Port town / 港町
シュゼットは目を閉じていると楽な様子で、リン達は少しして、そっと彼女の側を離れた。
このままで配るのはまずいだろう、と、結局、オグがアイスティーをピッチャーに注ぎなおした。
側にいたのは、ピッチャーを持って来た、顔見知りの、信用のおける文官ばかりだったが、精霊石から出てきた色付きの水に目を見開いた。会議にはでなかった精霊道具の存在に、オグの手元とライアンの顔を交互に見比べている。
「あ、あの、これは、新しい精霊道具、でございますか?」
「ライアン様、発売の準備はいつまでに整えるべきでしょうか?」
「もしや、夏の大市で……?」
さすがに、皆、慣れてきている。
「いや、これはまだ研究中だ。しばらく発表はない……はずなので、他言無用に」
ライアンは若干歯切れが悪かったが、文官たちはその言葉にほっとしたようだ。
隠せない興味を浮かべて『お茶の石』を見つめていたが、ピッチャーを受け取ると、それぞれが配りに回った。
リンは、便利だと思ったんだけどなあ、と、その様子をチラリと眺め、右舷と左舷を行ったり来たりして、岸辺の風景を楽しんでいる。
水面に反射する光は眩しく、日が高くなるにつれ、気温も上がってきたようだ。
「扇子よりも先に、日傘をお願いするべきだったかな」
「リン、何か作るなら、頼むから、今度こそ先に言ってくれ」
ライアンがアマンドを連れてやってきて、リンの独り言に答えた。
「もう。すみませんでした!今朝早くて、一人だったから……」
「天幕の下に入らないと、水辺の光は案外強くて、疲れるぞ」
アマンドは薄手のショールを持っており、頭からかけてくれる。
「ええ。ちょうどそう感じていた所でした」
「まもなく海に到着する」
船の到着は思ったより早く、順調に来たようだ。
ラミントンに入ってからだいぶたつが、風景が変わり、小高い丘が連なっている。そのうち左手に、ヴァルスミアのような高い城壁が見えてきた。
「あれがウェイストラ。ラミントンの海沿いにある領都で、この国の北西を守る砦でもある」
「ウェイストラ。古語ですよね えっと、ウェイ川の……」
「砦。『ウェイ川の砦』という意味になる」
「あ、潮の香りが、風に乗ってきましたね」
川岸は少しオレンジ色を帯びた岩壁で、その上に同じようにオレンジがかった、暖かみのある灰色をした城壁が続いている。城壁のさらに向こうに、オレンジ色の屋根が連なるのが見えた。
「ひと際高い場所に見える屋根が、ラミントンの領主館だ」
頭の遥か上にそびえる城壁を眺めながら進むと、前方に大きな青が広がった。
「海です。ライアン、海が見えますよ!」
久しぶりに見た海に、リンのテンションはぐぐっと上がり、乗り出すように前を見ている。まぶしいのか、扇子を顔の上にかざしているが、船べりから離れずにいる。
「風が強い。センスやショールを飛ばされないように、注意した方がいい」
リンはその言葉に、タッセルを手首に絡めて、ぐっ、と握りなおした。
乗務員がバタバタと動きだした。
河口から沖に出ないように船が操られ、突き出した陸と城壁に沿って、左にまわり込むように進むと、石壁にオレンジの屋根が印象的な港町が見えてきた。
青い空と海に、オレンジ色のコントラストがとてもきれいだ。
領都のウェイストラは、北にウェイ川が流れ、西は海に面している。丘陵に町が作られており、港が一番低く、領主館が見晴らしの良い、高い場所にあった。
「家の造りや石壁の色合いも、ヴァルスミアとは違いますね」
「ああ。海沿いの岩の特徴だな。……クルード」
ライアンが短い祝詞を唱えると、ふっと、周囲の空気がゆるんだように感じた。
「もしかして、今、術を解きました?」
「ああ、あそこに風と水の術師がいるだろう?彼らが船を港に導く」
指差す方を見やれば、緑と青のマントが岸壁に見えた。
腕で合図を出しながらも、風と水で誘導しているようだ。慣れているようで、ゆっくりと船が岸に近づく。
ライアンから術師へ役目が渡されたようだが、周囲の空気と共に、ライアンの緊張もゆるんだように思えるので、やはり自然を操るには力がいるのだろう。
術師の周囲には、港で働く人とは別に、こちらの出迎えなのであろう、ラミントンの文官と騎士の姿が見えた。
精霊術師以外、ウィスタントンのマントは群青色だが、ラミントンのマントは、スカイブルーというのだろうか、晴天の空のような薄い青色だ。
ほとんど衝撃のない丁寧な着岸の後、すぐに艫綱が投げられ、タラップが掛けられた。
数名の騎士と文官が降り、挨拶を交わすと、領主夫妻とシュゼットが続いた。
シュゼットは足取りもしっかりとしていて、顔色もそんなに悪くない。
「リン、いくぞ」
ライアンに促され、リンはキョロキョロと周囲を確認すると、アマンドがしっかりピクニックバスケットを持っている。リンは安心して、ライアンに続いてタラップを降りた。
動かない大地は安定感が違う。少し揺れているような身体をしっかりと支えた。
ウィスタントン公爵一家を出迎えに出ていたのは、ライアンと同じ年頃の貴族男性で、聞こえる話から察するに、ラミントンの領主一族の者であるらしい。
「あれは、ラグナルの義理の妹の夫で、ハルヴァ殿だ」
ライアンがリンにそっと教えてくれた。
挨拶が終わると、港のすぐ前にある大きな石造りの建物に通された。
ラミントン領の紋章なのか、水の上に漂う船が描かれた旗が揚がり、海風に翻っている。
入ってすぐ右手に、天井の高いグレートホールがあった。海側の窓が大きく取られ、光も風も通るし、開放感があってとても気持ちがいい。
テーブルがずらりと並び、すでに宴席の準備が整っている。
ここは来賓をもてなす、迎賓館のような建物らしいと見当をつけた。
「早く到着して、すまない。昼食まで、父上と母上、それからシュゼットを休ませたいのだが、上階の個室を借りてもよいだろうか」
ライアンが尋ねると、ラミントンの文官が大きくうなずいた。
「もちろんでございます。ご用意してございます」
文官が、騎士や側仕えを従えた、領主夫妻とシュゼットを案内していった。
「リンも、休むか?」
「えーと、時間があるなら、少し港を見学したいです。せっかくですから」
リンは今朝から、というより昨夜から、興奮気味で全く疲れを感じない。
ライアンはアマンドには休憩を取るように言うと、私がご案内しましょう、というハルヴァの後について、フログナルドともう一人、ウィスタントンからの護衛騎士を連れて、リンと共に外へと向かった。
人も物資も動きやすい季節だからか、港町はかなりの賑わいだ。
停泊中の船も多く、荷運び人が木箱や麻袋を抱え、動き回っている。
港に面した場所には、リン達が入った一番大きな建物以外にも、飲食店や宿が並び、市のような天幕も見える。
リンはその賑やかな雰囲気だけでも、楽しくなってきた。
「何かが焼ける香りがします。香ばしい。海老かな?」
リンはもう鼻を動かして、香りの源を突き止めようと、辺りを見回している。
「この後、ラグナル達と昼食だということを忘れないように」
「わかってますよ。少しだけにします」
食べません、ではなく、少しだけにする、というところがリンだ。
飲み屋の外には、大きな樽がテーブル代わりに出ていて、そこでオレンジ色の身をした貝を摘まみながら、乗務員だろうか、乗客だろうか、男達がビールを立ち飲みしているのが見える。日に焼けていて、腕の筋肉がハンター並みにがっしりしているのが乗務員だろう。
仕事終わりに青い空と海を眺めて、潮風に吹かれながら飲むのは、どんなに気持ちがいいだろう。
前方の飲食店に、オグが引率の先生のように、ローロ達、ハンター見習いを連れて立っているのに気づいた。
見習い達は手に、スープボウルらしきものを持っている。
「あ、いいなあ」
リンはパタパタと近づいた。
案内をして来たハルヴァは、オグに気づくとハッとして、最敬礼を取った。
「馬鹿、ハルヴァ、やめろ」
その様子をぽかんと見つめる見習い達の視線に、オグが焦り、ハルヴァに何かを話しかけた。ハルヴァはオグの声に涙をためている。
「ハルヴァ殿は過去に、オグの側近、腹心だった男だ」
ライアンの声に納得した。
ようやくハルヴァが落ち着いたころ、リンはすでに子供達のスープボウルをのぞき、自分の分を注文していた。
オグが呆れて声をかける。
「リン、お前、この後昼食会だろう?」
「オグさんもでしょ?いい香りだし、食べたいじゃないですか。量は少なめでお願いしました」
「俺は昼食会には出ないぞ?平民だからな」
「ん?私もですよ?」
「そうだったな……」
オグとリンは見つめ合った。
その様子を見て、ライアンはため息をつく。
「貴族も平民も関係なく、ウィスタントンの船団のすべての者に、昼食の用意を頼んである。席は離れるかもしれないが」
お前たちもだ、と言われ、見習い達は、えっ、と驚いて顔を見合わせている。
「今、食べるなら、それ一杯だけにしておけ」
そう言うライアンの元へ、シムネルからシルフがやってきた。迎賓館へ戻らなければならないらしい。
ライアンはリンを一人残すことを渋っていたが、背の高い護衛に囲まれていては、海も眺められない。まだスープだって食べていないのだ。
日差しに注意するように言い残し、リンをオグに預けて、ライアンはハルヴァと護衛と一緒に戻っていった。
運ばれたスープは、白身の魚に、玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジンが入っている。白いのはヤギの乳が加えてあるのだろうか。上に乗る緑は、ディルのように見えた。
リンもいるので、立ち食いはまずいと、屋外のテーブル席に腰を下ろす。
目の前に海と船が見えて、吹き渡る風が本当に心地良い。
「「森よ、ドルーよ。我らの命をつなぐ毎日の糧をお与えください。芽吹きと恵みに感謝をささげます」」
スープは野菜と魚のダシがでていて、ほっとする優しい味のスープだった。
「これはこの辺りでよく食べられる家庭料理なんだ。必ず牛乳が入っている」
「ヤギ乳じゃなくて、牛乳なんですね」
ウィスタントンでは、ヤギミルクが多かった気がする。
「船から牛が多く見えたろ?この辺りは、牧草が良くて、牛乳がおいしい」
「ああ、潮風のせいかもしれないですね。牛って塩の塊が必要だった気がします」
何気なく言われた言葉に、オグが驚いた。
「そうなのか?」
「遠くから見たことがあるだけですけど。ウィスタントンでも、羊とかヤギが有名な場所って、岩塩が採れる南部でしょ?関係あるんだと思いますよ」
リンは、見たことがある、とだけ言い、牛乳とヤギ乳のどちらが好きかを、子供達と言い合いながらスープを食べている。
成人間際の子供達の中に入ると、リンが一番小さく、子供に見えるのだが、その知識はとんでもないものだ。
「じゃあ、他の地域にも塩を置いたら、良くなるっていうことか?」
「それは試していただかないと、わからないですけど」
「そうか。ラグとライアンに言って、研究するべきだな」
オグは満足そうにうなずいた。
その後も、停泊する船を見学しながら港の端までくると、船底に付いた海藻を掃除する者がいた。赤や緑がこすられて、落ちていく。
「オグさん、あれは海藻ですよね。どの種類ですか」
「種類はわからんなあ。そこの岩場を超えるとたくさん生えている。船底にも付くから掃除が大変なんだ」
「この辺りでは、どうやって食べますか?」
オグは不思議そうな顔で、リンを見た。
「食べないぞ。ここのは、魚と貝の餌だろ?あと畑の肥料だな。シーアスパラは水の効果のある薬になるが、ここからさらに南の村まで行かないとない。あれもうまくはねえ。海の味だ」
「海の味……。まあ、味付けをしなければ、そうでしょうけど」
リンは近くに寄ってしゃがみ込み、こすり落とされた赤と緑の海藻を眺めた。
食べられる種類だろうか。
しばらく考えていたが、ウィスタントンでは手に入りにくいから、やっぱり少し採って試してみたい。
「私、ちょっと採集してきます」
「ちょっと待て、リン。採集してどうするつもりだ」
オグが立ち上がったリンを慌てて止めた。
ローロはまたか、という顔をしているが、他の子達は目をパチパチさせている。
「もちろん食べてみるんです」
「あれをか?」
「ええ。食べられる種類じゃないかと思うんですよ。ここだと厨房を使えないから、乾燥させて、天ぷらとか、サラダとか、卵焼きに混ぜても風味がいいし」
オグは食べたことのある料理の名前にググっと、喉の奥でうなった。
だいぶ早く到着したとはいえ、食事会までにそんな時間があるだろうか。
空を見上げて、太陽の位置を確かめた。
「恐らく一刻ぐらいしか時間がないぞ?」
「大丈夫ですよ。試食分を少し取るだけですし。ローロにも手伝ってもらいます。オグさん達は戻っていてもいいですよ?」
リンの後ろで、ローロは、当然自分の仕事だといった様子で立っている。
「馬鹿をいうな。置いて戻ったら、俺が怒られる。……あー、採集依頼を出してもいいか?」
オグは周りの見習い達を見た。
この旅の期間は、日当が領から払われることになっている。
追加で採集依頼があるなら、むしろありがたいぐらいだった。
「じゃあ、早速始めましょ」
リンは岩場の方へすたすたと歩き始め、気づいた。
「あ、採集用の籠、持ってきていません」
「ちょっと待て、リン、そのドレスと靴で行くな。レーチェとアマンドが嘆くぞ。お前は港側で指示だけ出しとけ。籠は借りてくる」
オグは手近な店に入っていった。
つまらない。女性ハンター用の衣装をレーチェに作ってもらうべきだ。
岩場の手前で、ローロにも、リンさんはそこから動かないで、と、言われて待っていると、種類の違うものを少しずつ採って見せにきた。
身軽にひょいひょいと岩の上を、飛び移っている。
「うんうん。この緑のヒラヒラしたのと、赤のツンツンしたのを欲しいかな。あと、ローロ、さっきから気になっているんだけど、その岩の隙間にいる、紫のトゲトゲした丸いの、ちょっと採ってくれる?ちゃんと手袋して」
「……リンさん、これ、トゲが動いてるよ」
気味悪そうにローロが手に載せて見せてくれたのは、間違いない。ウニだ。
「うっふっふっふふふふふふふ……よしっ!」
リンは気持ちの悪い笑いをもらした。
「ローロ、これ、たくさんとって!すっごくたくさん。おいしいから」
久しぶりに見たウニに、リンは思わずこぶしを握って、大興奮だ。
ウニを開けて食べたかったが、ナイフはピクニックバスケットの中だ。手の平に載せた海藻を『水の石』を使ってよく洗った。口に放り込もうとしたところで、戻ってきたオグから、慌てた声で制止がかかった。
オグは手に、平たい籠を持っている。
「馬鹿、リン、ここで食べるなよ。王都まで待て。向こうのギルドで毒性がないかチェックしてからだ」
「えええええ」
青のりのような、ワカメのような海藻を食べるのは、王都までおあずけになってしまった。ウニは迎賓館で食べられるのだろうか。
なんだかもう、王都に行かずに、この港にしばらくいてもいい気分だ。
オグはリンの手から海藻とウニを取り上げて籠に入れると、ハンター見習いの子達に籠を預けるため、岩場を渡っていった。
しばらくして、ライアンからリンに、シルフが飛んできた。
「『リン、どこまで行っている?ラグ達が到着した。半刻程で昼食だ』」
「オグさーん、ラグ達到着したそうです。半刻で昼食だそうです」
「お、まずいな。すぐ向かおう。ライアンにシルフを送るなら、ラミントンの者に、採集の許可をもらうように言ってくれ。報酬も発生するし、こちらのハンターズギルドに、一部手数料も納めないとならんかもしれん」
オグは子供達を集めにいった。
「シルフ、レコダレントゥラ ヴェルバ。『港の端の岩場で採集しています。ライアン、おいしいのが、たくさんですよ!今からすぐに戻りますね。オグさんが、ラミントン領に、採集の許可をもらってくださいと言っています。じゃあ、後で』ミジット オブセクロ ヴェルバ ライアン」
ライアンからのシルフはすぐに戻った。
「『採集だと?そういう許可は、採る前にもらうものだ。気を付けて戻れ』」
誠にもっともな指摘だった。
PCトラブルで遅れました。いや参りました。
お読みいただき、ありがとうございます。 評価も感想もとても嬉しいです。





