Boys' night out / 男子会
ラミントン領の留守を預かるハルヴァに見送られて、王都へ向かう船に乗り込み出航した。
今度の船はだいぶ大きい、堂々とした三本マストの帆船で、船首と船尾、それから甲板下に部屋がある。領主一族には、船尾楼と言われる、船尾にある部屋が割り当てられ、ライアンとラグナル以外は、まず整えられた部屋に落ち着いた。
船首楼と船尾楼の上は平らで、一段上がった小甲板となっている。ライアンとラグナルは、オグと一緒に、その船首楼の上の小甲板にいた。
「ライアン、そろそろいいんじゃねえか?」
「そうだな」
陸からもだいぶ離れ、果てまで、海と空の青しか見えない。
周囲の確認をして、ふと甲板上に目をやると、船室に入ったはずのリンが、海藻を入れた籠を持って、ウロウロとしているのが見えた。
「リン、何をしている?」
リンは降ってきた声の方を見上げた。
「海藻を干す場所を探しているんですけど、どこも風に飛ばされそうで」
「シルフに頼めばよい。飛ばないように、気を付けてくれると思うが。この上は、どうだ?」
「……シルフ、便利ですね、ホント。じゃあ、お願いしましょう」
ドレス姿で梯子を小甲板に上って来ようとするリンから、オグが籠を預かり、ライアンが手を貸す。
オグが早速リンをからかった。
「まったく、ラミントン領主の船で海藻を干そうとするなんて、リンぐらいだよなあ」
「食べておいしかったら、皆、干すようになると思いますよ?」
「いや、ぜってえ、いねえよ」
小甲板の隅にリンが籠を置き、ぶつぶつとシルフに願いながら立ち上がると、ぐるりと見まわした。
「ここは気持ちがいいですね。一段高くて、眺めがいいし。……今日はここで、三人、飲み明かすんですよね?」
「ああ。風と波に注意しながら、夜を明かす予定だ。周りに船もいなくなったし、そろそろいいだろう」
ライアンとオグは、それぞれ手首の加護石を触って、祝詞を唱えた。
「シルフ、インぺリウム ヴェントゥス」
「オンディーヌ、インぺリウム アクアム」
その途端に、すうっと加護石の方へ光るオーブが寄っていったかと思うと、一瞬ふっと、風と波がないだような気がした。
「これで、解除するまで、風と水を制御下に置くことができる。……オグ、沖の海流に乗せる」
「ああ」
ふたりが更に祝詞を唱えると、再び帆が風をはらみ、ざんっと、船に波の当たる音がしたかと思うと、ぐらりと船が揺れ、進路を変えながら船足を速めた。
「おお。すごい。一気に変わりましたね」
船べりから海を覗き込み、帆を見上げていたリンが、体感でもわかる速まった船に顔を輝かせた。
「この後の乗り換えはないから、順調に行けば、明日の夜には王都へ着くだろう」
「乗り換えなしで?」
「ええ。この大きさの船だと、王都の川に直接入れるのです。それで部屋も共用してもらって、少し手狭なのですが……」
ラグナルの言葉に、リンは慌てていった。
「手狭ではありませんよ。すごく広いです。ラグナルの部屋を譲ってもらったんですよね?」
リンの部屋は、シュゼットとグラッセと一緒で、船尾楼にあるその部屋は、天井は低いが、広さはあって、居室と寝室に分かれている。
「私は、今夜は兄上達と、ここで過ごしますから」
「ふふふ。おかげで今夜は、三人で女子会です」
「女子会、ですか?」
「リン、なんだよ、その女子会ってえのは?」
「んー、女の子だけで集まって、お茶やお酒を飲んだり、お菓子を食べたり、楽しく過ごすんですよ」
「お茶会と違いはねえだろ?」
「もちろん、ありますよ。男子禁制でヒミツのおしゃべりです」
そう言うと、リンは革袋から『酒の石』をコロコロと出して、ライアンに渡した。
「師匠に頼みましたから、こちらにもつまみを届けますね。ラミントン領の新作もありますよ」
「それは楽しみだな」
「オンディーヌとシルフにも、シロップを届けるから、王都までがんばってね。最速でいきましょう!」
空を見つめて話しかけたリンに、精霊が答えた。
びゅっと風が吹き抜けて帆が一杯までに膨らんだ。船はギシッ、ミシッと音を立て、さらに速度が上がって揺れた。
「ととっ」
「うわっ」
甲板にいる人間がよろけて、バランスを取る。後ろに倒れそうなリンを、ライアンが慌てて支え、咎めるような目を向けた。
「えーっと、そんなつもりでは……」
リンはさっさと小甲板から下りて、女子会へ向かうことにした。
幸いにも今日は天気が良く、空の色が変わりゆくのを甲板で眺めている者が大勢いた。特にウィスタントンの者には、どこまでも平らかな光景と、水平線に落ちていく太陽は珍しいらしく、多くが船室から出てきていた。日が完全に海に飲み込まれ、空に最初の星が見つかる頃、ひとりふたりと、船室に戻り始めた。
皆が空に見とれている間に、小甲板は居心地良く整えられていた。
絨毯が敷かれ、多くのクッションが並んでいる。ウィスタントンから持ってきた、冷室と冷凍室の木箱も置いてあり、恐らく中には、氷や飲み物、つまみが入っていると思われる。
「インフラマラエ」
オグがランプに火をともし、木箱の一つに寄りかかって腰を下ろした。
続いて、ライアンとラグナルも、それぞれ座った。
「こりゃあいいな。ばあさんと旅行した時とは大違いだ」
「ああ。ラグナル、感謝する」
オグはグラスの載っているトレイを引き寄せ、『酒の石』からシロップのミードをグラスに注いで、ラグナルに差し出した。
「侍従が整えてくれたのですよ。……兄上、それはなんですか?」
「ああ、リンの、なんか思いついちゃったってヤツだ。酒を閉じ込めた『酒の石』らしい」
「リンはすごいですねえ」
「何をやらかすか、わかんねえよな。……ライアンは何を飲む」
グラスを構えて、オグが聞いた。
「ああ。自分でやるから良い。リンは発想が自由だ。こちらの常識では考えないようなことを、やる。それにまた精霊が良く応えるから……」
ライアンはふっと息をついて、側に置いたシロップの小皿に群がっている精霊達を見た。
そこへブルダルーとラミントンの料理長が、トレイを持って顔を出した。
甲板上で他の者にも配っているようで、礼をいう声が聞こえている。
「軽食をお持ち致しました」
「ありがとう。リンの新作ですね」
「はい。……すみません。こちらの冷室も開けさせていただきます」
「おっ。悪いな」
オグがもたれていた木箱から、ブルダルーがチーズを取り出し、切り分けてパンの横に並べた。
もうひとつ、厨房から持ってきた瓶をその脇に添える。
オグは冷室にレモンを見つけたようで、それを切り、ラグナルのミードに絞った。
「リン嬢ちゃまは、塩うに、と言ってなさったが、シー・ヘリソンに塩を振って、水をだしたものですじゃ。あとはチーズとも合うと言ってなさったんで、パンかチーズと一緒にどうぞ」
ラミントンの料理長は、他に二品、温かいつまみを持っている。
「こちらは同じシー・ヘリソンを、卵に包んで焼きましたものです。それからこちらは、白身魚のフライですが、こちらのタルタルソースか、このビネガーかレモン汁をかけて召し上がってください」
「『揚げないフィッシュフライ』と『タルタルソース』だそうですじゃ。ビネガーはリン嬢ちゃまの好みだそうで」
必ず誰か待機しておりますから、必要なものがあれば申しつけてください、と、ブルダルー達は下がっていった。
「いただきましょう」
「こっちは、男子会だな。乾杯しようぜ」
全員がグラスを持った。
「「「ドルーと精霊に」」」
口を湿らすと、早速つまみをじっと見つめた。
「どれからいきましょうか」
「やはり、シー・ヘリソンを試してみるべきではないか?」
「ホントにうまいんだろうな……」
三人で同時に手をのばした。
ライアンはそのまま、オグはパンにつけるようで、それを見て、ラグナルはチーズを取った。
「じゃあ、私は、チーズと食べてみます」
「よし、いいか。行くぞ」
見慣れぬ、初めて食べるねっとりとしたシー・ヘリソンを、顔を見合わせて同時に口に入れた。
三人とも目を閉じて、同じような顔で味わうと、パッと目を開けた。
「うわあ。クリーミーですね」
「なんだこれ。うまいぞ」
「ああ。濃厚だな」
もう一度さっと手を伸ばして、今度はそれぞれ、パンやチーズに付けている。
「あの見た目で、こんなに滑らかだとは思いませんでしたね」
「今まで食べなかったことを後悔するって、これのことか」
「……これは確か、蒸留酒に合うと言っていたな」
ライアンは持っていた赤ワインのグラスを置き、透明な『酒の石』を探すと、蒸留酒をグラスに注いで、ぐいっとあおった。
すぐにポンと、その石をオグに渡す。
「これはうまいな。磯の香りが洗われて、それでいて、シー・ヘリソンがより甘く感じるのだが」
「おい、これ、また酒、つまみ、酒、で止まらなくなるヤツだろ……」
同じように蒸留酒と合わせたオグが、うめくように言った。
ラグナルは一通り試したいらしく、魚のフライに移り、タルタルソースを付けて食べている。
「これは海老の天ぷらと似たような感じでしょうか。このソースが、またおいしくて。リンがトリナシを使ってくれたようなのですけど」
ラグナルがタルタルソースを、中身を確かめるようにフォークの先でつついて、言う。
「ああ、ラグナル。リンが昼に食べたベリーを気に入ったらしく、欲しがっていた」
「いくらでもどうぞ。グラッセにも言っておきます。王都でも使いますから、定期的に運ぶ予定になっていますし、量は増やせますよ。ただ、冷室に入れても、そんなに保ちませんが」
ラグナルがもう一つ魚のフライを取り、今度はビネガーをかけた。
「それなら、新しい精霊道具がある」
ライアンは、脇に置いてある木箱を叩いた。
「この夏、発表する。『凍り石』を使った冷凍室だ。冷室より更に冷たく、氷がこの中で作れる。ベリーも凍らせて運べば良い。リンも、ヴァルスミアから凍らせて持ってきているはずだ」
「いつ発表ですか?」
「すべての準備は整っていて、夏の社交の初日に、登録と同時に発表になる」
ライアンは木箱を開け、氷を取り出すと、それぞれのグラスに落とした。
「ホント、リンはすげえよ。この短期間に、新しい精霊道具を三つも考えた上に、この石まで」
今度はオグがライアンのグラスに蒸留酒を注いで、手の石を指先で転がした。
「他にも、リンには新しいレシピもいただきましたし、兄上にグラッセのネックレスまで依頼してくれて。感謝しています。兄上も、本当にありがとうございました。兄上にも祝っていただけたと、グラッセも本当に喜んで……」
「よせよせ。さっき、すでに礼はもらっただろ。それにあれは、リンが何とかしろと押し付けていったんだ」
「ラミントンに伝わる意匠が使われていて、さすが兄上です」
その言葉に何かを思い出したのか、ライアンが脇にあった細長い木箱をラグナルに差し出した。
「リンは、『友達を訪ねる時は、手土産を持っていくものです』と言って、あのレシピを作っていてな。これは、私からの手土産だ」
「なんでしょう」
ラグナルが木箱を開けると、そこから巻紙がでてきた。
それをくるくると開いて見た途端、ラグナルが目を丸くした。
「兄上とエクレールですね」
「なんだと?」
オグも横からラグナルの手元の紙を覗き込む。
絵の中で、オグとエクレールは手を取り合い、見つめ合って立っている。それぞれがオークの枝の冠と花冠をかぶっており、衣装からしても、夏至の結婚の儀式の絵だった。
「こんなのいつ描いたんだ」
「シムネルに頼んだ。絵師ではないが、なかなかいい絵を描く。リンが、ラグナルも結婚式に参列したかったのではないかと、気にしていたのだ。……せめて、絵だけでも」
「それでか!シムネルがお前の使いだとギルドへ来たが、大した用ではなくて」
「婚約のピンを見ないと描けないと言ってな」
ライアンとオグが言い合っている間、ラグナルはじっくりと絵をみて、微笑んでいる。
「ライアン、ありがとうございます。良い額を頼まなければ」
「おい、ラグ、そんなの飾るなよ。恥ずかしいじゃねえか」
「大丈夫です。兄上から見えないところに、こっそり飾りますから」
「ああ、もう」
オグは自分のグラスを飲み干し、さらに蒸留酒を注いだ。甲斐甲斐しく、ラグナルに別のグラスの世話もしている。ライアンはシー・ヘリソンを気に入ったのか、先ほどから、それを舐めては、蒸留酒を流し込んでいる。
「そういえば、ラミントンでは、婚約にピンを贈るのだな」
「そうですね。大抵このように波の模様をいれて……」
ラグナルが描かれたエクレールのピンを指す。
「ああ、もう、それはいい。それよりライアン、お前こそ、リンに贈ったあの石はなんだよ。青じゃねえか」
「変幻石だ」
「あのように鮮やかで、美しく変化するものは、初めてみました」
「それで、ちゃんとリンに言ったのかよ?」
オグもラグナルも、なんでもない振りをしつつ、じっとライアンを見つめてくる。
ライアンがくいっとグラスをあおると、カラカランと、グラスの氷が音を立てた。
「……風向きが悪くてな」
「なんだと?」
「シルフの邪魔が入ったのだ」
「賢者にしちゃあ、シルフを払い忘れるなんざ、手落ちじゃねえか」
「次には、そうする」
ライアンは真面目に答えた。
自分がその邪魔をしたとは思ってもいないラグナルは、今度は卵焼きに食いついている。
夜が深くなり、よく食べ、いい心地で酔ったラグナルは、クッションを枕に兄の側に横たわった。
とたんに場が静かになり、船に波の当たる音が聞こえる。
暗闇に見えるのは、空を覆う星と、手元のランプが届く範囲だけだ。
オグがランプを少し移動して、ラグナルの顔に影を作った。
「風邪を引くだろうが」
侍従に持ってこさせた毛布を、オグは寝入ったラグナルにかけてやる。
「ライアンにも、リンにも本当に感謝している」
「それはこちらもだ」
二人の声は寝静まった甲板に響いた。
大変遅くなりました。
ようやく復調して、話が考えられるようになりました。





