Wish / 願い
夏至の翌朝、ライアンが工房へ来たのに気づいて、リンはパタパタと階段を駆け下りた。
「ライアン、青になりましたよ!」
昨夜もらった桜のペンダントを、リンは窓辺のコンソールテーブルに置いてやすんだ。
今朝身に着けようとして、一気に目が覚めた。
朝になったら薄いピンクから、透き通った青に変わって、煌めいていたのだ。
「ああ。そういう石だ。変幻石といって、陽の下にある時と室内で色が変わる。様々な変化があるが、これは、陽の下で青、室内やキャンドルの光ではピンクになる」
ウィスタントンで採れる希少な石の一つで、ライアンがこだわって探した、色変化だった。
「変幻石、ですか。びっくりしましたよ」
「ここまで透明で、色鮮やかに変化する物は珍しい。グノームに感謝だな」
ライアンはリンの胸元を飾る石を見て、満足そうにうなずいた。
「はあ。二回驚いたというか、楽しめました。素敵なものをありがとうございます」
驚くだろうとは思っていたが、想像通りの反応を示したリンに、ライアンは笑みをこぼした。
今日、リンはブルダルーと館の副料理長と一緒に、社交用の菓子を試作予定になっていた。
「このクレーム・ウィスタントンを、混ぜながら冷やすんです」
今、試しているのは、バニラアイスである。
牛乳、卵黄、砂糖、バニラといった材料で、クレーム・アングレーズという、お菓子の基本となるようなソースができる。そこから応用すると、プリンやムース、アイスクリームになるのだ。
クレーム・アングレーズは、フランス語読みで、イギリス風クリームという意味だ。
前にカスタードプリンのレシピを渡した時に、誰も知らない、遠い国の名前なので、クレーム・ウィスタントンと呼びましょうか、と、ブルダルーと決めた。
クレーム・ウィスタントンに、今回、ヤギ乳を使っている。
「シルフ、もう一回かな。ヴェルベラブント ウスクエ クレピト オブセクロ。しっかり泡立てると、口当たりがよくなります。……師匠、冷えました?」
「ああ、いいようじゃな。この『凍り石』も便利じゃの」
ボウルを氷水で冷やす代わりに、『凍り石』で冷やしている。
「精霊道具として無事登録されればいいんですけど。じゃあ、こちらのクリームと一緒に合わせて、よく混ぜてください」
リンはボウルを副料理長に手渡した。
「これを冷凍室で凍らせながら、途中で何回か取り出して混ぜるとできあがり、のはずです」
作り方はあっているはずだが、リンはアイスクリームをつくったことがない。レシピ本でクレーム・アングレーズの応用として載っていたのを見ただけである。
本当に滑らかになるのか、少し心配だった。
「リン様、冷やすのではなく、凍らせるのですかな?」
「ええ。冷たい菓子です。口の中で滑らかに溶けます」
「嬢ちゃま、クレーム・ウィスタントンは、菓子のソースとしても、使っていいんでしたな?」
「ええ。フルーツやケーキや、ムースの周囲に流すんです。私が最初にこれを使ったのは、イル・フロッタントというお菓子で、浮島という意味があるんです。ふわふわのメレンゲの島が、クレーム・ウィスタントンの海にプカプカ浮かぶんですよ」
「リン様は、本当にフワフワした菓子がお好きですなあ」
アイスクリームに使われなかった卵白が残っている。今日のランチのデザートは久しぶりにイル・フロッタントが食べられそうで、リンはご機嫌だった。
午前中に、予定していた社交用のデザートをすべて試すことができた。
館での会議と披露までに課題もでき、ライアンの工房でメモを取りながら考えこんでいると、オグとエクレールが来たとシュトレンが呼びにきた。
新婚なのだから、少しはゆっくりとすればいいのに、初日から動きまわるなんてと思いながら、執務室のライアンと共に応接室に向かった。
「ライアン、リン」
「誰……」
応接室でエクレールと一緒にいる男性に、リンは目を瞬いた。
声はオグだが、オグに見えない。
「誰、じゃねえよ」
「ええええええ、オグさん、髭、どうしちゃったんですか?!」
「いや、なんだ。ラグに会いに行くのに、これの方がいいとエクレールが言うから」
夏で良かったぜ、スースーする、と顎をさすりながらオグが言う。
オグの顔の半分以上を覆っていた髭が消え、もじゃもじゃの熊ではなくなると、たいしたハンサムが現れた。
ハンターらしく筋肉が盛り上がり、ラグナルよりがっちりとした身体つきだが、確かにこれなら兄弟に見える。顔立ちはそっくりだ。
ラグナルの雰囲気からノーブルさを取り、ワイルドさを足すとオグになる。
「ハンサムだったんですねえ。別人です。これじゃあ、誰もオグさんだとわからないですよ」
「別人とはなんだ。俺の髭は、モテ過ぎたための女よけだったんだよ」
「それは言い過ぎじゃないですか?」
リンは即座に否定した。
四人で腰を下ろしながら、話を続ける。
「髭がないと、シロはとてもがっかりするんじゃないでしょうか」
「あ?シロだと?まあ、いい。俺の髭の話をしに来たんじゃねえんだよ」
そこでエクレールと二人、背筋を伸ばすと、ライアンとリンに向かって頭を下げた。
「昨日は、式を挙げられるとは思ってもいなかった。皆の祝福をもらえて、本当に感謝している。昨夜は礼を言う前に、村を追い出されたからな」
「新婚であるし、二、三日はゆっくりと過ごすのではないかと、リンとも言っていたのだが」
「そう思っていたんだけどな」
早朝の船で、ラミントンから手紙が届いたらしい。
ラグナルが今夜『青の森』に入り、週末、グラッセの所に滞在するという。要は誘いの手紙だった。
「王都へ向かう準備で、あっちも忙しくなるから、早めに行って来ようと思ってな」
夕方の船でエクレールとラミントンへ向かい、一泊してくると言う。
何か先方に届けるものがあるか、と言うので、リンはアマンドに頼んで、部屋から扇子を持ってきてもらった。
オグの目の前で広げて見せる。
「ああ、できたのか」
「はい。グラッセさん用の注文を受けているんですけれど、この私の扇子を見せて、確認して欲しいことがあるんです」
リンが確認したいのは、タッセルと親骨の飾り模様についての二点だった。
「このタッセルは付け替えられるのですが、何色を希望するか。特別に決まった色の糸があるなら、ラミントンで作るかどうか。ラミントンで作るなら、タッセルなしでお渡しになります」
「ああ、そうだな。わかった」
「同じ質問を、この親骨の飾り模様に」
リンとライアンの扇子は、クグロフに任せたところ、ライアンが金、リンが銀で、対になるような草花模様が入っていた。これもラミントンで決まった柄があるかもしれない。
「わかった。お、これには、精霊石も入れてあるのか」
「ええ。それも確認して欲しかったんです」
「ラグもグラッセも加護はないぞ。貴石を入れられるということか?」
「それでもいいんですけど、あの、もしラグが気持ちを込めた精霊石を贈りたいなら、私が精霊石を作ります」
「リンが作るだと?」
誰もが持てるようなお守りのようなものをリンは考えている。
「リン、何がしたいのか説明してみろ」
自分がもらった扇子に付いていた精霊石を思い出しながら、ライアンが聞いた。
リンは、エクレールの胸元に留められた、ユリの花のピンを見ながら説明する。
「あの、オグさんは、エクレールさんにそのピンを作った時に、エクレールさんの幸せを願いながら作ったでしょう?」
「あ、ああ、まあな」
オグはどこか挙動不審で、目が泳いでいる。
「贈り物ってそういうものだと思うんです。昨日、お二人の結婚が祝われて、グノームやドルーはもちろんですけど、村まで祝いに来てくれた人達、ヴァルスミア中に『拡声』で連絡してくれたギルド長、全員の、祝福したいっていう気持ちや願いが、お二人に祝福として贈られたんじゃないでしょうか」
オグとエクレールが目を見合わせた。
「『拡声』か。どうりで全員が知っていやがるわけだ」
「皆が祝福の声をかけてくれたわけね」
ここに来るまでにも、祝福の言葉を受けたらしい。
「それで、精霊術師は精霊石を贈れていいなあって思ったんです。術師じゃない人は、他の何かで気持ちを伝えるのだろうから、もちろん、それでいいんですよ。でも、もしラグが、グラッセさんに、例えば癒しや幸運、そういう気持ちを石に込めたいなら、私が代わりに作ってもいいかなと思って」
オグは、わからない、と、いった顔をした。
「あー、よくわからないんだが、精霊石に気持ちを込めるって、どうやるんだ?」
「え、普通に、幸運をってお願いするんですけど。あれ?ちゃんとした祝詞じゃないと、効果なかったのかな……」
リンは自分の扇子を手にとってみた。
自分ではうまく綺麗な石になったと思い、ライアンの扇子にも入れたが、ダメだったのならがっかりだ。
ライアンはその様子を見て、ふっと息をついた。
「昨夜、リンからセンスをもらったが、確かにリンの作った精霊石は、なんらかの働きがあると思われる。加護石のように作られたのだが、様子が違うのだ」
周囲は息を飲んだ。
リンの胸元、鎖骨のあたりに下がっている、昨夜までなかったピンクの石は、ライアンが贈ったものだろうとわかっていた。だが、ライアンにも、リンから贈られているとは思っていなかったのだ。
「ただ、違うのはわかるのだが、検証ができぬ。退魔に幸運、破壊と創造、癒しと浄化、忍耐強さと力強さ、検証のしようがない」
「そんなものを願ったのか……」
「リンの言葉で言えば、リンの気持ちといったところだが、願って、それに精霊がこたえて精霊石ができたのなら、恐らくそのようになっているとは思うが……」
「確かに確認のしようがないなあ。あれだろ、騎士の無事を祈って贈られた、グノーム・コラジェの花みたいなもんだろ?」
ブルダルーがバニラアイスの試食をするかと聞きにきて、リンはうなずくと慌てて立ち上がり、紅茶を入れ始めた。
「検証できずとも、そういう効果があるのだと思えば、確かに心強い。何よりそのような願いを贈られた者も、嬉しいものだと思う」
ライアンは茶を入れるリンを見ながら、そっと言う。
その口元は、ほんの少し微笑んでいた。
「……そうだろうなあ」
「まあ、リン以外に作れるものかもわからぬが。ラグが希望するなら、リンが作ると言っているから、良いのではないか」
二人で、何かと、思っても見ないことを考えるリンを眺めた。
オグがライアンに向かって、ボソっとささやく。
「なあ、ライアン。なんでピンクなんだよ。そこは青だろう?」
「わかっている。あれはピンクにも意味があったのだ。苦労したのだぞ」
オグにもそのうちわかるだろう。
「さあ、新しいお菓子の試食をしましょう。出来立てですよ」
シュトレンがバニラアイスを持ってきて、アマンドが紅茶を配り始めた。





