第34話 余力はどこから来るのか
自治領の役所に、久しぶりに中央からの使者が来た。
立派な外套。
磨かれた靴。
そして、余計な荷物を持たない身軽さ。
この土地では、それだけで「違う世界の人間」だと分かる。
「中央資源配分局の、オルド・レインです」
男は名乗り、簡潔に頭を下げた。
礼儀は正しいが、感情はない。
ミラ・ハーシェルは、彼を応接室に通した。
狭い部屋だ。
壁際の棚には、修繕用の部材と古い記録が混ざって置かれている。
装飾はない。
「状況は把握しています」
オルドは、席に着くなり言った。
「結界不安定、人口減少、税収低下。典型的な周縁自治領です」
“典型的”という言葉が、静かに胸に刺さる。
「こちらとしても、支援は検討しています」
ミラは黙って聞いた。
期待はしない。
「ただし」
やはり、続きが来る。
「優先順位があります」
オルドは資料を一枚置いた。
紙は上質で、インクの滲みもない。
「同様の自治領は、他にも二十七あります。すべてを救う余力は、中央にもありません」
エマは、無意識に拳を握った。
「……余力、ですか」
彼女が言うと、オルドは一瞬だけ視線を向けた。
「ええ。余力です」
淡々とした肯定。
「誤解されがちですが、余力は感情や努力では生まれません。予算、人員、時間。その組み合わせです」
ミラは、ゆっくりと息を吐いた。
「つまり、ここには回す余力がない、と」
「正確には」
オルドは言葉を選ぶ。
「ここに回せば、別の場所が削られます」
それは、事実だ。
否定できない。
だからこそ、残酷だった。
「私たちは、正しい判断をしています」
ミラは言った。
「無理な介入を避け、記録も残している。それでも――」
「それでも、足りない」
オルドは、言葉を引き取った。
「判断の質と、処理能力は別問題です」
フォルンで聞いた言葉と、同じ意味だった。
だが、ここで言われると重さが違う。
「では、どうすればいいんですか」
エマが、感情を抑えて尋ねる。
「余力を作るには」
オルドは、少しだけ黙った。
その沈黙は、考えているのではない。
答えが決まっている沈黙だ。
「守る範囲を、減らすことです」
室内の空気が、張りつめる。
「人口を集約する。区域を縮小する。維持コストを下げる」
「……切り捨てろと?」
ミラの声は低い。
「撤退です」
オルドは言い直した。
「切り捨てではありません。生き残るための後退です」
その言葉は、理屈としては正しい。
だが、受け入れるには重すぎる。
「それは、自治領が自治領でなくなることです」
ミラは言った。
「地図の上で縮むということは、人の居場所が消えるということだ」
「承知しています」
オルドは、初めて感情をにじませた。
「だからこそ、判断する人間が必要なのです」
責任を、こちらに返す言葉だった。
ミラは、机の上の資料を見た。
縮小案。
撤退線。
再配置計画。
どれも、現実的だ。
どれも、正しい。
そして――
どれも、痛い。
「……余力は」
ミラは、ゆっくり言った。
「最初から、与えられるものじゃないんですね」
「はい」
オルドは即答した。
「余力は、作るものです。何かを手放して」
エマは、その言葉を噛みしめた。
フォルンでは、判断の話をしていた。
だが、ここではその前に、世界の重さがある。
「検討期限は?」
ミラが聞く。
「一週間」
短い。
だが、妥当だ。
オルドは立ち上がった。
「感情的になる時間は、あまりありません」
そう言って、部屋を出ていく。
扉が閉まった後、しばらく誰も話さなかった。
エマが、ようやく口を開く。
「……余力って、残酷ですね」
「いいえ」
ミラは首を振った。
「残酷なのは、余力がないまま守ろうとすることよ」
彼女は、机の上の縮小案を手に取った。
震える指で、線をなぞる。
「選ばなきゃいけないのね」
何を守るか。
そして――
何を、手放すか。
その日、自治領では何も起きなかった。
だが、ミラは知っている。
これから起きることは、
事故ではない。
判断だ。
余力を作るための、
最初の判断だ。




