表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
パッチング・レコーズ  作者: トモクマ
第4章 見えざる脅威
50/190

5月5日(日)③ カメレオン男

 僕らの前にその姿を現したカメレオン男は、たかぶる感情を甲高い笑い声に変え、腹を抱えてひとしきり笑い飛ばしてしまうと、鱗に包まれた目玉でギロリとこちらをにらみ付けた。


「さて、雑魚のテメェらを今すぐここでまとめて始末することもできるんだが……残念ながら、そんなことをすりゃあMr.マグネルックの銀目野郎が黙っちゃいねぇ」


 Mr.マグネルック――聞いたことのない名前だが、「銀目野郎」という言葉から、おそらくは小兎姫さんが目撃したという銀の目の男、真玖目まくめ銀磁ぎんじのことを言っているのだろうと推測できた。


「俺たち時雨組は、少数の能力者を捕らえ、そいつらをとことん利用することで勢力を広げてきたんだ。――だからあの能力者の女も、俺たちの組織のために働く駒になってもらおうって訳さ。ひひっ、こいつを使ってな」


 カメレオン男は喉を鳴らして大きな蝦蟇がま口を開くと、粘液にまみれた長い舌をぬるりと伸ばした。その長さは数メートルにも及び、一体どうやってあれだけの長さの舌を体の中に格納しているのだろうと不思議に思うほどに長い。あの蛇のようにうねる舌も、奴が持つカメレオンゆずりな能力の一つなのだろう。


 そして、触手のようにうねる舌の先には、医療用の細い注射器が握られていた。おそらく腹の中に隠していたのだろう。その注射器の管の中には、金色に輝く見たこともない液体が詰められていた。


「く、薬……まさか、毒?」


「けっ、毒なんかじゃねぇよ。自分の真の力を呼び覚ますことができる魔法の薬さ。たった一発こいつをキメるだけで、身体の奥からみるみる力が沸き上がってくるんだ。ひひっ、気分は最高さ。一度こいつの味を知れば、途端に病み付きになっちまうぜぇ」


 僕は、あのカメレオン男の持っている薬が、依存性のある危険な薬物であることに気付いた。


 確か、暴力団である時雨組は麻薬ビジネスで成功し、それを資金源として各地へ勢力を広げていると、以前小兎姫さんが話してくれていた。おそらくは、あの薬を打って相手を薬物中毒にさせ、薬を求める者に対し多額の金を請求していたのだろう。


「くっ……」


 奴らの冷酷非道な行いに怒りを覚え、気付けば僕は、自分の両拳を強く握りしめていた。憤りを隠せない僕の顔を見たカメレオン男は、不気味な笑みを浮かべて、こちらへにじり寄って来る。


「ひひひっ……そのツラ、たまんねぇな。どうだ、悔しいか? 悔しいだろ? 敵の前でそんな無様な姿を晒しちまってよ。仲間が生きるか死ぬかのピンチだってのに、自分は何もできないで、ただ指をくわえて見ているだけ。そんな弱っちい自分が、腹の底から恨めしく感じるだろ? な?」


 男は、自分の抱く怒りの感情を見透かしたようにそう言い、その上で更に煽り立ててくる。


「へへっ、その気持ち分かるぜ。俺だって散々お前と同じ目に遭ってきたんだからな。……だから、こいつを使ってお前の本当の力を呼び覚ましてやる。弱っちくて何もできない自分なんか、とっとと捨てちまえばいいだけの話さ」


 そう言って、カメレオン男は手に持った注射器をちらつかせた。


 奴は僕にあの薬を打つ気でいるらしい。きっと一度でもあの薬を投与されてしまえば、たちまち薬物依存に陥り、次の薬を得るために奴らの言うことを聞き手を汚す、組織の奴隷として生きていくことになるのだろう。そんな恐ろしい未来が目に映ってしまい、ゾッとして背筋が凍り付く。


「おいおいどうした? ヤクをキメるのが怖いのか? へへっ、心配すんなよ。お前みたいな貧弱な人間に使っちまえば、あまりに快感が強過ぎて途端に果てちまうだろうからさ。ひひひひひっ!」


(は、早く、ここから逃げなきゃ、逃げなきゃ……)


 僕は頭の中で必死に何度もそうとなえたが、脚がまったく言うことを聞いてくれない。紬希を助けようと駆け付けたというのに、いざ敵を前にして腰を抜かしてしまう自分が、呆れるほど情けなかった。カメレオン男の言った通り、自分の無力さをひしひしと痛感して、思わず歯噛みしてしまう。


 でも、こうして奴が僕に気を取られている間、紬希が逃げられるだけの時間は十分に稼げたはずだ。彼女が倒れていたのは、カメレオン男が背を向けている境内の入口側。そこから石段を下りていけば、上手く逃げられるはずだ。


 そう思った僕は、抵抗するのをやめ、脱力して溜め息を吐く。


(……もう、あいつだけでも………)


 紬希だけでも救えたのなら、それでいいや。


 僕は半ば投げやりな気持ちで宙を仰ぎ、ぎゅっと目を閉じた。




 ――しかしこの時、僕がこうであってほしいと望んでいた予想は、ものの見事に裏切られる。



 注射器を持ってこちらへ近付いてくるカメレオン男の背後から、白い糸がシュルシュルと飛んできて男の腕に絡みつき、動きを封じた。


「………そんなこと、させない」


 男の背後から聞こえてくる声。振り返るとそこには、散々蹴り飛ばされて尋常ではない傷を負いながらも、痛みに耐えて立ち上がり、手先から伸ばした糸を懸命に引き寄せている紬希の姿があった。


「紬希っ……! どうして……」


 僕の中で疑問が渦巻く。どうして逃げなかった? まだ体が動くのなら、そのまま回れ右して逃げられたはずなのに、なのにどうして……?


「……ったく、ウゼぇんだよなぁテメェは。いい加減くたばっちまえよ。俺が楽にしてやるからよっ!」


 カメレオン男は荒々しい言葉を吐き捨て、ぱっくりと裂けた口から目にも留まらぬ速さで長い舌を伸ばした。


 その舌は紬希の左足首にからみ付き、軽々と彼女を逆さまに吊り上げてしまうと、そのまま舌を鞭のようにしならせ、紬希の体を左右に振り回し、あちこちに見境なく叩き付けた。


 鳥居が薙ぎ倒され、内臓の潰れる音がした。


 地面がえぐれて、砂利じゃりと血の飛び散る音がした。


 並んでいた石灯籠が打ち壊され、骨の砕ける音がした。


 カメレオン男の舌に散々(もてあそ)ばれた紬希の体は、最後要らなくなった玩具をゴミ箱へでも捨てるように、拝殿前へ投げ落とされた。彼女がめちゃめちゃに蹂躙じゅうりんされている間、僕は意味も無く何度も「やめろぉ‼︎」と叫んでいたような気がする。


 その時、こつんと音がして、僕の頭上に何かが落ちた。


 落ちてきたそれは、紬希がいつも大事そうに胸ポケットにしまっていた小さなクマの縫いぐるみ、『クマッパチ』だった。放り上げられた時に、紬希のポケットから抜け落ちてしまったのだろう。


 ……やがて砂埃すなぼこりが晴れ、痛々しい惨劇の跡が露わになる。あちこちに飛散した血痕、無惨に根本から折れてしまった鳥居、木っ端みじんに砕かれ、ただの石ころに戻ってしまった石灯籠。


 そして倒壊した拝殿前には、押し潰された賽銭箱さいせんばこの上に折り重なるようにして、全身血まみれの紬希が倒れていた。




「紬希ぃ―――っ‼」


 僕は拾ったクマッパチを両手で握り締め、心の底から突き上げる激情を声に出して叫んだ。


 しかし、いくら叫んでも、彼女は起き上がらなかった。


 ……もう終わりだ。紬希は死んでしまったんだ。湧き上がる絶望が、心の内を黒一色に染め上げてゆく。不死身の紬希でさえ歯が立たない相手に、一体どう立ち向かえというのだ?


 僕は自分の死を覚悟した。紬希が倒れてしまった今、次の標的は僕だ。


 思わず身構えてぎゅっと目を閉じた。


 その時――




 パァン!



 乾いた破裂音が耳を抜け、紬希の足首に巻き付いていた男の長い舌が、ぶつりと音を立てて千切れ飛んだ。


「なっ……!」


 それまで自分の体の一部だった舌が弾け飛ぶ様子を見て、カメレオン男の表情が固まる。きな臭い火薬の臭いが、境内けいだいに立ち込めていた。


 僕は何が起きたのかも分からないまま、音の聞こえた境内の入口前へと目を移す。



 一体いつの間に現れていたのだろう? そこには沈みゆく夕日を背にして、僕と同い年くらいの、一人の青年が立っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ