保留処分。
「保留、だそうだ」
タナトスが低い声でそう告げた瞬間、アルネアの顔がぱっと華やいだ。
曇り空に差し込む光のように、冥界の薄闇が一瞬だけ明るくなる。
「やったー! じゃあ天界には行かなくていいんですね!」
「一応な」
短く返すタナトスの横顔を見上げながら、アルネアは胸をなでおろした。
ふう、と安堵の息を吐き出すと、ぽつぽつと過去をたぐるように語り始める。
「よかったぁ……。行きたくなかったんです、天界なんて」
「……そうなのか」
「あそこではあっさり捨てられましたし」
アルネアは溜め込んでいたものを吐き出すように続ける。
「規律も冥界よりずっと厳しくて息が詰まるんです。
休憩時間にお茶を飲みに行くことすら、ほとんど許されませんでしたからね」
喜びの余り一気に捲し立てるアルネア。
「カフェなんて、今の生活になって初めて知りましたよ―」
そう言って、どこか自嘲気味に笑う。
その笑顔には、窮屈だった過去への小さな反発と、冥界の日常への愛着が混ざり合っていた。
「冥界は冥界で無法地帯だぞ」
タナトスの言葉。
「でも、ここでは、街を歩けば笑ってる人がいるから……すごく好きです」
それに…と言葉をためらいながらタナトスを見つめる。
「何より、タナトス様とお別れするのが一番困ります。……離れるなんて、考えたくもありません」
ちらりと上目遣いでタナトスを見るアルネア。
タナトスは何も気づいていなかった。
アルネアが天界にいた理由も、そこから落とされた理由も、霧がかかったように曖昧だ。
それでも、彼女は自分が歓迎されていなかったことだけは痛いほど覚えていた。
普段の軽口とは違う影が、横顔にかすかに揺れた。
その時、静かな気配とともにリュネが姿を見せる。
「げっ、リュネさん」
「アルネア様、お伝えします。処遇は保留です。無罪になったわけではありません」
感情の起伏を一切感じさせない声が、部屋の空気を一瞬で引き締めた。
「えぇー! なんだそれじゃあ喜び損じゃないですか!」
アルネアがぶー垂れても、リュネの表情は微動だにしない。
「天界からの沙汰が下るまでは予断を許しません。監視は継続します」
淡々と告げると、伝達は以上です、と冷ややかな風を残すように去っていった。
「……あの人、いつもあんな感じなんですか?」
「まあ、あいつの性格だ。慣れろ」
「慣れませんよ、あんなロボットみたいなのには……!」
二人の他愛のないやり取りが続いていた、その矢先。
冥界門の方向で、空間がぐにゃりと歪む。
冥界の常闇とはまるで異なる、白々しく冷たい神聖な光が差し込んだ。
「……また来訪か」
タナトスの表情がわずかに引き締まる。
気だるげだった雰囲気が消え、戦闘の気配が纏わりついた。
地響きのような音とともに、冥界門の向こうに降り立ったのは、二人の高位天使。
片方の天使は優雅な笑みを浮かべている。
「……冥界の統治者さんにお会いしたいのだけど、通していただける?」
その厚かましいまでの態度に、室内の空気が凍り付く。
「……天界の使者」
タナトスは短くそう確認すると、静かに門へ向き直った。




