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イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜  作者: 四季
4.気ままな狙撃手

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30話 笑われるかもしれない

 それでなくとも慣れない薄暗い地下室で、いかにも怪しい初老の男性——アスターと二人きり。その状況に、私は、筆舌に尽くし難い恐怖感に襲われた。


 もはや、私を護ってくれる者はいない。このような状況下では、私を護れるのは私しかいないのだ。


 だが、いくら私が抵抗したところで、男性に力で勝つことはできないだろう。それゆえ、もう、目の前の彼が悪人でないことを願うことしかできない。


「アスターさん……だったわね」

「そっちで呼ぶとは、驚いたよ。で、何かね」

「どうしてこんなことをするの?」


 狙いが分からないので、取り敢えず尋ねてみた。


 もちろん、簡単にすべてを話してくれる可能性はかなり低い。だがそれでも、少しは何か判明するかもしれないと思ったから。


「誘拐なんてして……どうするつもり?」


 するとアスターは、狭い地下室内にある椅子に腰をかける。彼が腰をかけた瞬間、椅子がキィと軋んだのが印象的だ。


「ただの仕事だよ」


 彼は眼球だけを動かして私を見て、小さな声で答えた。


「……仕事? 貴方は、そんなことを仕事にしているの?」


 品のある容姿からは、そんな物騒な内容を仕事にしている人間だとは想像がつかない。


「そうだよ」

「……もったいないわ。貴方みたいな人なら、真っ当な職にだって就けるでしょうに」

「そんな風に言っていただけるとは、光栄だ。ま、無理なのだがね」


 さりげなく、ばっさりと否定されてしまった。


「普通の家に生まれ、普通に育っていっていたなら、真っ当な職に就けた可能性もあったかもしれないが……なんせ、色々複雑だったのでね」

「でしょうね。王女を誘拐、なんて、どう考えても普通じゃないもの」


 つい本音を漏らしてしまい、やってしまった、と慌ててアスターへ目を向けた。


 機嫌を損ねてしまったら大変だ。私の命に関わるのだから。


 しかし、意外にも、アスターは怒りの色を浮かべてはいなかった。それどころか、口元に笑みを湛えている。


「いかにも! 君は正しい」


 彼は案外機嫌が良さそうだ。


「せっかくだ、歓迎会といこう。何が良いかね? えぇと……」


 椅子から立ち上がったアスターは、黒い布を脱ぎながら、テーブル近くの四角い棚へと向かう。そして振り返る。


「酒は嗜まれるのかね?」

「飲まないわ。というより、まだ飲める年ではないの」

「それは残念だ」

「ごめんなさいね」

「いやいや。何も気にすることはない」


 では、とアスターは続ける。


「これはどうかな?」


 彼が棚から取り出したのは、透明のビニール袋に入った、綿のような塊。触ると柔らかそうだが……食べ物なのだろうか。


「それは?」

「まさか、知らないのかね? 綿菓子という食べ物なのだが」


 その時、ベルンハルトの発言を思い出した。


 この前取り逃がした狙撃手に関する情報の中にも、確か、綿菓子が何とかというものがあったような……。


「分かったわ、綿菓子! そういえば、そんな見た目だったわね!」


 うっかり明るい声を出してしまった。


 これではまるで、ここにいることを楽しんでいるかのようではないか。相手のペースに乗せられないよう、気をつけなくては。


 あくまで敵地であるということを、忘れてはならない。


「差し上げよう」


 アスターは、綿菓子の入った透明のビニール袋を渡そうとしてくれる。


「……結構よ」


 だが私は、そっぽを向いた。


 日頃ならこんな態度をとることはしなかっただろう。せっかく渡そうとしてくれているのを拒むなど、申し訳ないから。


 しかし、今は別だ。


「な。ほ、本当に要らないのかね?」

「えぇ」

「そうか。お気に召すものがなくて、すまないね」

「……いえ」


 この狭い空間に、親しくもない男性と二人というのは、精神的に疲労を感じざるを得ない。が、このくらいで弱っていては王女なんて務まらない。だから私は、己を励まし、気をしっかり持つように心掛けるようにした。


 一方アスターはというと、私が受け取らなかった綿菓子の入ったビニール袋を開けつつ、元の椅子へと戻っている。


「アスターさん、あの……」


 私は勇気を出して、改めて話しかけてみることにした。


「少し……聞かせてもらっても構わない?」

「ん? 何かね」


 彼は綿菓子をつまみながら、私へと視線を向けてくる。その表情から悪さを感じ取ることはできない。やはり、彼が悪人だとは思えなかった。


「私を誘拐するよう、貴方に頼んだ者がいるの?」

「……鋭いね、君は」


 いや、べつに鋭くはないと思う。


 振る舞いを見ていれば、彼が根っからの悪人でないことは分かる。実際、ここへ来るまでも、もちろん今も、彼はあまり乱暴な手段を使おうとはしなかった。真に悪人であるならば、私を丁寧に扱ったりはしないはずだ。


「やっぱり。それは誰なの?」

「残念ながら、それをお教えすることはできない。依頼主との契約違反になるからね。それに……私はあまり口の軽い男ではなくてね」

「……真面目なのね」

「いいや、そうではない。普通なのだよ、これが」


 綿菓子を口に含みつつ述べるアスター。彼の表情には、暗い影がまとわりついているように見えた。本当はこんな仕事をすることを望んでいないのかもしれない。見た者をそんな風に考えさせるような、複雑な顔つきをしている。


「私のような仕事は、口が固くなければやっていけないのでね」

「そう……大変ね」


 ——大変?


 言った後で、私は不思議に思った。

 目の前の男性に対し、憐憫の情を抱いてしまっている私がいる。そのことに戸惑ってしまったのだ。


 そんな風に、一人戸惑いの波に飲まれかけている私へ、アスターは声をかけてくる。


「……それにしても、調子が狂うのだが」


 彼はまだ綿菓子を食べている。だが、先ほどまでは存在した暗い影は、その顔から消えていた。


「どうして?」

「普通は、もっと逃げようとしたり暴れたりするものなのだが、君は大人しい。しかも、一日も経っていないにもかかわらず、ここに馴染んでいる」


 馴染んでなんかないわよ。

 そう言ってやりたい衝動を抑えつつ、アスターの顔へ視線を注ぐ。


 するとアスターは、目を数回ぱちぱちさせた後、困ったような顔つきになる。


「……な、何かね?」


 どこかあどけなさの残る、困惑したような顔。微かに恥じらいを感じさせるそれは、少年みたいな雰囲気を醸し出している。

 可愛らしいことは可愛らしいのだが、初老の男性には少しばかり似合わない……かもしれない。


「アスターさん、もし良かったらなのだけど」


 やはり、彼を完全な悪人と思うことはできない。そこで、思いきって説得してみることにしたのだ。


「私の依頼も……受けてくれない?」


 馬鹿だと笑われるかもしれないけれど。

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ここまで読んで下さり、ありがとうございます。 少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
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