六、かのこいのこくまのこ 中編
並べた内臓を見て、わんわん先輩は苦虫を潰した顔をしていた。
「胆のうは残しておく約束だろうが」
猫猫も同じくむすっとしている。
「今すぐ奪い返しに行きますか?」
熊の胆のうは、熊胆の材料だ。むしろこれを主にして猫猫は熊の腑分けをしていると言ってもいい。
「猫猫、胆のうを取り返すのになぜ刃物を持つ?」
猫猫はさっと解体道具の小刀を隠す。
「宿の話はしているんだろ?」
「はい、大部屋と小部屋、二つ用意してもらえるようです」
どんな部屋かはわからないが、医官たちが報酬として渡している金額を考えると、馬小屋に案内されることはなかろう。
「今すぐ行きたいところだが、とりあえず腑分けが先だ」
「今すぐは駄目ですか?」
「駄目です」
わんわん先輩は並べた臓腑を確認しつつ、後輩医官たちに説明をしていく。真っ青な顔の姚は涙目になりながら、内臓を観察している。
(合わないならやめればいいのに)
それをしないのが姚の短所であり、長所だ。以前、長紗に言われたことがかなり響いたのか、今は実家に戻っている。
そして、長紗と言えば――。
「すみません。こちらはあとから食べられますか?」
熊の臓物を見ながら聞いていた。
「臓物は新鮮じゃないと臭みが強くて食べられないよ」
猫猫が答えると、長紗は眉毛をへにょんと下げる。
「生姜とか入れてもですか?」
「野生の熊は何食べているかわからないから」
猫猫は正直な感想を述べた。過去に腑分けした熊から人毛が出てきたことがあったらしい。
「それはかなり嫌かも」
長紗の肝はずいぶん据わっていた。
(道理で呼ばれるわけだ)
猫猫が他の医官たちにまじって腑分けをするまで、いろんな問題があった。一番大きな問題と言えば、前例がないことである。
逆に前例ができた分、すんなりと長紗も参加できたのだろう。
熊の内臓の検分が終わったら、使える内臓を加工していく。熊を材料とした薬と言えば熊胆であるが、他の部位も使い方がある。
「熊の脂肪ってもらえませんかね?」
比較的慣れた手つきの医官が言った。今回が初めてではなく何度か参加している者だ。
「脂肪はもらう約束になっていないが、どうしてだ?」
「いえ。髪に塗ると毛が生えてくると聞いたもので」
「本当か?」
わんわん先輩も興味を持っている。
殿方は一定年齢が過ぎると髪が気になってしまう生き物らしい。
猫猫は臓物を処置した後の岩の上に水をかけた。にじんだ血をこすりながら洗い流す。指先がかじかんでとても寒い。
「うー」
藁でこすりながら姚と長紗もやっている。姚の手には、あかぎれができていた。毎日、水仕事をしていれば、いくら保湿してもできてしまうだろう。
「お前ら、掃除までちゃんとやれ」
わんわん先輩に言われて若手医官たちも掃除に加わる。
中にはまだ気持ち悪そうに座り込んでいる者や、掃除なんて医官の仕事だとやらない者もいる。
姚がむっとして、掃除をしない者に声をかけようとしたので猫猫は肩を叩く。
「やめておきましょ」
「どうして?」
「わんわん先輩の目は節穴ではないですよ」
姚はわんわん先輩を見る。教育係として来ているだけあって、端々までよく見ていた。医官としての資質を見るのは勿論だが、与えられた仕事をやらないのは問題外だ。今後の出世に関わってくると思わないのだろうか。
そして、姚はどう見られているのか。
腑分けの資質はないと言ってもいいが、まだ続けている根性は認められているのだろうか。
資質は大切だが、向き合う態度はより大切だ。でなければ、天祐みたいなろくでもない奴ばかりになってしまう。
「片付けを終えたら、村に向かうぞ」
猫猫はかじかむ手をこすりながら、ふうっと白い息を吐いた。
「ここの家を使ってくれ」
猟師に案内された場所は、空き家だった。最近、でていった村民の家らしく痛みは少ない。部屋は四つあって十分すぎる広さだった。
「布団は足りないから、適当にこちらを使ってくれ」
渡されたのは獣の毛皮だ。ちくちくするがないよりましだろう。
猫猫は猟師を睨みながらわんわん先輩をつつく。
わんわん先輩は「わかったわかった」と猟師に近づいた。
「部屋はありがたいが、契約とは違う熊の臓物を持っていった件について話したい」
「それは従弟だ。俺じゃねえ」
「えっ?」
わんわん先輩は不思議そうな顔をする。猫猫も不思議に思う。さっき熊の肉を持っていった猟師ではないのか。
「うちの村は親戚の集まりでな。俺と従弟もよく似ていて間違えられる」
「……すまん、よく似ていたもので」
わんわん先輩は素直に謝った。さっきの猟師ではなく別人の村人だった。
(しかしよく似ている)
あまり人の顔を覚えない猫猫はともかくわんわん先輩も間違えていた。
(そういえば宿の手配を頼んだ人も似ていた気がする)
あまり開放的な村ではないので、血が濃くみんな似たような顔をしているのかもしれない。
「飯は出来あいならあるが」
「人数分頼む。ちょっと多めにしてくれると助かる」
わんわん先輩は、銭が入った袋を渡す。
「わかった。あと、あまり夜は出歩かないでくれ。獣に襲われても誰も助けないからな」
村人はそう言うと家から出ていった。
「冷えるわね」
「さっさと火をおこしましょうか」
猫猫は土間に積んである薪を見る。また戻る気でいたのだろうか。家具も色々残っている。
長紗がさっさと種火を取り出しているので、猫猫は藁を用意する。
「水を汲んでくるわ」
姚も自分でできる仕事を見つけたらしく桶を持って外に出る。そっとついていくわんわん先輩は大変気が利くなと猫猫は思う。
他に薪を竈に組む者、足りない椅子の代わりを探す者、何もせずにだらだらしている者。
しばらくして料理が運ばれてきた。
野菜と熊の肉を使った汁物と雑穀の粥だ。豪快かつ素朴な味は、好みによって評価は二分されている。
「ちょっと味が薄いな」
「これくらいでちょうどいい気がしますけど。塩ならありますが使います?」
「使う、ってか、懐からなんでも出てくるな?」
「私にもちょうだい」
「俺も俺も」
「僕は粥だけで十分かと」
「やっぱ獣肉はくせーな」
「生姜持ってくればよかったですね」
各々話しながら夕餉は終わる。
猫猫たち三人は一番小さな部屋で寝ることにした。狭いが大きめの寝台が一つあり、二人くらいなら横になれそうだ。
床には一人分の毛皮が置いてある。
「私が床で寝ますね」
「いえ、私が」
「ええっと」
猫猫は別に床で寝るのは気にしないので申し出るが、後輩の長紗としてはいただけない。
「別に毛皮もありますから気にせずに」
「そのままお言葉お返しします」
「ええっと」
お嬢様育ちの姚は論外だと猫猫と長紗は話を進める。
「ええっと、私が床に寝るわ」
「姚さんは気になさらずに」
「ええ、その通り」
「だって、寝台には二人寝るつもりでいるんでしょ? もし燕燕が知ったらどうなるかしら」
『……』
猫猫と長紗は顔を見合わせる。
「すみません、床で寝てもらってもいいですか?」
「申し訳ないですが」
お嬢様と同衾するのと、床に寝かせるのはどちらがいいだろうかと考えた結果だった。どちらも怒られそうだが、同衾になると命の危険さえ考えなくてはいけない。
「ええ! 私が床で寝るわ!」
妙に誇らし気な姚だった。




