第016話「鎧の虫」
16日目。右奥の広い空間に着くまでの道が、昨日より速くなっていた。
慣れだ。ルートを体が覚えてくれている。東の隙間は依然として時間がかかるが、抜けてからの道——二股を右、大型岩トカゲの空間を通り過ぎて、通路を30メートル——このルーティンは染みついた。
広い空間には、岩トカゲが昨日と同じように2匹いた。昨日の3匹より少ないが、補充されている。定期的に戻ってくる、もしくは生息域がここなのかのどちらかだ。今日は流し狩り——速攻で仕留めて奥に進む。
2匹、締め付けと毒の組み合わせで合計2分かからずに処理した。
昨日は確認できなかった、この空間の奥の通路へ進んだ。
◇ ◇ ◇
通路は川沿いに続いていた。
幅1メートルの水の流れと並行して、岩の通路が伸びている。流れの速度は下流より少し速い——水源に近い。床が湿っていて、苔の発光が強い。暖かく、湿度が高い。変温動物の体には快適な環境だ。
快適な環境は、生き物が多い。
振動感知を広げた。通路の先に熱源がある。大きい。体温は周囲とほぼ同じ——変温動物だが、熱感知でも輪郭が取れる。形状が……これまでとは違う。縦に高く、横に幅がある。脚が6本。
甲虫だ。
大きい。水生甲虫の親戚かもしれないが、規模が全く違う。水生甲虫は3センチほどだったが、こいつは——体長が60センチを超えている。俺と同じか、それ以上だ。
洞窟甲虫。
これまでと属性は同じ(蟲系)なのに、いきなりレアモブが湧いたような状態だ。
俺は止まった。
◇ ◇ ◇
観察した。
甲虫は通路の中央を占有して、川沿いの苔を削り取りながら移動していた。草食系か。動きは遅い。のっそりと、6本の脚を交互に動かして進んでいる。
背中——背面の外骨格は光を反射していた。黒く滑らかで、厚みがある。胸部から腹部にかけて一続きの固い甲羅に覆われている。頭部には大きな顎がある。苔を削るための顎だろうが、あの大きさなら攻撃にも使えるはずだ。
問題は外骨格の硬さだ。
水生甲虫は3センチの小さな個体でも、外骨格はそれなりに固かった。体長60センチの甲虫の外骨格は——俺の毒牙で貫通できるかどうか、かなり疑問だ。
試す価値はある。
もし毒牙が通らなければ、別の手を考える。通れば万事解決だ。
今の俺のHP26、全回復状態。相手の攻撃力は不明。甲虫の顎に一発もらったらどれくらいダメージが来るか——想像したくないが、体長から考えると大型岩トカゲの比ではないかもしれない。
慎重に行く。
◇ ◇ ◇
甲虫の背後から接近した。
甲虫が気づいた——振動感知を持っているのか、振り向いた。思ったより反応が速い。
先手を打った。首の付け根、頭部と胸部の境目を狙って噛みついた。
牙が、滑った。
外骨格が硬すぎる。毒牙の先端が表面に当たって、中に入らない。「防御が高すぎてダメージが1しか通らない」状態だ。
甲虫が体を回転させた。顎が俺の方向に向いた。
速い。見た目の遅さより反応が速い。
顎が振られた。横に跳んで回避した——当たらなかった。すれ違いざまに甲虫の脚の付け根、腹部との接続部に噛みついた。関節部だ、ここなら外骨格が薄いはず——
毒牙が入った。
0.5センチほど。浅い。でも入った。毒を流した。
甲虫が体を左右に振った。俺が弾き飛ばされた。HP-14。
14!
甲虫の体を振る力だけで14ダメージ。想定以上だ。HP26から12になった。残り46%。序盤からHP半分弱が消えた。
脚の関節部に入れた毒が、どこまで効くか——甲虫の動きを確認した。変化なし。毒が入ってはいるが、深さが足りないか、甲虫の体積が大きすぎるかのどちらかだ。
このままでは勝てない。
別の手を考える必要がある。
◇ ◇ ◇
甲虫の弱点はどこか。
外骨格で覆われているのは背面と側面だ。腹部の裏側——腹面は外骨格がない、あるいは薄いはずだ。実際の昆虫の腹部は、背面が硬くても腹面は柔らかいことが多い。
ひっくり返せば腹面が露出する。
ただし、体長60センチの甲虫をひっくり返すのに、どれだけの力が必要か。締め付けで抱え込もうにも、甲虫の体の断面が丸くて大きすぎて、俺の体が回りにくい。
川だ。
さっき確認した水の流れ——この通路と並行して流れている、幅1メートルの川だ。深さは浅いが、底は岩で滑らかだ。
甲虫を川の縁まで誘導して、落とす。
甲虫は6本脚で平面に適応している。水面に落ちたら、足場がなくなって転覆する可能性がある。水生甲虫は泳げるが、洞窟甲虫は水中での機動に特化した形状じゃない——あの大きな体が川に落ちれば、自分でひっくり返るかもしれない。
リスクはある。計算通りにいかない可能性もある。
でも今の状況より良くなる可能性がある方に賭ける。
◇ ◇ ◇
甲虫の前方に回り込んだ。
甲虫が顎を向けた。俺は後退した。川の方向に向かって後退した。甲虫がついてきた——獲物を追う本能か、縄張りへの反応か、どちらかは分からないが、前進してきた。
後退しながら川沿いの岩の縁まで来た。
甲虫が追ってきた。速度を上げた。
最後の一手——甲虫の側面に体をぶつけた。体長60センチ、体重は甲虫より軽いはずだが、当たった方向が側面だったのが良かった。甲虫の体がよろめいた。
川に落ちた。
◇ ◇ ◇
甲虫が川に入った瞬間、6本脚が空を掻いた。
底が滑らかで、脚の先端が引っかかる場所がない。体が横に傾いた。腹面が見えた。
俺は川に飛び込んだ。
水が冷たい。変温動物にとって冷水は動きを鈍くさせるが——今は数秒の話だ。
腹面に噛みついた。
柔らかい。外骨格がない。毒牙が全部入った。Lv3の毒を全量流し込んだ。
甲虫が暴れた。顎が届かない——腹面から噛みついているから、頭部の顎は俺の方向に向かない。脚が水中で俺を引っ掻いた。HP-8。離れた。
川から出た。甲虫はまだ水の中で動いている。ゆっくりと向きを戻そうとしている。
待った。
4分。甲虫の動きが鈍くなった。
5分で、止まった。
◇ ◇ ◇
甲虫を川から引きずり出した。
重い。引きずるのに体全体の筋力を使った。体長が60センチあっても、相手がそれ以上のサイズだと引っ張りは大変だ。
食べた。外骨格は食べられないが、内部の質量は今まで食べてきたどの獲物より多かった。大型岩トカゲとも、大型蜘蛛とも違う——本当に「大きい獲物を食べた」という充実感があった。
食べながら今の戦闘を整理した。
まず毒牙は外骨格に通らなかった。背面と側面の甲は完全に弾いた。関節部は入ったが浅かった。腹面に至って初めて十分な深さで注毒できた。
つまり甲虫系の敵との基本戦術は「ひっくり返して腹面を狙う」だ。川を使ったのは今回限りの地形活用だが、引っくり返すこと自体は——締め付けで応用できるかもしれない。体に巻き付いて、上から体重をかけながら回転させれば、川がなくても転覆させられる可能性がある。
次に会った時に試す。
通知が来た。
『Lv8になりました』
HPとMPが全回復した。3から一気に8だ。大型の難敵を単独で倒した結果か。
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【ステータス】
種族:若蛇
レベル:8
HP:28/28 MP:14/14
攻撃力:16 防御力:15 素早さ:19 知力:14
魔力適性:なし
【スキル】
熱感知 Lv1、毒牙 Lv3、振動感知 Lv2、締め付け Lv2
認識範囲:2m
次の進化まで:32%
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32%。今日だけで10%進んだ。
通路はその先も続いていたが、今日はここで引き返すことにした。HP損耗が大きかった——冷水に入った影響もあるのか、体の動きが全体的に鈍い。川から出てレベルアップで回復したが、変温動物の体と冷水は相性が悪い。早めに暖かいエリアに戻る方が賢明だ。
池に戻る道、岩の隙間に水生甲虫がいたので流し狩りした。
今日の収穫は大きかった。
甲虫系の天敵になれる可能性が見えた。外骨格があっても、腹面への攻略ルートがある。大型百足は甲虫ではなく多脚類だが——体の構造が違う。今日の知識が直接使えるかは分からない。でも「固い外骨格の敵を倒す思考回路」は、これから必要になる局面で生きるはずだ。
池の水面が静かに揺れている。
Lv8になった。進化32%。締め付けLv2。
数字だけ追えば順調だが——今日の甲虫の顎が届いた瞬間の、あの「死ぬかもしれない」感覚は忘れないでおく。
油断しない方が生き残れる。それはここでも変わらない。




