5月5日(日)② 会敵
<TMO-1048>
僕は普段通っている学校の横を通り抜け、裏山の奥へと続く細い道をひたすら走った。確かこの道の奥に、廃神社へ続く石段があったはずだ。
藪に囲まれた道なき道を進んでいくと、思った通り、道の先に長い石段が現れる。あの神社の境内はこの上にある。
すると、石段の上の方で、何かがぶつかって落ちるような物音が聞こえてきた。
僕は必死に石段を駆け上がる。過呼吸になって肺が潰れるかと思ったが、そんなことも気にしていられない。今は一刻も早く紬希のもとへ向かわなくてはならなかった。
(紬希……どうか無事でいてくれ!)
僕は長い石段をやっとの思いで登りきり、境内へと続く古びた鳥居を潜り抜けた。
――古びた神社前の広場、その周りを囲うように立ち並ぶ杉林の一角。
そこに、紬希はうつ伏せになって倒れていた。
「紬希っ!」
僕は慌てて彼女のもとに駆け寄り、体に腕を回して抱き起こしてやる。
抱き起こされた紬希は、苦しそうな表情をしているものの、胸は上下しており、呼吸も安定していた。
しかし着ている制服は泥だらけで、おまけに所々が酷く破れてしまっている。誰かにやられたのだろうか?
僕は彼女を起こそうと、再び耳元で名前を呼んだ。すると、それまで閉じていた彼女の目がうっすらと開く。
「……なぎ、さ……くん?……」
弱々しい声だけれど、紬希は僕の名前を呼び返してくれた。良かった、生きてる……
――そう安堵したのも、束の間だった。
「……っ! 危ないっ!」
次の瞬間、紬希はいきなり僕を強引に地面へ押し倒し、その上に覆い被さるようにして四つん這いになった。
ドッ!
途端に、紬希の体が真横へ吹っ飛び、五メートルくらい先まで転がった。紬希はその場でうずくまり、腹を押さえたまま小さく咽せて、乾いた地面に血を吐いた。
一瞬のことで何が起きたのかも分からず、僕はただ遠くに転がる紬希の背中を呆然と見つめることしかできない。
そんな僕の前で、誰かのかすれた笑い声が聞こえた。
「ひっひっひっ……おやおや、哀れな仲間を救おうと、馬鹿がもう一人迷い込んで来やがったか。ひひっ、テメェは一体どんな能力の使い手なんだよ? あぁん?」
威圧的な男の声が、すぐ真正面からぶつかってくる。
――しかし、なぜか目の前には誰も居なかった。自分の目に映っているのは、遠くの方に倒れている紬希の背中だけだ。
……ふと、僕は昨日、小兎姫さんが話して聞かせてくれた、廃倉庫での目撃談を思い出す。
その話によれば、ヤクザのチンピラを皆殺しにした際、倉庫には銀の目の男と、もう一人、別の能力者がいつの間にか紛れ込んでいた。
(見えざる男……「透明人間」か……)
おそらく今、僕のすぐ目の前にそいつが立っている。しかし、姿が見えない以上、こちらも対策の取りようが無い。早くその場から逃げなきゃと思うのだが、脚が震えて言うことを聞かず、僕は尻餅を付いたまま後退り、背後の木にもたれかかった。
「……あぁ? 何だテメェ、ひょっとして何の力も持たねぇただの人間なのか? ……ちっ、何だよくだらねぇ。新しい遊び相手が名乗り出てきたかと思って期待してたのによ。人間なんて雑魚相手じゃ、たったの一捻りで終わりだ。クソみたいにつまらねぇ。いくら蹴り飛ばしたって起き上がってくるあいつにも、もうそろそろ飽き飽きしてきちまったところなのによぉ」
僕はふと倒れた紬希の方へ目を向けた。数メートル飛ばされるほどの打撃を受けて、その体には相当なダメージを負っているはずだ。
それでも、傷が回復しているのか、ボロボロになりながらもなお、彼女は起き上がろうとしている。
「ひひっ、テメェも間抜けな仲間を持っちまったもんだぜ。俺が苦しそうな声で『たすけてくれ、たすけてくれよぅ』って耳元で連呼しただけで、あいつノコノコと釣られて来やがったんだぜ。いくら何でもチョロ過ぎだっつーの。ひゃははははっ!」
下劣な笑い声が辺りにこだます中、全身に傷を抱えた紬希は、走る痛みに表情を歪めながらも、歯を食いしばって言い返す。
「……私のことは、別に何と言ってくれても構わない。………けど、凪咲君のことを悪く言うのは、許せない……」
擦りむいた膝を抱え、どうにかもう一度起き上がろうとする紬希。
しかし、そこへ追い討ちをかけるように、さらなる見えない力が彼女の体を薙ぎ払う。
「がはっ!」
紬希は再びボールのように飛んで、神社入口に立つ鳥居の柱に叩き付けられた。
「あ~もううっせぇよ! テメェは黙ってろ。……ひひっ、しつこい女だぜ。……だが、俺の姿を拝んでも、まだその減らず口を叩いていられるかな?」
見えざる男がそう言葉を放った次の瞬間、それまで誰も居なかったはずの場所に、突如として真っ黒な影がぼうっと浮かび上がった。
その影は立体的で、最初はぼんやりとしていたが、やがてはっきりと人の輪郭を形作ると、真っ黒な影の表面に鮮やかな色彩が吹き付けられていった。
まるで、それまで背景だけであった絵画へ人物像を塗り足していくように、何も無い空間から一人の男が描き出されてゆく。
僕は、隠れ蓑を解いて現れた見えざる男の姿を一目見るなり、驚愕のあまり言葉を失った。
その男は、とても人間とは言い難い、あまりに醜悪な容姿をしていた。まるで、人間と爬虫類を足し合わせたような、異形の怪物。
男の全身は焦茶色の鱗で覆われ、その表面はぬらぬらと光り、毛という毛は一本も生えていない。丸坊主の頭に、ぎょろりと突き出た目玉。その飛び出した目玉すらも硬い鱗に包まれ、目の中心には点ほどの小さい瞳が覗き、片方は僕を、もう片方は奥に倒れた紬希とを、それぞれ別々に睨み付けていた。
「ひっひっ……どうだ、俺の体を見た感想は? ……美しいだろう? 醜いだろう? 俺はな、これまで標的にしたテメェらみてぇなカス共をぶち殺す前に、毎回こうして俺の全身を見せてやっているのさ。そうしたらみーんな真っ青になって、ガチガチ歯を鳴らして震えやがる。奴らの恐怖に歪んだツラといったらもう最高だったぜ。げははははははっ‼」
耳元まで裂けた蝦蟇口を大きく開き、蛇のような長い舌をねっとりと口内で這わせながらゲラゲラ笑う男。
そのおぞましい姿は、まさにカメレオン男と呼ぶに相応しかった。




