Siblings /兄妹兄弟(きょうだい)
出発を二日後に控え、リンは行きの船で食べる焼菓子を、せっせと作っていた。
遠足にはおやつが付き物だ。
厨房はブルダルーが出発前の片付けを始めており、リンはライアンの工房で作業して、パン焼き窯を使う時だけ厨房を借りていた。
クッキーを窯に入れて戻り、今は別の菓子に取り掛かっている。
「うわあ、なんだろ、この紫のでろんとしたの」
工房の戸棚から、リンは薬用のマーシュマロウの根をもらった。これをゼラチン代わりに使い、シュゼットのための、すみれ色の菓子を試作中だ。
領主夫人の名前を付けた、社交用の菓子はすでにできた。
シュゼットはリンに、自分も欲しいとは言わなかったけれど、「シュゼット」と名前の付いた菓子があったら、きっと喜ぶだろう。
あの可憐な笑顔で、顔をパッと輝かせて、リン、ありがとう、なんて言われたら、きっと自分は怪しくニヤけて、身もだえてしまうだろう。
その笑顔を想像して作っているのに、皿に広がるのは紫色の物体だ。
指でつつくと、ぷるるんと揺れる。
リンが作りたいのは、すみれ色のマシュマロで、決して紫のスライムではない。
「……マーシュマロウの根が足りないってことだよね」
マーシュマロウの根は、喉にいい薬になる。
舞踏レッスンの時も、シュゼットは軽い咳をしていて、不快だろうなあと思っていたリンだ。
もともとはマーシュマロウの根を使ったから、マシュマロという名前の菓子になったので、できるはずだと思っている。
うまく固まる配合さえわかればいいのだ。
「よし、今度は大さじ一杯にしてみよっかな」
リンはもう一つ卵をとり、卵白を泡立て始めた。
午後のお茶の時間はライアンの執務室で、できたばかりのマシュマロの試食会になった。
ブルダルーと相談して、四角く切り分け、上にすみれの花の砂糖漬けを飾った。
今回はベリーのジャムを使って色を付けたが、秋に咲くすみれがあるというので、その頃には、すみれのジャムを試そうと思っている。
「リン嬢ちゃま、柔らかくて、指先でつまめて、良い菓子ができましたなあ」
すみれの砂糖漬けを持ってきてくれたブルダルーが、リンを褒める。
柔らかさも、花の飾られた可憐な見た目も、女の子のお茶会で喜ばれそうだ。
「マーシュマロウの根のとろみを、うまく使ったんですよ」
「あの、やけどの薬の根がなあ……」
厨房にはいつも根が用意してあり、煮出してシップのように貼るという。
「喉の薬だと思っていたんですけど」
「粘液が、皮膚や粘膜の保護に良いのだ。両方に使える」
ライアンがマシュマロを指でつまんで、感触を確かめながら言った。
「喉の保護に良いのだが、根は甘味も、苦みもある。とろりと喉を覆って、美味しい物ではないのだが、これは全く別の物に見えるな」
ライアンは小さなキューブの一つを、口の中に放り込んだ。
「薬ではなくて、お菓子ですから」
「不思議な食感だが、味は良い。おいしく、そのうえ喉を保護する菓子なら、シュゼットは喜ぶだろう。アレは熱を出す時はいつも、喉の不調からなのだ。なのに薬を嫌がる」
兄の顔をして、困ったものだとライアンが言う。
「それは薬の味がひどいからです。……喉には、こちらのレモン風味がいいかも。ライアンも、こっちの方が、すっきりとして好みだと思いますよ」
リンは薄い黄色のマシュマロを指した。
こちらには、上にレモンピールが飾られている。
すみれ色のマシュマロができた後、シロップ&レモン風味のものは、本当にのど飴替わりに、と作ってみた。
「マーシュマロウの根は、これからが収穫時期じゃな。ハンターズギルドに採集依頼を出しておきましょう。ローロも王都へ行くのでな」
ブルダルーが請け負った。
作ったクッキーとマシュマロを摘まみ、お茶を楽しんでいると、シムネルの所にシルフがやってきた。
「おや。……少し失礼致します」
シムネルは執務室の外に出て、飛伝を受けとるようだ。
夏の社交前の手配が増えているせいか、最近よく見かける光景だ。
出て行ったシムネルが、すぐに戻ってドアを開けた。
「ライアン様、リン様、城壁『船門』の騎士からです。ボスク工房のクグロフを訪ねる者が到着したようなのですが、ブリンツと名乗っており、クグロフの兄のようなのです。ボスク工房は公爵家のお抱えですし、どちらに通したら良いかと申しております」
リンはガタリと立ち上がった。
「あの、えっと、通してください。クグロフさんの生き別れになっているお兄さんです。私、迎えに、いえ、先に知らせに」
「リン、落ち着け。シムネル、オグを誘って『船門』まで迎えを。ブルダルー、シュトレンに伝えて、クグロフの工房へ知らせを」
シムネルとブルダルーが執務室を出ていくと、リンは、再度ペタリと腰を落とした。
「お兄さん、見つかったのですねえ」
椅子の背もたれにぐでりと寄りかかり、リンは、ふう、と息を吐いた。
シュトレンと共に、クグロフがすぐに工房の裏口に現れた。
「ライアン様、リン様、兄が到着したと……」
クグロフは、驚きに、期待と不安が混じったような、なんともいえない顔をして、ペコリと頭を下げた。
「今、城壁門へ確認と迎えを出している。間もなくここへ来るだろう。応接室へ移動しよう」
応接室に座ったが、クグロフはどうにも落ち着かない様子で、膝の上で手を握り締め、窓の外を眺めている。
ライアンの元へ、シムネルからシルフが飛んできた。
「間違いないようだ。旧エストーラ公国の金細工師、ブリンツ・ボスクと名乗っており、マントを留めるピンに、形は違うがフォレスト・アネモネの印章が付いている。すでにこちらへ向かっている」
「兄です!工房の印のピンで……」
クグロフの声が揺れ、最後はぐっと歯を噛みしめた。
「ドアの前で待ちましょうか。そろそろ姿が見えるかもしれません」
リンもどこか落ち着かず、クグロフにそう提案して外へ出た。
しばらくの間、じっと道の先を見つめていると、隣のクグロフが息をのんだ。
「兄さん!ブリンツ兄さん!」
叫んで走り出したクグロフの向かう道の先に、シムネルとオグに並んで、一人の男性が歩いてくる。男はクグロフに気づくと手を挙げて、数歩、前にでた。
男の側にたどり着いたクグロフと、がっしりと抱き合う。
「クグロフ、顔を見せてくれ。……ああ、無事で本当に良かった」
「兄さんも。いつか会えると思っていました」
互いの顔を眺め、再度抱きしめ、泣き笑う。
「良かった。どうしているかと心配だったが、……元気そうだ」
「はい。今は落ち着いています。ウィスタントン公爵家の庇護をいただきまして」
クグロフは振り返って、工房の前に立っているライアンとリンを見やった。
兄弟は工房前まで早足で近づくと、丁寧に礼を取った。
「ライアン様、リン様、私の兄、ブリンツです」
「ブリンツ・ボスクと申します。この度は、弟をお助けいただき、本当にありがとうございました」
「いや、クグロフの頑張りだ。こちらが助かっている」
ブリンツは旅姿で、足元も埃っぽく、遠距離をやってきたように見える。汚れておりますから、と遠慮するのを、とりあえず中へと促して応接室に落ち着いた。
シュージュリーのエストーラ侵攻時には、ブリンツは少し離れた国に素材の調達に出ており、旅先でその話を聞いた時には、数週間が過ぎていたという。
「すぐにエストーラに戻りましたが、すでに工房は空で、東の隣国へ逃げるというクグロフが書いた私宛の手紙が、隠し扉から見つかりました」
「兄さん、一度エストーラに戻ったのですね?父さんは……」
ブリンツは首を横に振った。
「お前の手紙に、父さんは大公館へ行ったとあったので、公都ものぞいて見た。だが、大公館も、街も火を掛けられた後で……。あれでは、とても助かったとは思えないが」
「シュージュリーは、街にまで火を掛けたのですか」
「いや、エストーラ側の兵士が、奪われまいと街に火を放ったと聞いたが……」
クグロフの言葉にブリンツはまた首を横に振り、本当のところは分からない、とため息をついた。
「それで手紙にあった通りに東へ向かって、難民が住むと聞いた地をあちこち探していたのだが……。まさか、西側のフォルテリアスにいるとは思わなかった」
シュトレンが、朝から何も食べていないというブリンツのために、サンドイッチを持って入ってきた。
ライアンとリンも一切れ取って、ブリンツに食べるように促した。
「エストーラへの侵攻があったのは夏の初めで、国を離れて数か月は、確かに東の方を転々としておりました。ここへたどり着いた時は雪で、もう旅には厳しい時期で。ここは追い出されないとわかって、兄さんの仕入れ先にも手紙を出したのですが」
ブリンツはクグロフの言葉に、その数か月の旅を思って、眉を顰めた。
「入れ違いになったのかもしれない。仕入れ先には戻らずにいたから」
「ずっと探していらっしゃったんですね」
リンはブリンツにお茶を差し出しながら聞いた。
「はい。商業ギルドで旅商人を紹介してもらい、その馬車に同乗して、町を巡っておりました。木工ギルドにも、クグロフの登録がないか探しまして」
「ここで登録されても、国が違うと、見つけるのは難しかったのではないか?」
「はい。ギルドでは見つかりませんでしたが、ある町の商人が、こちらの春の大市で、ブラシ、といいましたか、エストーラのボスク工房の物だという製品を仕入れておりまして」
ブリンツは持っていた革袋から、クグロフの作ったブラシを取り出して、テーブルに置いた。
工房の印章は少し違うが、ボスク工房の名前と、エストーラの者だということ、何より、木に施された花の細工がクグロフの手によるものだと思って、慌ててこちらに来たとブリンツは言った。
「五枚の花弁のフォレスト・アネモネは、こちらのリン様の花なのです。最初に、私に仕事を任せてくださったのがリン様で、ボスク工房の名前を付けて、兄さんを探すようにご提案くださったのです」
ブリンツが再度リンに、深々と頭を下げた。
「え、えーと、オグさんに紹介されて、作りたいものをお願いしただけですから。このすぐ裏がボスク工房なので、私、つい、いろいろお願いして、こちらこそ、ありがとうございます」
「工房までいただいたのですね。本当にありがとうございます」
リンとブリンツで、ペコペコとお礼合戦になったところで、遠方から来た彼を休ませようということになった。
クグロフとガレットは、アルドラの塔の脇に家を建てて一緒に住んでおり、住まいもここからすぐ近くである。
オグとシュトレンも、兄弟と一緒に行き、家に足りないものを整えるようだ。
深々と頭を下げ、兄弟並んで出ていく背中を見送って、リンは食事の差し入れを見繕っているブルダルーの手伝いにいった。





