第001話「蛇、始めました」
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「ヘビに転生した俺は、最弱ステータスからスキル補食と進化しながら迷宮を攻略する
」をよろしくお願いします!
19話辺りから物語が加速します。
暗い。
それが、俺の新しい人生の第一印象だった——なんて気の利いた感想を持てるほどの余裕は、当然ゼロだった。
目を開けている。たぶん。瞼を動かした感覚はあるのに、映るのは漆黒だけだ。手で目を擦ろうとして——手がない。脚もない。指も、爪も、何もない。
体全体が、地面にべったりと張り付いている。
冷たい。地面の温度が、体の芯まで直接染み込んでくるような冷たさ。服を着ていないどころか、体の表面が外気に直接触れている。しかもその表面は、布でも肌でもない。硬い。乾いた、重なり合った——鱗。
脳が、情報の処理を拒否している。
最後の記憶を辿る。大学3年、11月。就活のエントリーシート提出期限に追われていた。コンビニでエナジードリンクを買って、横断歩道を渡ろうとして、左からトラック——
……あー。
死んだのか、俺。
しばらく、動けなかった。パニックではない。正確には、パニックを通り越して思考が真っ白になっていた。手足がないことも、鱗で覆われていることも、何も見えないことも、全部まとめて脳が受け取りを拒否している状態。
だが、固まっていても状況は変わらない。
ゲームでもそうだ。ロード画面で固まるバグに当たったら、リセットするか、とりあえず何かボタンを押してみるか。前者は論外なので、後者を試す。
体を動かす。腕の代わりに、腹——いや、全身が波打つように蠕動した。筋肉の波が頭から尾へ伝播し、体が地面の上を滑り始める。
蛇だ。
俺、蛇になってる。
しかもたぶん、めちゃくちゃ小さい蛇だ。地面の苔のひとつひとつが障害物に感じるサイズ感。体長は30センチくらいか。新生児というか——蛇の場合は孵化直後と言うべきか。
声を出そうとした。口を開いても無音のシューという息が漏れるだけで、当然ながら声帯を持たない蛇には発声など不可能だった。
代わりに、何かが変わった。
舌先——2股に分かれた舌を無意識に出し入れした瞬間、空気中の情報が一気に流れ込んできた。湿度。温度。腐った植物の甘い匂い。そしてどこか遠くの、何か生き物の存在。
それだけではない。視界が突然切り替わった。漆黒だった世界に色が浮かぶ。赤、橙、青。暗闇の中に熱源が色として映し出されている。
サーモグラフィーだ。温度を色として知覚している。
熱感知。ピットバイパーの赤外線感知器官。爬虫類の中でも一部の蛇だけが持つ、特殊な感覚器。
つまり俺は、赤外線感知能力を持つタイプの蛇に転生したわけだ。
ああ、これは夢じゃない。
◇ ◇ ◇
ここがどこなのかは、割とすぐに察しがついた。
洞窟だ。天然か人工かの区別はつかないが、天井は高く——俺のサイズ感で「高い」と感じるのだから、実際は1メートル程度かもしれない——壁も床もびっしりと湿った苔に覆われている。
苔の隙間から、淡い青緑色の光が漏れていた。発光キノコ。洞窟の定番だ。このぼんやりした明かりのおかげで、熱感知だけでなく通常の視覚でも周囲がうっすら見える。もっとも蛇の目は解像度が低い。色はほぼ判別できず、動くものに反応するタイプの視覚だ。
湿度が高い。空気が重い。壁のどこかから水が滴る音がする。
そして——前世のゲーム知識と、異世界転生モノのテンプレ展開を大量に摂取してきたオタクの直感が、ひとつの結論を弾き出した。
ダンジョンだ。
蛇に転生して、ダンジョンの中にスポーンした。
これ完全に異世界転生の導入じゃん。転生先が人間じゃなくて蛇なのは聞いてないが。神様からの説明もチートスキルの付与もなし。チュートリアルすら省略とは、ユーザーに不親切にもほどがある。
初期スポーンの死にゲー臭がすごい。
だが、愚痴を言っていても状況は1ミリも改善しない。ゲーマーの基本は情報収集だ。まず自分のスペックを確認しないと始まらない。
ステータスとか、あるのか——?
思った瞬間だった。
視界の端に、半透明の文字列がふわりと浮かんだ。
――――――――――――――――――――
【ステータス】
種族:仔蛇
レベル:1
HP:8/8 MP:3/3
攻撃力:3 防御力:2 素早さ:5 知力:2
魔力適性:なし
【スキル】
熱感知 Lv1、毒牙 Lv1(微弱)
認識範囲:2m
次の進化まで:0%
――――――――――――――――――――
固まった。
いや、固まったのは中身の精神のほうで、蛇の体は微動だにしなかったが。
ステータス画面だ。紛う事なきRPGのステータス画面。種族名があり、レベルがあり、HPとMPがあり、スキル欄がある。念じるだけで開けるタイプのインターフェースらしい。
で、中身を見て——絶望した。
HP8。攻撃力3。防御力2。RPGで言えば、チュートリアルで出てくる最弱のスライムにすら怪しいスペックだ。唯一マシなのが素早さ5だが、蛇なんだから多少速くて当然だろう。知力2は——まあ蛇だし。前世の大学3年分の教養はどこへ行ったのか。
スキルは2つ。「熱感知」はさっき体験したサーモグラフィー。もうひとつの「毒牙」は——レベル1で、しかも括弧書きで「微弱」。ダメージなんか期待するなと宣言されているようなものだ。
そして気になる一行がある。
「次の進化まで:0%」。
進化。この「仔蛇」という種族には進化先があるということか。経験を積めば別の何かに変われる。ゲームで言えば、最弱キャラからスタートして進化を繰り返して強くなっていくタイプのシステムだ。
クソゲーだと思ったが、育成ゲーかもしれない。
希望がないわけではないらしい。
◇ ◇ ◇
情報は揃った。次は行動だ。
RPGの鉄則その一——序盤はレベルを上げろ。
幸い、熱感知のおかげで周囲2メートル以内の生物の位置はある程度把握できる。認識範囲の端に、小さな熱源がいくつか点在していた。サイズは俺の半分以下。蟲の類だろう。
一番近い熱源に向かって、そろそろと体を滑らせた。
苔の上を這う感覚は、意外なほど自然だった。蛇の体がこの環境に最適化されている。音を立てず、振動を最小限に抑えながら滑る。天性のステルス性能。少なくとも、忍び寄りだけは初期状態でも優秀らしい。
距離1メートル。熱源がより鮮明になる。
丸い体。6本の脚。頭部から突き出た2本の触角。蟲だ。体長は15センチほど。甲虫に似た姿で、苔を齧っている。
名前は分からない。鑑定スキルなんて便利なものは持ち合わせていない。暗がりの中の熱感知と低解像度の蛇の目では、「でかい虫」以上の情報を得るのは無理だった。
さて、問題はここからだ。
攻撃力3の仔蛇で、あの蟲を仕留められるか。
攻撃手段は毒牙しかない。微弱とはいえ毒は毒だ。噛みついて毒を注入し、毒が効くまで距離を取る。ヒットアンドアウェイ。理論上はこれが最も合理的な戦法だ。
問題は相手のサイズ。15センチの蟲は、30センチの蛇にとって「ちょっと小さい」どころか、十分な脅威になりうる。甲虫系なら外骨格が硬い可能性がある。
攻撃力3の微弱な毒牙で、あの殻を貫けるか。
——考えていても仕方ない。やるしかない。
距離を詰める。50センチ。30センチ。蟲はまだ苔を齧っている。こちらに気づいていない。
20センチ。射程圏内。
全身のバネを使い、飛びかかった。
——外した。
蟲が横に跳ねた。こちらの動きに反応して、瞬時に横方向へ飛んだのだ。反射回避。速い。いや、俺が遅い。蛇の飛びかかりは思ったほど俊敏ではなかった。空振りした勢いで苔の上に突っ込み、体が横滑りする。蛇は全身が腹みたいなもので、横向きの安定性が絶望的に低い。
蟲が向き直った。触角がこちらに向けられる。
まずい——次の瞬間、蟲が突進してきた。
硬い頭部が、俺の胴体に直撃した。
痛い。鈍い衝撃が体の中を走る。ステータスを確認する余裕はないが、HPが2か3は減ったはずだ。最大8しかないのに、1撃でそれだけ持っていかれるのは非常にまずい。
焦るな。冷静になれ。
蟲が距離を取ろうとしている。逃がしてもいい——どうせこの閉鎖空間だ。大事なのは、次の一撃を確実に当てること。
蟲の動きを観察する。さっきの突進は直線的だった。横への反射回避は、こちらの飛びかかりモーションに反応して発動している。つまりパターンがある。
なら——フェイントだ。
飛びかかるフリをして、相手が跳ねた先を狙う。
体を引き絞る。飛びかかりのモーション——蟲が左に跳ねた。予測通り。
今度は飛びかからない。体の向きだけを左に切り替え、地面を這うように低く滑り込む。蟲が着地した瞬間——その脚の付け根、外骨格の継ぎ目が眼前に露出していた。
噛んだ。
毒牙が甲殻の隙間に突き刺さった。微かな手応え。そして毒液が注入される感覚が、歯の根元から牙の先端へ流れていく。
蟲が暴れた。脚が俺の頭を蹴ろうとする。衝撃。痛みが走る。だが一度噛みついた蛇の顎は、構造的に外れにくい。歯が内側に湾曲しているからだ。数秒間、必死に食らいつく。
十分だと判断して、離れた。
蟲が這って逃げようとする。だが動きが明らかに鈍い。脚がもつれている。毒だ。毒が回り始めている。
微弱な毒でも、体長15センチの小さな蟲には効く。
1分。蟲の動きがさらに遅くなる。
2分。脚が痙攣し始めた。
3分。完全に静止した。
——勝った。
人生初、いや蛇生初の戦闘勝利だ。HPはたぶん残り半分もないが、生き残った。
視界の端に、通知が浮かんだ。
『経験値を獲得しました』
『レベルが2に上がりました』
――――――――――――――――――――
【ステータス】
種族:仔蛇
レベル:2
HP:10/12 MP:4/4
攻撃力:4 防御力:3 素早さ:6 知力:3
魔力適性:なし
【スキル】
熱感知 Lv1、毒牙 Lv1(微弱)
認識範囲:2m
次の進化まで:3%
――――――――――――――――――――
HP最大値が8から12に。攻撃力も防御力も1ずつ上昇。レベルアップのリターンは悪くない。1回のレベルアップでこれだけ伸びるなら、序盤の成長曲線はかなり急だ。
そして——「次の進化まで:3%」。さっきまでゼロだった数値が動いた。
3パーセント。単純計算であと33レベルほど上げれば進化できる——いや、進化条件がレベルだけとは限らないが。方向性は見えた。
敵を倒す。レベルを上げる。進化する。
RPGの基本にして王道。最もシンプルで、最も確実な攻略法だ。
俺は蟲の死骸に鼻先を近づけた。舌先を出し入れすると、化学情報が流れ込んでくる。タンパク質。脂質。栄養素の塊。
……食べるのか。これを。
胃袋が——蛇の胃袋が、迷う暇もなく答えを出した。飢えている。異常なほどに。レベルアップの代償なのか、生まれたての蛇が常に飢えているだけなのかは分からないが、本能が食えと命じている。
蛇としての本能が、理性を上回った。
顎を限界まで開き、蟲の頭部から丸呑みにした。
味は——うん、考えないことにしよう。食感も。ただ、栄養が体に染み渡る感覚だけは、不思議と心地よかった。
蟲を飲み下しながら、暗い洞窟の天井を——正確には、発光キノコの青緑色の光を透かし見る程度の、ぼやけた天井を見上げた。
死んで、蛇に転生して、ダンジョンの中で蟲を丸呑みしている。
1時間前の自分に教えてやりたい。エントリーシートの自己PRで悩んでいたのが馬鹿みたいだ。
だが——悪い気分ではなかった。
少なくとも、志望動機の書き方よりはレベル上げのほうが性に合っている。
さあ、次の獲物を探すか。
俺は膨れた腹を引きずりながら、ゆっくりと体を滑らせた。苔の回廊の奥は、まだ深い闇に沈んでいる。
蛇、始めました。
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