第030話「二層開幕」
降り口から下へ体を入れた。
狭い。岩肌が鱗を削る。鱗硬化を薄く使いながら、石の縁を体ごと押し広げるように降りた。
着地した瞬間、足元が沈んだ。
……濡れている。
固い石床を想定していたが、違った。岩の上に薄く積もった泥が、体重をかけるとじわりと動く。これだけで動きの計算が変わる。熱感知で周囲を確かめる。密度が第1層より多い。それぞれの熱源は小さい。大きい捕食者はいまのところいない。
奥へ進んだ。毒沼の匂いが濃くなる。足元の泥が深くなる場所と浅い場所がある。浅い方が安全に見えたが、踏んだ瞬間に感触が違った。浅そうに見える場所ほど下が空洞になっている。
——足場が逆だ。
深そうに見える泥の方が底がしっかりしている。直感と逆の地形だった。この層で安全そうな場所ほど信用できないらしい。
◇ ◇ ◇
最初の敵は岩の上にいた。
体長は四十センチほど。六本脚。頭から二本の角が上向きに生えていて、その先端が薄く透けている。晶角鹿虫だ。足元の感触からすると、岩の上を好んでいる種類らしい。
角の向きが変わった瞬間、周囲の熱感知の映りが一瞬だけ歪んだ。
……光を曲げている。
角が周囲の熱を屈折させている。熱感知を頼りにしていると、角の向きによって自分の位置が誤魔化される可能性がある。正面から詰めるのはやめた。岩の裏側を使い、角の死角から近づく。晶角鹿虫は向きを変えようとしたが、岩の縁で足場が不安定になって動きが一拍鈍った。
その隙に首の付け根へ噛みつく。柔らかい。毒を入れた。鹿虫は暴れたが脚が岩の縁に引っかかって体勢を崩す。崩れたままひっくり返る前に、もう一度噛み込んで体を抑えた。しばらくして止まった。
食う。通知は来なかった。経験値はある。
◇ ◇ ◇
次は泥の中から来た。
丸い。体の大部分が泥に半分埋まっていた。こちらが乗った泥の振動で気づいたらしく、ぱっと飛んで体ごとぶつかってきた。
泥喰い蛙だ。
体当たりの威力はそれほどない。だが着地した時点で、腹側の鱗に何かが張りついていた。泥だ。ただの泥ではない。粘度が高い。剥がそうとするとさらにくっつく。動きの速さが落ちる。
面倒だ。
鱗弾きを使ってみる。表面で力を逃がす感触はあるが、粘着には効かない。物理的にくっついているものは滑らせられない。別の対処が必要だ。蛙は追撃してくる気がなく、着地してまた泥に半分潜った。こちらの動きが鈍くなるのを待っているらしい。
粘着部分を引きずりながら詰める。蛙が再び飛んだ。今度は飛ぶ角度を先読みして、着地直前に首の下へ体を滑り込ませた。首の柔らかい部分に牙が入る。毒を入れてすぐ離れる。蛙は泥の上で痙攣した。腹に泥を引きずりながら止まるまで待った。
食う。張りついた泥が腹に入っていく感触と一緒に、通知が来た。
『粘着無効 Lv1 を習得しました』
——来た。
鱗の下に膜が張ったみたいに、粘っこいものが鱗の隙間に食い込みにくくなった。ただし今すでに張りついている泥には効かない。新しく付くものに対して有効な仕様らしい。この層で粘着対策が取れたのは助かる。問題は既存の泥の除去手段がまだないことだが、それは次の課題だ。
続けて通知が来た。
『Lv2になりました』
全快だ。泥を引きずりながら動いていた分がまとめて戻る。進化は28%まで来た。
◇ ◇ ◇
少し奥へ進んだ場所に、別の死骸があった。
晶角鹿虫と同じ種類だ。ただし死に方が違った。噛み跡がない。引き裂いた跡もない。胴が一箇所だけ、すっぱりと切れていた。
——刃物か。
断面が綺麗すぎる。蟲や蛇の顎で出せる切れ方ではない。爪で引き裂いた感じでもない。何か硬くて薄いものが、一度だけ通った跡に見えた。
この層に降りてきたのは俺だけではないらしい。
今日のところはここまでにした。足場の感触はつかんだ。粘着の対処もできた。泥沼の支配ルールの輪郭は見えてきたが、まだ一層目だ。急ぐ理由はない。それより死骸の切断面が気になった。
あの切れ方ができるものが、この層のどこかにいる。




