Capital / 王都
リンは小甲板の船べりに立ち、ローロと並んで作業を始めた。
「ローロ、もうちょっと籠を海の方へ突き出して」
「こう?」
えんじ色の海藻だけを選り分けて籠に入れ、ローロがそれを海に突き出している。リンが『水の石』をつかって、その海藻を洗い始めた。
「うわっ、待って、リンさん。袖が濡れるし、って、ダメ。そんなにめくらないで。……もう。水だけ出してよ」
今日も着せられている長めの袖は、やっぱり作業には向かないようだ。おまけに、袖まくりは淑女の常識から外れていると、ローロからダメ出しまでもらってしまった。
小甲板に上がることがすでに淑女らしくなさそうなので、今さらだと思うが、リンは素直に洗浄作業をゆずって、水だけを出すことにした。
「これ、せっかく乾いたのに、また洗うの?」
「そう。夏に遊びに行くと、おばあちゃんが、こうやってたんだよね。洗って、乾かしてって何日か繰り返すと、色が白っぽくなるの」
「白?昨日、海の中ではもっと茶色だったよ。取るのもおもしろかった。膝までだけど、海に入るのも初めてだったし。水が塩辛かった」
「いいなあ。私も入りたかった」
「ドレスが濡れるでしょ」
「この格好じゃ、しょうがないよね。……洗えたら、また広げて干して」
リンはドレスを少し摘まみ上げた。
しばらく前に沖の海流を外れて、陸の方へ進路を変更した船は、海の上を飛ぶように、滑らかに進んでいる。
「速いなあ。この船、そのうち空を飛ぶんじゃないかなあ」
作業をしているローロの横で、いっぱいに膨らんだ帆を見上げてリンはつぶやいた。
「リン、頼むから船は飛ばさないでくれ」
ライアンの声がした。
オグとラグナル、シムネルも近くにいる。
後ろでローロとのやり取りを聞いていたらしい男性陣は、ニヤニヤと笑っている。
「飛ばしませんよ。っていうか、飛ばせません。……たぶん帆が横になっていないと」
ゴニョゴニョと言うリンを、ライアンはジロリと睨んだ。
「シルフに願ってくれるなよ。天の女神のお住まいになる場を、騒がせる必要はない」
「はあい」
ライアンは左前方を指し示した。
「間もなく陸が見えてくるはずだ。突き出した半島を周って、川を上れば王都だ」
「ずいぶん早い到着ですね。深夜だと思っていましたが」
「川に入ってからは船が増える。緩やかに進むことになるので、まだかかるだろう。それでも到着は早まるな。恐らく閉門までに王都へ入れると思うが」
ライアンはそう言って、シムネルに各所への連絡を飛ばすように伝えた。皆が王都へ到着するこの頃は、川が渋滞になるのだ。閉門間際は特に多く、予め通知して、準備を整えておかなければならない。
「ライアン様、オグも、お疲れではございませんか?風と水の扱いを、少しの間、他の術師に交代をした方がよろしいでしょうか」
「俺は大丈夫だぜ」
「私もだ。今回はさほど負担もない。精霊の自主的協力のおかげだな」
「自主的協力、で、ございますか?」
「ああ。リンがな……」
それだけでシムネルには意味が分かったようだ。笑いをこらえながら、風の術師と手分けしてシルフを飛ばすべく、下がっていった。
「見えました!」
しばらくして、ぐるりと見まわしても青ばかりだった景色が変わり、陸が見えてきた。
リンはライアン、ラグナルと並んで船首に立ち、近づく陸を眺めた。
ライアンが言ったとおり、半島が見え、それを超えると河口で、大きな港があるようだ。船も、港に動く人も多く、かなり混雑しているのがわかる。
マストの一番上と船尾に黄色の帆を揚げた、ひと際大きい船が三隻、停泊しているのが見える。リン達が乗る船の、倍以上はあるのではないだろうか。
「あれはずいぶんと大型ですね。遠くから来たのでしょうか」
「ああ。あれはクナーファ商会の船ですよ。黄色に、緑で麦をくわえた鳥が描かれているでしょう?クナーファの意匠です。その脇に並ぶ中型船もクナーファのものでしょう」
ラミントンではよく見かける船なのだろう。ラグナルが教えてくれた。
「立派な船ですねえ」
「あれはクナーファでも、一番大きい船のはずです。力を入れてきましたね」
ラグナルがチラリとリンを見て、おかしそうに言った。
「あれが来ているということは、タブレットも王都へ到着する頃だろうな」
「そうだと思いますね」
荷を積み替えている船、忙しく働く人々を眺めながら、リン達の乗る船は港を大回りして、そのままゆっくりと河口へ進入した。
「ウェイ川の辺りと、ずいぶん様子が違いますね。山も見えるし」
半島から繋がって、川の北側には山々が続いている。農地も広いのか、麦だろうか、揺れる穂が波打つのが見える。北よりも色鮮やかで、緑が濃いように思えた。
川の上は風が通って気持ちがいいが、気温も大分違うようだ。
「あれはアルドラ山脈という。王都の向こうまでずっと続くが、山脈の北と南で気候が全く違うのだ。南北を馬車で移動せず、船で海を渡るのも、あの山脈があるためだな」
「アルドラと同じ名前の山なんですね」
「……アルドラは、あの山中で彷徨っているところを保護された。それでだ」
「そうだったのですか……。よく無事でしたね」
「先に、精霊が保護していたからな」
気分を変えるようにライアンは続けた。
「山脈から川がいくつも出ているが、そのうちの二つが王都を通っている。ひとつがこの川、 タチェーレ、『静かな川』という意味だ」
海の真ん中では、全く変わらない景色に飽きてきたが、のんびりとした川上りは、楽しかった。
アマンドにしっかりとショールをかぶるように言われながら、リンは、右に左に、うろうろとし始めた。
他の者も同じように甲板にでてきて、船旅を楽しんでいるように思える。
料理人達も、希望者にフィッシュフライサンドと、チキンサンドを提供し始めた。どちらも新作のタルタルソース入りである。
シュゼットもこの大きい船ならば、揺れも少なく、気持ちが悪くなることもないようで、一口大に切られたサンドイッチを摘まんでいる。
柄の長い、大きな鎌を持って、背の高い草を刈っている農民の姿が見える。タチェーレ川に流れ込む小川では、女達が膝までドレスを持ち上げて川に入り、洗濯している様子もあった。小川の脇の草むらに大きく広げて乾かしている。
のどかで、平和で、働き者のいる光景だった。
川から見える村の数も、それから村に並ぶ家の数も、北よりもずっと多い。
「さすが王領というか、村が大きいですね。人も多そう」
ライアンがふっと笑った。
「いや、南はどこもこれぐらいだ。北が、特に、ウィスタントンが少なすぎるのだ。森が大きいからな」
「森があるからウィスタントンなんです。森の恵み最高。でしょ?」
リンが言うと、周りにいる見習い達が大きくうなずいた。
事前の通達はされているので、特に問題なく船は進んでいく。
ウィスタントン公爵とラミントン侯爵、それに賢者の乗る船は、暗黙の了解なのか、川の真ん中を堂々と上っていく。
脇に寄って先を譲る船を見れば、人力で漕ぎ上がる小舟や、川沿いの道に馬を走らせ、船を引かせているのもある。
「風の術師がいない船は大変ですね」
「どこの領もたいてい術師が乗っているし、特に今日はそうでもねえだろ? 同じ方向に風が整えられているからな」
オグがこともなげに言う。
「この船は河口の港に立ち寄らなかったが、港には風の術師が待機している。必要なら、契約して、乗っているはずだ。あれらの小舟は、王都まで行かない、近距離を上る船なのだろう」
村の数が増え、道を行く荷馬車や人の数も多くなった頃、前方に高い城壁が見え始めた。王都の城壁だ。ウィスタントンと同じように、灰白い石でできている。
王都の城壁門は、通常、日の入りと共に閉まるが、人の移動が集中する今は、遅くまで開門している。
日が沈む頃、リン達の船は城壁の脇に差し掛かり、ライアンとオグは風と波の制御を切った。ここからは船門にいる術師の誘導に任せるのだ。
バタバタと人が動き始め、オグやクグロフ達が下船の準備をしているのを見て、リンも立ち上がった。
「リン、まだだ」
「降りないんですか?」
「王都は広い。最初は、町の中心に近い『船門』に船を着ける。ここは大市の会場にも、クグロフやローロ達の宿泊所に近い。私達はもう少し先まで行く」
全く別の場所に泊まるのか、と、甲板で荷物を運んでいるローロ達を見る。
「ここにいると、荷下ろしや下船の邪魔になるかもしれぬ。時間はまだかかるし、船室で茶でも入れてくれ」
「王都が見たいんですけど」
「高い城壁で、中は見えないと思うが。船室の窓から見えるだろう」
リンは甲板のオグ達に手を振り、ライアンのエスコートで、ラグナルと一緒に領主の居室に入った。
二つの領主一族と一緒に、ゆったりとお茶を飲んでいると、コツンと船が止まり、外から聞こえる雰囲気が慌ただしくなった。
トントン、ギシギシと船室から荷物を運びあげる音が続き、人が行ったり来たり、指示を聞きながら荷物を運んでいるようだ。
しばらくして、お言葉を、と、侍従が呼びに来て、ウィスタントン公爵、ラグナル、ライアンが船室を出て行った。
船の下には、下船した者達が並んでいる。
「大市の準備は任せたぞ。成功を祈る」
「それぞれが協力して、準備をしてください。頑張りましょう」
二人の領主が言葉をかけると、一斉に皆が頭を下げた。
少し船が進み、次の下船は、ラミントン領主一族とその護衛や侍従、料理人等、ラミントンの館へ向かう者達だった。
「ラミントン侯爵、道中とても快適に過ごせた。感謝する」
「ご一緒できて楽しかったです。それではまた、王城で」
「ラグナル、助かった」
「こちらこそ。予定より早く到着できましたから。リンもまた、会いましょう」
「はい。ありがとうございました」
ラミントンの一行が下船すると、後はウィスタントンの館へ行く者だけとなり、夜が落ち始めた川を、船は静かに進んでいく。周囲に多かった船もなく、今はこの船一隻だけだ。
荷物もすべて甲板に上げられて、下船準備は整っているようだ。
リンは甲板に立ち、周りを見回した。
王都の最初の『船門』では、右側には王都の城壁がそびえ、川の左側にも、続く街道沿いに家が建ち並ぶのが見え、ざわざわと賑やかだった。
今は、両側に木が立ち並び、森のような静けさだ。
「ここ、王都ですよね……」
「ああ。王都だな」
ライアンがおかしそうに言う。
「静かで、ヴァルスミアの辺りと変わらない感じですね」
「そうだな」
船はまもなく、木々の切れ目に立つ、白い門のある船着き場に到着した。
リンの王都での最初の一歩は、宵闇の迫る森の中だった。





