41話 運命の糸は人を引き寄せて
その後、私はアスターから、彼が今陥っている状況について聞いた。
このままでは消されてしまうかもしれない、という状況であることを。
それらについて語るアスターの表情は真剣そのものだった。目の色、眉の角度さえも、いつもとは違っている。その言葉に偽りはない——そう思わせる力を持った表情だ。
そんな彼の後ろで私たちの様子を見守っているリンディアは、水晶のように透き通った水色の瞳を、微かに揺らしている。
「返事を聞かせていただきたいのだが……どんな感じかね? イーダ王女」
私は迷っていた。
個人的には、アスターのことは嫌いでない。だから、もし彼が私に雇われることを望むのなら、私は「それでいい」という気持ちだ。
だがしかし、これはそんなに単純な話ではない。
彼は私を危険に曝した人間だ。そして、多くの人がそのことを知っている。リンディアやベルンハルトはもちろん、父親も、その近くにいるシュヴァルも。それゆえ、彼——アスターが私の従者になることを許可しない者は、たくさん発生するに違いない。
反対するすべての人々を説得するなど、私には恐らく無理だろう。
「えっと……」
私は悩み、はっきりと答えることはできなかった。
どう対応するのが一番良いのか、誰でもいいから教えてほしい。今は素直にそう思う。でなくては、話を進められないから。
「一つ誤解のないように言っておくと、『従者』にしてくれとまで贅沢を言う気はないのだよ」
「えっ?」
「分かっていただけるかね」
いや、まったく分かりません。
「つまりだね、えぇと……簡単に言うと。ごみ掃除から雑用まで何でも申し付けてくれたまえ! ということだよ」
なるほど。
かなり大雑把な説明だが、それまでよりかは理解できた気がする。
それにしても、掃除までできるとは、かなり万能だ。
「掃除までしてくれるの?」
「もちろんだとも」
「部屋掃除とか、洗面台の掃除とか?」
「ん? そんなところにごみがあるのかね」
少し話が噛み合っていない……ような。
内心「妙だな」と思っていたところ、リンディアが私に教えてくれる。
「アスターが言ってる『掃除』っていうのは、殺害するってことよー」
「そうだったの!?」
私は思わず声をあげてしまった。あまりに意外だったから。
「人を殺すのは駄目よ! アスターさん!」
するとアスターは、ふっ、と息を吐き出す。彼が久しぶりに笑った瞬間だった。
「……さすがだね、君は」
「え、そう? 普通よ?」
「いや、それは普通ではないよ」
そうなのだろうか。
「大概の人間は、誰かに憎しみを抱いているものなのだよ」
「貴方も、そうなの?」
大概の人間、と言うのだから、アスター自身だって当てはまらないことはないはず。そんな風に思って、私は尋ねてみた。
その問いに、アスターは一瞬だけ目を見開く。
しかし、ほんの数秒後には、普段と何ら変わらない顔つきに戻っていた。
「私……か」
聞いてはならないことを聞いてしまったかもしれない。
「私には、憎しみを抱いている人間などいないよ」
「そうなの? じゃあ、私と貴方は——」
「すべて消してしまえるから、というだけだよ」
アスターの口から出たのは、私の想像の遥か斜め上を行く言葉だった。
これが彼の本性なのかと思うと、やはり少し怖い。それに、私に彼をコントロールできるほどの力があるとは、とても思えない。
「…………」
「おや? どうしたのかね、急に黙ったりして」
「……聞いて、アスターさん」
「ん。何だろうか」
アスターの視線がこちらへ向く。
「もし私が雇ったら、もう物騒なことから足を洗ってくれる?」
すると、彼は数回まばたきした。
話についてくることができていないのか、きょとんとした顔をしている。例えで表すなら、道端で未確認生物を見かけてしまった人のような顔つき、といったところだろうか。
「一人の普通の男性として、働いてくれる?」
「それはつまり、殺害任務は無し、ということかね」
「えぇ。ゼロとはいかないかもしれないけれど……極力は、ね」
「もちろん構わないが……専門外の分野でこの老人にできることといったら限られている。あまり役には立てないと思うのだが」
私がアスターを雇えば、誰かに雇われた彼に殺害される人は減る。それはきっと、この星にとってプラスのことだと思うの。
「貴方は変わる。生まれ変わる。そして、これから先は穏やかに生きるの。それで構わない?」
「もちろんだとも。ただ、命を狙われた時だけは力を使わせてもらって良いかね?」
「当然、やむを得ない場合のみは許可するわ」
「ではそれで」
「じゃあ決まりね」
その瞬間、リンディアが叫ぶ。
「ちょっ……王女様、正気!?」
リンディアはかなり驚いているようだ。顔全体の筋肉が引きつっているのが見てとれる。
「えぇ。リンディア、貴女は反対?」
「いや、さすがにそれはまずいでしょー!?」
「これもきっと、何かの縁だわ」
「いやいや、そーいう問題じゃないわよ!? そんな簡単に信じていーの!?」
私だって、こんな展開になるとは思っていた。だが、現にこういう話になってきているのだから、恐らくこれが運命なのだろう。
「だってほら……アスターさんはリンディアの師匠なのでしょう? なら、信頼しても大丈夫だと思うの」
「確かに、アスターがあたしの師匠であることには間違いないけど、王女様はちょっと甘すぎないー?」
やはりリンディアは反対なのだろうか。もし私がアスターを雇ったら、彼女は従者を止めてしまうのだろうか。
そんな不安が胸を渦巻く。
「リンディアは、嫌?」
一応聞いておいた。
すると、リンディアは気まずそうな顔になる。
「べつに嫌とかじゃないけどー……」
アスターは、会話する私とリンディアをじっと見ていた。
「ただ、こんなジジイと一緒に働くとか……萎えるわー」
「酷くないかね!?」
「そうよ、リンディア。古いものには古いものの良さがあるの。ほら! 数千年前の建造物が大事に保存されていたりするでしょう?」
「さすがにそこまで古くはないのだがね……」