる限り一緒に過ごしたいと、領主の部屋を改装して一緒に使っている。
現在、この王妃の間は賓客をもてなすゲストルームとなっていた。
女官長の提案に執事がうなずいた。
「大事なお方をお迎えするのに、ふさわしいでしょう。……ライアン様がともにお過ごしになるとしても、十分な広さがありますね。失礼のないようにお部屋を整えましょう」
メイド達がしっかりと頭を下げた。
それからの手配は大騒ぎだった。
長く使われていないライアンの工房は備品の再確認がされ、その工房近くにリン専用の第三厨房が新設された。庭師は工房脇の水場の周囲に、ちょうど夏の間に美しく花を咲かせる植物を植え替えた。
リンの部屋はシュゼットの部屋にならい、可憐で若い女性に似合うような内装に仕上がっている。
加えて、いつ慶事、披露目の宴となってもいいように、必要な備品を整え、本館の使用人達と綿密に打ち合わせも済ませた。皆の前では決して話さないが、執事と女官長は子供部屋の候補まで、内密にいくつか選んであるのだ。
ウィスタントンからの船が門に到着した、と、シルフが声を館内に響かせた夜、領主一族を総出で迎えるため、離宮玄関に集まる使用人達は妙な興奮状態にあり、ソワソワとしていた。
「どのような方かしら」
「待って。よく見えないわ」
「おい、押すなよ」
「はしたないですよ。静かに。そこまでいらしています」
執事のたしなめる声にひそひそ声がピタッと止まり、ピンっと空気が張った。
前に立つその執事の背中がすっと伸び、それを合図に全員がざっと礼をとる。
成人したばかりの時は、若木のようなしなやかさと、切れるような鋭さを感じられたライアンだったが、今は凛々しく、堂々とした様子で立っている。久しぶりにその成長した姿を見た古参の使用人達は、喜びに沸いた。
その横にエスコートされて寄り添う小柄なリンは、使用人が頭を下げる前を通り過ぎて行き、周囲の人間に埋もれて、チラリとしか見ることができなかった。
ライアンを部屋まで先導すると、ドアの所で離宮の執事が静かに報告した。
「王妃の間をご用意致しました」
「そうか。いい部屋だな。リンも喜ぶだろう。……思わぬことをして、驚くこともあるかもしれぬが、よろしく頼む」
ふっと笑みを浮かべたライアンを見て、執事は確信した。
翌朝、リンの部屋の周辺にはメイド達の混雑が見受けられた。
一人が廊下の燭台を磨きあげると、その少し後に他の者がまた同じ燭台を磨く。窓ガラスも同じ。終いには窓ひとつに一人がとりついて、使用人の列ができている。
「あら、あなた、今日はお休みではなかった?」
「だって……」
そこにゴホンと咳払いが響き、恐る恐るメイド達が振り返ると、すべての使用人の上に立つ執事が、それも二人、並んで立っている。
領主夫妻の居室から一緒に出てきたらしい。
「全く嘆かわしい」
ウィスタントンから到着したばかりのセバスチャンが言えば、メイド達はもちろん、隣に立つ離宮の執事までが、背をピンと伸ばした。
その様子にセバスチャンは、面白そうに、ふっと息をついた。
「まあ、磨きあげるのはいいでしょう。……騒々しくするのはいけません。明日からは、持ち回りで担当を決めるように」
セバスチャンの言葉に、全員が頭を下げた。





