第22話 それでも疑った人
エルディナ王都の結界技術局に、
新人の技師が配属された。
名は、エマ。
成績は並。
突出した才能もない。
だが一つだけ、
彼女には癖があった。
「……この数字、嫌いです」
配属初日、
そう言って周囲を困らせた。
「基準内だろ」
先輩技師は苦笑する。
「何が問題なんだ」
「問題じゃありません」
エマは首を振る。
「気持ち悪いだけです」
理由になっていない。
だから、誰も取り合わなかった。
エマは、過去の記録を読み漁った。
結界改訂前。
改訂後。
数値は確かに改善している。
だが、
記録の“書き方”が違う。
判断理由:前例に基づき実施
この一文が、
改訂後に急増していた。
「……前例?」
エマは眉をひそめる。
前例は、
誰かの判断の結果だ。
だが、その「誰か」が、
どこにもいない。
彼女は、現場に出た。
結界塔の下。
人通りの多い交差点。
数値は、問題ない。
だが、人の足取りが重い。
「最近、疲れませんか」
露店の主人に聞く。
「まあ……年だよ」
笑ってごまかされる。
だが、その答えは
十人に一人ではない。
エマは、記録に残らない情報を
ノートに書いた。
眠りが浅い
集中力が続かない
外に出る時間が減った
どれも、異常ではない。
だから、
異常として扱われない。
会議で、彼女は手を挙げた。
「質問があります」
上司が面倒そうに見る。
「基準を上げる前、
この街は“もっと楽”じゃなかったですか」
一瞬、空気が止まる。
「感覚論だ」
即座に切り捨てられる。
「数値で話せ」
「……数値に、
出ない話です」
会議は、それで終わった。
その夜。
エマは、古い資料庫に潜り込んだ。
埃をかぶった箱の中に、
一冊の薄い記録があった。
異常が出なかった。
だが、出る可能性はあった。
見覚えのない書き方。
数値も、結論もない。
理由だけがある。
「……これだ」
胸が、少しだけ高鳴った。
彼女は、
この考え方を知っている。
いや――
知っていた“はず”だ。
翌日。
エマは、辞表を提出した。
「……は?」
上司が固まる。
「辞めます」
「理由は」
「ここでは、
考えられないからです」
それ以上、説明しなかった。
数週間後。
フォルン辺境領の名もなき建物に、
一人の若い女性が立っていた。
「エマ・リュードと申します」
緊張した声。
「……教えてほしいんです」
アレインは、彼女を見た。
少しだけ、懐かしい気配を感じる。
「何を、ですか」
「間違っているかもしれない理由を」
その答えに、
彼はうなずいた。
「歓迎します」
その日、
エルディナでは何も起きなかった。
だが、
一人だけが、
“何かが起きている”ことに
気づいていた。




