Compliments to the cooks / 料理人への賛辞
リンは差し出されたシュゼットの右手を取り、緊張して左足を引いた。
「まず、前方に国王王妃両陛下がいらっしゃるから、軽く腰をかがめて。そう。今度は、手を繋いだパートナーの方に顔を向けて、同じように挨拶を」
「こ、国王王妃両陛下……」
今日は一日、リンは館で仕事である。
このシュゼットとの舞踏の練習が、本日最難関であることは間違いない。
「本当に舞踏はしないとダメなんでしょうか。その、国王王妃両陛下の御前で」
「ええ。今、練習しているこれは、絶対ね。リンのように初めて王城の社交にでるのに、皆に覚えていただく披露の舞踏なの。さ、続き、左足からよ」
イチ、ニ、サン、シ、で前へ進み、弾むように右足を軽く上げて、イチ、ニ、サン、シ、で後ろに下がる。
「向き合って、左に一歩、右に一歩、その場でくるりと左に回って。そう。私の、パートナーの目を見ながら。あら、最後の軽やかなホップを忘れてはダメよ」
基本は四拍子の曲に合わせて、単純な繰り返しのステップだった。
簡単なようで、握られていない右手もだらりとさせず、背筋をのばして、ふんわり軽やかに、と、シュゼットのようには、なかなかいかないものだ。
軽やかにいかないのは、体重が増えたせいではないと思いたい。どうも腰回りが、ぷよぷよしている気がして、リンは寝る前のストレッチを強化しようと思った。
「いいわ。これはそんなに長くないから、大丈夫でしょう?皆で並んで、ぐるりと会場を一周したら終わりなのよ」
それだったら、なんとかなりそうだった。前の人を見て、外れないようにすればいい。
「じゃあ次は、建国祭の時に踊る曲よ」
記憶と筋肉のあちこちを使った時間が過ぎ、リンは、ぐったりと疲れていた。
この後は領主一家と、社交のデザート試食会なのがちょうどいい。
ブルダルー達が張り切っていたのも知っているし、甘いものは、疲れを癒してくれる。
これが楽しみで頑張ったのだ。
シュゼットと一緒に領主夫人のサロンへと向かうと、領主、領主夫人、ライアン、ライアンの義姉のケスターネがすでに集まっていた。
リンが部屋に入ると、リンの胸元に下がる石に、さりげなく視線が集まった。
この日までに、館にはあちこちから報告が入っていた。
『ライアン様がリン様に、輝く貴石を贈られた』
『リン嬢ちゃまは、調理中も、それは嬉しそうに石を触られていた』
『リン様からも、ライアン様に贈り物をなさったようです』
『石の色は青ではなく、プロポーズではないようだ』
「ピンクか……」
「え?」
腰をかがめて礼を取っているところに、ボソリと呟かれた領主の言葉は、リンには聞き取れなかった。
「リン、よくいらしてくださったわ。舞踏の練習はいかがでしたか?」
領主夫人に促され、シュゼットにひっぱられ、リンは長椅子のシュゼットの横に腰を下ろした。
「はい。ええと、王都へ行くまでに忘れそうです……」
「ホホホ、最初はそのように思うものですよ。練習すれば大丈夫です」
建国祭の舞踏のステップは、難しかった。
シュゼットがライアンを見て言う。
「やっぱりお兄様も、リンと一緒に練習をされたらどうかしら?建国祭の舞踏は、しばらく踊っていらっしゃらないでしょう?」
お兄様もご一緒に、というシュゼットの誘いを、必要ないと言って、ライアンは今日、リンを置いてさっさと逃げたのだ。
「建国祭には、術師のマントを着用して臨むのだ。舞踏は踊る必要がない」
「そんな裏技が……」
「リンはせっかくだから、覚えておくのがいいだろう」
術師のマントには、舞踏ブロック効果が付いているらしいが、それでもリンは練習から逃れられそうになかった。
サロンのローテーブルの上に、菓子が綺麗に盛り付けられた、三段のケーキスタンドが二つ運ばれてきた。
「カリソン様と、シュゼットの三段スタンドになります」
カリソンのスタンドには、薔薇『カリソン』が絡み、蝶や鳥もスタンドに休んで、穏やかなローズガーデンを写したかのようだった。
シュゼットの方は、スミレを中心とした草花と、レースのリボンがふわりと風に揺れるかのようで、金でできているのに柔らかな印象がある。
どちらも美術工芸品と言っていい出来映えだった。皿を置くと隠れる部分まで、しっかり装飾を施されている。
「これは、美しくて、目を引きますわね」
三段スタンドには、一番下の皿にサンドイッチ、真ん中に昔からの伝統的なタルトやパイ、一番上にムースにメレンゲ、バニラやジャムを使った、目新しい菓子が盛りつけられていた。
どれも貴婦人が摘まんで食べるのにちょうどいい、一口サイズになっている。
「下段のサンドイッチから食べ始めて、上段へとすすむのがいいかと思います」
サンドイッチはローストビーフの赤に、卵の黄色、スモークチキンで白、と、色合いも味も全く違う、三種類だった。
「リン、私、このふわふわの卵が大好きよ。少し甘いのですもの」
「私は、このスモークチキンだ。このサントレナのレモンとも良く合う」
「ローストビーフのピリリと辛いソースがいいのだ」
領主が気に入っているローストビーフは、オリーブオイルにサラマンダーの怒りや粒マスタード、などを混ぜて擦り込み、玉ねぎと一緒に焼いたものだ。ちょっとピリ辛が後を引く。ガーリックやタイムを入れてもおいしいのだが、ムースなどと一緒にするには香りが強すぎるので、今日はなしだ。
領主やライアンに、執事がそっと、サンドイッチの別皿を出している。
皆が口々に好みを言うのを聞きながら、リンは女性陣にアイスティーのグラスを出した。
今日のお茶は、夏の社交で貴婦人に好まれそうなお茶を選んでいて、見た目が美しいのも大事なポイントだ。
グラスの底に、サントレナのレモン果汁に甘味をつけた黄色のシロップを入れ、上からブルーマロウの花を使った、青いアイス・ハーブティーを静かに注いだ。
黄色から、紫、水色へと三層に色の変わるセパレート アイスティーになった。
「なんて綺麗な色でしょう」
「リン、これはあの、のどに良い花のハーブティーでしょう?」
シュゼットが思い出したのか、顔を輝かせた。
「ええ。アイスティーにしてあります。これも混ぜるとピンクになりますよ」
「リンの作るものは、本当にお茶もお菓子も美しくて、おいしいこと」
リンは続けて、領主とライアンに、別のアイスティーをだした。
こちらも二層に分かれているが、下がリモンチェッロ、上がライアンの好きな紅茶のアイスティーだ。
「お茶会に男性が同席される時は、アルコールの入ったものもいいかと」
リンも座って、ブルーマロウの青いアイスティーを混ぜ、ピンクに変えた。
あれ?と、自分の胸元にかかる、桜のペンダントを眺める。
「ああ、その石と同じ色変化だな」
リンのその様子を見て、ライアンが言うと、領主が驚いた。
「なんと、それは変幻石であったのか」
「はい。外に出ると、透明な青に変わるのです」
「そうであったか」
領主は満足そうにうなずくと、ライアンをみて、ニヤリと笑った。
どの菓子にもお褒めの言葉をもらって、三段のスタンドはほとんど空になった。
「まあ、このクッキーにも『カリソン』が使われているのかしら」
『カリソン』の薔薇を使ったローズジャムと、ヴァルスミア・ベリーのジャムを合わせて挟んだクッキーである。
サクサクで、口当たりの軽いクッキーなのだが、ローズジャムとベリージャムのちょうどいい配合を探して、ブルダルーと館の料理人が苦労したクッキーだった。
薔薇の風味が強くてもおいしくなく、ベリーが強くても、薔薇の香りが消えて意味がないのだ。
リンも何枚、味を見たかわからない。
「これは、私の国でも、デュシェス、ええと、つまり『公爵夫人』と、名のついたクッキーなのです。なので、カリソン様だけが使われるレシピにされたらいいかと思います」
「お母さま、それは素敵だわ」
領主一族の笑顔に、壁際に並ぶブルダルー達料理人も本当に嬉しそうである。
「ええと、最後は、この夏発表になる『凍り石』の精霊道具を使ってつくる、新しいデザートになります。すぐに溶けてしまうので、三段スタンドで出すのは難しいのですが、お茶会でも、晩餐会のデザートにもいいかと思います」
ブルダルーが横にワゴンを持ってきて、盛り付けを始めた。
今日のアイスクリームは、「ヴァシュラン」と呼ばれるアイスクリームケーキだ。
フランスのお菓子で、バニラやラズベリーのアイスクリーム、メレンゲクッキー、生クリームなどで作られている。
丸いクッキー型を使って、下にバニラアイスクリーム、その上にピンクと白のメレンゲクッキーを砕いた層を挟み、一番上に、ウェイベリーという、ウェイ川沿いで採れる酸味のあるベリーを使った、ピンクのベリーアイスを入れて、きれいな三層に重ねてある。
生クリームを星型の口金で絞りだした、白とピンクの薔薇の花でデコレーションし、そのまま冷凍室に入れてあった。
蜜蝋を引いた布と口金を使った絞り袋も、ライアンの美意識が納得するまで口金を調整し、何度も作り直して、やっと美しい薔薇が絞り出せるようになっていた。
付き合ったグノームと料理人に感謝である。
真っ白な皿に、赤いベリーと薔薇のソースを流し、その上にヴァシュランを置く。皿の上にフレッシュベリーと、これも薔薇の形をしたメレンゲクッキーを手早く飾りつけて、赤と白が印象的な一皿が出来上がった。
「赤薔薇と白薔薇が咲いているようですわね」
「これは見事なものだな」
皆が、赤と白のプレゼンテーションに見惚れたようだった。
リンはその横に、今度は温かな紅茶を置いていく。
「アイスクリームという口の中で冷たく、滑らかにとろける、夏のデザートです。溶けてしまう前にどうぞ」
一匙すくって、口に入れ、ライアン以外はその冷たさに驚いている。
「リンの言う通りね。口の中で溶けたわ」
「夏に、このように冷たい菓子を食べられるなんて」
リンもうっとりしながら、アイスケーキを楽しんだ。
バニラの風味とベリーの酸味がちょうどいい。メレンゲが口の中でサクリとするのも、リンがヴァシュランを好きなところだ。
目を丸くしながら食べる女性陣に、リンが聞いた。
「驚かれました?」
「ええ、リン。とっても」
「良かった。今日は、見た目が美しく、驚きのある菓子をって考えていましたので、それなら成功ですね」
この反応なら、王都の社交でも評判になるのではないだろうか。
「本当に、最初から最後まで驚きましたし、素晴らしかったですわ」
「あの、カリソン様、まだあるのです。夏の社交では、お茶会で出たお菓子を持ち帰れるように、小さな容器、『ボンボニエール』が用意されていると聞きました」
「ええ。お菓子入れのことね?毎年、どの領も、特別に作らせるのですよ」
一昨年はガラス器、去年は磁器、今年は銀器が用意されていると、ブルダルーに聞いた。
「それで、こちらもご覧いただきたいのですが」
小さなアイスクリームスクープで、丸いキャンディーのように形づくったアイスクリームが、銀のボンボニエールにたくさん入っている。
「コロコロとして、かわいらしいこと。これも同じアイスクリームなのかしら」
「はい。バニラ、ベリー、オーティー、クルミ、シナモン。色も味もそれぞれ違う、アイスの実です。『凍り石』をいれた箱に入れて、お持ち帰りいただけます」
「それは『凍り石』の宣伝にもなるな」
「ええ、ライアン。アイスクリームはいろいろな風味ができますから、自領の特産物も、他領の特産物も使えます」
料理人達と、たくさんのレシピをテストした。
もてなしを考えていた領主夫人の社交に、これらのレシピが役に立つだろう。
ウエストのサイズを気にしなければ、甘いお菓子をたっぷりと楽しめて、リンにも役得だったのだ。
領主夫人はゆっくりと頭を下げた。
「リン、本当にありがとう。それに、ブルダルー達、料理人も。リンの手伝いがあったとはいえ、見知らぬレシピや道具を使って、よくここまで美しく、美味しいものを提供してくださいました。本当にいつもその努力に感嘆せずにはいられません。本当にありがとう」
料理人達は、領主夫人のその一言で、すべてが報われた気がした。
いつもお読みいただきありがとうございます。
読んでくださる人が増えるかな、と、ネット小説大賞というのに応募していたのですが、さきほどふらりと見に行ったら、一次選考に通過していたようです。うわーい、と、びっくりが同時に来ました。





