吸血鬼の邂逅
「そもそも、あなたが現世に生まれた事自体が間違いだったんですよ。」
そう言われて蘭徒は、露骨に不機嫌そうな顔をした。
あぁ言い方が悪くてすみません、そういう意味ではなくてですねと、男は苦笑いしつつ、落ち着いた様子で取り繕う。
「蘭徒さんは元々異世界で生まれるはずだったんです。魂もそういう風に作られてましてね。ですがエラーというか手違いで、現世の方に生まれてしまった。ですから…。」
「だから、その手違いだかエラーだかを修正するために、サミュエルさんは現世の方で僕を一度殺して、改めてもうひとつの世界に連れて行こうとしている、そういうことですか?」
「いや、…私というか上がそう決定したのですが、そういうことですかね。」
まぁそう怒らないで下さい、異世界もそう悪くはないですよと、サミュエルはなだめるように言った。
そういう問題ではない。
異世界が良い悪いの話ではないのだ。
仮にその異世界というものが桃源郷のような世界だったとしても関係ない。
それは確かに、お世辞にも良い人生だったとは言えないかも知れないが。
それでも僕にだって多少なり楽しみもあれば想い入れのある世界だ。
それを突然何の前触れも無く、文字通り死ぬ程痛い目にあわされ、奪われた。
大切な人にさよなら言えなかった…。
新と皆月さんにも…おめでとうと…言いそびれた…。
蘭徒は粗末なパイプ椅子にもたたれかかり、天井を仰ぎ深いため息をついた。
一面真っ白な天井に一つだけ取り付けられた丸型の蛍光灯が、やたらと眩しく感じられる。
ここは一体何なのだろう。
天井だけでなく、壁、床、全てが真っ白の正立方体の部屋。
窓一つなく、サミュエルの背後の壁に扉が一枚あるだけ。
あとは部屋の中心に置かれた一台のテーブルと2脚のパイプ椅子、そこに蘭徒と男が座っている。
蘭徒は体勢はそのままに、天井に置かれた視線をそのまま自分の背後に投げてみた。
やはり真っ白な壁があるだけだ。
落ち着かない部屋だな、と率直に蘭徒は思った。
殺されて意識が無くなり気がつくと、正面に座る丁寧なのだか失礼なのだかよく分からない、サミュエルと名乗る白衣を着た研究者のような男と二人、ここに座っていた。
「ところであなたが亡くなった時のことを詳しくお聞きしたいのですが…。」
サミュエルは蘭徒の様子を伺うように口を開いた。
「あぁ、失恋して人生最悪の日に、追い討ちをかけるように何者かに殺された時のことですか。」
そう、その時のことですと、男は淡々とした口調でそう言った。
嫌味で言ったつもりが通じていないらしい。
「いや、それが私どもとしては予定外のことだらけでして、本来なら交通事故で亡くなって頂く予定だったんですが…。」
ふざけた予定である。
「ですが事故は起きず、あなたは何者かに殺された。」
「何故事故が起きなかったのかも気になるところですが…。」
「蘭徒さん、あなた、どうやら死ぬ前に吸血鬼にされて殺されたようです。」
「…え?」
「いえね、あなたの体を修復する際に分かったことなんですが、修復された体は人間のものではなく、吸血鬼のものだったんですよ。しかし調べてみると、少なくとも昨日までは人間であったことが確認されました。ですから、あなたは死んだ日に吸血鬼にもなっていたんです。信じられないことですが…。」
しかも吸血鬼の中でも相当強力な吸血鬼にですと、サミュエルは真剣な眼差しでそう付け足した。
「吸血鬼は本来、異世界にしか存在しません。しかしあなたは吸血鬼にされて殺されている。」
「つまり、異世界から何らかの方法であなたがいた現世に侵入した吸血鬼がいたということです。しかし、それは世界の理に背反する行為、重罪です。私達はその背反者を一刻も早く処分しなければならない。既にあなたのような被害者が出ているのなら尚のこと。」
蘭徒の顔が青ざめていく。
恐怖が蘇る。
心臓の鼓動が強く、早くなるのが分かった。
息が苦しい。
「あ、あれは…やっぱり人間じゃなかったん…ですね。」
まるで内側から光を放っているかのような美しい銀色の髪。
硝子のように透明な青白い肌。
そこに浮き出た不気味な無数のどす黒い血管。
全てが漆黒の暗闇の中、ギラギラと輝く燃えるような緋色の瞳。
まるで死を凝固させたような人の形をした恐怖が、そこにはあった。
…僕も…あれになったというのか。
あんな、化け物に。
無意識の内に左腕を掴んだ右手に力が入り、爪が皮膚を食い破っていた。
蘭徒さん、大丈夫ですか蘭徒さんという呼びかけで、蘭徒は我に帰った。
「蘭徒さん、これは非常に重要なことです。」
「今あなたは膨大な魔力を持った強力な吸血鬼ですが、それはつまりあなたのような強力な吸血鬼を作り出せる吸血鬼、背反者はとてつもない力を持った吸血鬼ということになる。」
「それだけ強力な吸血鬼がその気になれば、一晩あればあなたの住んでいた街の一つや二つ、容易く壊滅させることが出来るんです。」
「我々はそうなる前に対処しなければなりませんが、あなたが亡くなった場所で背反者はどうやってか魔力の残滓を僅かも残さず完全に行方をくらまし、現状我々はそれ以降の足取りが全く掴めていません。」
思い出すのはお辛いでしょうが、と前置きをしてサミュエルは続けた。
「背反者を見つけるために、あなたが亡くなった時のことを出来るだけ詳しく聞かせて下さい。」
蘭徒は目を瞑り呼吸を整え、一度深く深呼吸し、死んだ日の一日を思い起こした。
※※※※※※
蘭徒は虚ろな目で携帯を見つめながら夕暮れ時の土手沿いを一人、どこに行くともなくふらふらとおぼつかない足取りで歩いていた。
学校が終わり、恐らく一時間はこうして目的もなく携帯の同じ画面を見つめながら歩いている。
普段なら寄り道することなく徒歩十分もかからない家へと帰り、部屋に閉じこもって寝るまでゲームをするのだが、その日は違っていた。
『皆月さんと付き合うことになった。』
学校帰りに送られてきた一通のメールには、その一言だけが綴られていた。
心臓にずきりと痛みが走った。
頭が真っ白になるとはこういう感覚なのだろう。
何も考えることが出来ない。
メールの送り主は高宮新、根暗でゲームしか取り柄のない僕と唯一友人として接してくれた人物である。
だがそれも中学までの話で、頭が良かった新は市内の進学高に通いはじめ、段々と疎遠になった。
そして久しぶりにきた連絡が、僕が中学の頃から密かに憧れていて、今も同じ高校に通う皆月春香と交際を始めたという、このメールだ。
皆月さんが新のことを気にしているのは何となく分かっていた。中学では一度も会話したことのない皆月さんから、高校に入ってから数回廊下で声をかけられたが、内容は決まって新のことだったからだ。
その時は、実は皆月さんと僕は両想いで、他に話題がないから新のことを聞いてきたのかもしれないと、自分に都合のいい苦しい妄想を己が心に言い聞かせた。
皆月さんは新のことが好きだという、自分に都合の悪い現実から目を逸らすために。
だが、これが現実だ。
僕は茫然自失のまま、校門を出てすぐのT字路を、家とは逆方向の左に曲がった。
家には帰りたくなかった。
家族と会話する気にもならないし、だからといって自分の部屋に籠るのも怖かった。
暗い自室で一人になればきっと、この虚しさと孤独感に耐えられない。
そんな予感がした。
そして僕は、この狭い街をどこに行くともなく、徘徊していたのだ。
新に何か返信するべきか。
多少落ち着きを取り戻した頃、ふと頭をよぎった。
新は僕が皆月さんのことを好きだという事実は知らないだろうし、仮に気づいていたとしても僕と皆月さんが付き合っている訳でも無いのだから、祝福すべきなのだ。
僕はスマートフォンを取り出し、返信画面を開いた。
マジか、先越しやがって、リア充じゃん裏切りものめ…等という一文を書いては消し、書いては消しを数十分繰り返した。
おめでとう、その一言で済むものを、プライドが邪魔をして中々して打ち込めずにいた。
ガタン…ガタンと、遠くから電車の近付いて来る音が聞こえる。
「うわっ!」
携帯電話を注視しして歩いていたせいで、足元の棒状の物に気づかず、バタンと盛大に躓いた。
「いつつ…。」
うつ伏せの姿勢から膝立ちで体を起こし、辺りに目をやる。
一瞬恥ずかしい気持ちで一杯になったが、どうやら周りに人はいないようで、ほっとした。
踏切を固定するボルトが飛び出してして、それに躓いたようだ。
カンカンカンカンと踏切の警笛が鳴り始めた。
まずい。
急いで立ち上がろうとすると右足首に激痛が走りまた倒れた。
「痛っ!」
両手で足首を掴んで悶絶をする。
どうやら右足首を挫いたらしい。
ガタンガタンという音に合わせて踏切に振動が伝わるようになってきた。
やばい。
痛がってる場合じゃない…。
何とか四つん這いになって踏切を見上げると、黄色と黒の縞模様をした遮断機が降りてきた。
全身から汗が吹き出す。
ガタンガタンという電車の走る音が次第に大きくなる。
音のする方に目を向けると、西日の逆光で真っ黒に塗りつぶされた巨大な鉄の塊が数百メートルの所まで迫って来ていた。
いよいよもってまずい。
「た、助けて。」
這うように踏切から出ようとするが、焦りと恐怖で思うように進まない。
電車の音が更に大きくなる。
「助けて!誰か!」
誰もいないと分かっていつつも声を張り上げる。
ガタンガタンという音は、その声をかき消す程に大きくなっていた。
もう駄目だ。
反射的に目を瞑り、呼吸を止め自身を庇うように手をかざす。
死ぬ。
そう思った瞬間、僕は何者かに抱き締められ、線路の向こう側に大きく吹き飛んだ。
ドン、という音と共に体に衝撃が走る。
恐る恐る目を開けると、色白の見知らぬ男の顔が映った。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
僕はボロボロのコートをまとった、全身黒づくめの男と共に倒れこんでいた。
状況からして恐らく僕は、間一髪の所でこの見ず知らずの男に、身を呈して助けて貰ったのだろう。
「大丈夫かい?」
男は優しく落ち着いた声で僕にそう尋ねる。
「はぁ、はぁ、あ、ありがとっうます。」
必死にそう返事をした。
心臓がばくばくと破裂しそうに音を立てている。
はぁ…と深呼吸をした。
間に合って良かったと、男は微笑んだ。
男は立ち上がり砂埃を払いのけ、手を差し伸べた。
「あ、す、すみまれん。」
恐怖と安堵でうまく呂律が回らない。
僕は差し伸べられたその手を支えになんとか立ち上がろうとしたが、死に直面した緊張と挫いた片足のせいで上手く立ち上がることが出来なかった。
それを察して男は握った手を引っ張り上げ、そのまま肩を貸してくれた。
僕は男の肩を借り、近くにあったガードレールまで連れて行って貰い、腰を下ろした。
少し休みたかった。
男は僕をガードレールまで運ぶと、近くにあった自動販売機へと向かい、コーヒー牛乳を二本購入したようだった。
「これで良かったかい。」
男はコーヒー牛乳を一本僕に差し出し、隣に座った。
あ、いや、すみませんと言って僕は有り難く頂戴した。
男はゴクゴクと、テレビのCMのように喉を鳴らしてコーヒー牛乳を飲みはじめた。
「やっぱり上手いなぁ…飲みたかったんだ、これ。」
男はしみじみとそう呟く。
僕は何とはなく、その男の様子を眺めていた。
なんというか、変わった人だ。
ボサボサとした長い黒髪、肌は蒼白いと言っていいほど白く、目は赤に近い茶色。
話し方と雰囲気が落ち着いていて、三十代前半くらいかと思っていたが、肌も若々しく、顔立ちも若い。
二十代前半といったところだろうか。
靴も服もボロボロだが、よく見ると中世ヨーロッパを舞台にした映画に出てくる紳士のような服装をしている。
現実でこんな格好している人初めて見た。
もしかして日本人じゃないのかな?
でも日本語は上手いよな。
等と男に対して意味のない分析をしていたところ、男が質問してきた。
「何か嫌なことでもあったのだろう?」
「え…。」
心当たりがありまくる質問に、一瞬戸惑った。
「君が踏切でこける少し前から君の後ろを歩いてたんだが、歩きスマホをしていただろ?」
「危ないなと思って声を掛けようと思ったが、この世の終わりのような顔をしていたから注意するのに気が引けて、結局声を掛けられなくてね。」
転んだ時に周囲を見回した時、辺りに誰もいないように思ったが、一部始終見られていたのか。
歩きスマホのせいで他人を危険な事に巻き込んでしまったことを悔い、僕は小声で本当にすみませんと謝罪しつつも、
「失恋のショックでぼーっとしてて…普段は歩きスマホとかしないんですけど。」
などと見苦しい言い訳をした。
すると男はなぜかクスっと笑ったので少し腹がたった。
「あぁ、失恋か…そおかぁ、辛かったよなぁ…。」
という同情じみたセリフが返ってきたが、顔は笑っている。
この男はきっと、たかが失恋で電車に跳ねられ死にかけたアホだと思っているのだろう。
実際そうなのだが…。
僕はただのよくある失恋で死にかけたと思われのが嫌で、弁解をするかのように、これまでのいきさつと、どれだけショックだったかをなるべくドラマティックに話を盛って事細かに説明をした。
今度は男は声を出して笑った。
何が可笑しいか。
いやぁすまない気を悪くしないでくれと男は言った。
「なんだか自分の昔の失恋を思い出して、懐かしくなってね。」
本当に懐かしいな、と男は小声で呟き、一瞬寂しそうな表情を見せた。
それを見て、一瞬で物凄く恥ずかしくなった。
僕はあったばかりの人に何を話しているのだろう、と。
ただ何故か、初めて会ったような気がしないというか、話し易い雰囲気があり、親しみやすかった。
それから少し、どうでもいいような世間話をした。
「もう日が落ちてしまったな。」
と男に言われ気付いたが、既に月が昇り、辺りは夜の暗闇に包まれていた。
「え、あ、もう真っ暗ですね。」
僕は夜空を見上げた。
星がとても綺麗だ。
僕は一時の間、その夜空に見とれていた。
「…本当にすまない。」
突然、低く重い声で男はそう言うと、星空を覆い隠すようにゆらりと僕の前に立ち塞がり、僕の両肩に手を置いた。
僕は驚いて男を見上げると、男は先程までとは別人のようになっていた。
いや、別人というよりも、別の何かという方が正しいかも知れない。
黒かった男の髪は銀色に変わり、風もないのにさわさわと揺らいでいる。
月明かりの逆光で表情は見て取れないが、その瞳だけは燃えるように赤く輝いていて、血走っているのが分かった。
僕の両肩に置かれた手には万力のような力が込められ、鋭い爪が両肩に食い込み、激痛が走った。
そのまま男はぬいぐるみでも持ち上げるかのように、自身の視線の高さまで軽々と僕の体を持ち上げる。
悪魔。
鬼。
人間ではない、人間のような怪物。
直感的にそう感じた。
そういう底知れぬ化け物に、命を握られいる。
逃げなければと思ってはいても、恐怖のせいか、身体が金縛りにあったように動かない。
誰か助けて!
そう叫ぼうとした瞬間、男は大きく口を開き、僕の首筋に二本の牙を突き立てた。
ずぶりと牙の食い込む感触が、強烈な痛みの中、確かに感じた。
「ひぁ……あ…!」
首を圧迫され、声を出すどころか呼吸さえ出来ない。
ずきゅっずきゅっと物凄い勢いで血を吸われているのが分かる。
目の前が立ちくらみを起こしたように暗くなり、全身が痺れていったが、血を吸われる感覚だけははっきりと分かった。
どのくらい血を吸われ続けていたのか。
一瞬にも、数時間にも感じられた。
男はひとしきり僕の血を吸い上げ、牙を抜いた。
意識が朦朧として全身に感覚が無い。
男は左腕で僕の体を掴んだまま右腕を離し、腰の辺りに拳を引き絞った。
死ぬのか。
一瞬、皆月さんの顔が頭をよぎった。
男の顔に目をやる。
暗闇のせいで表情は見てとれない。
ただほんの少しだけ口元が動くのが分かった。
「…クロエ…アリーシャ…。」
男は厳かにそう呟き、引き絞った拳を僕の心臓へ向けて放った。
※※※※※※
「覚えているのはそこまでで、気がついたらこの部屋に…。」
うーん、とうねってサミュエルは腕を組んだ。
「つまりあなたは一度助けられて、その後殺されたという訳ですね?」
「そういうこと…ですかね。」
「どうしてわざわざそんな面倒なことをしたんでしょうか。」
「血を吸いたかったから助けたとか?」
「あなたの街なら他にもたくさん人はいるでしょう?」
そんなことを自分に聞かれても分かる訳がないと、蘭徒は心の中で呟いた。
「それなのに危険を犯してまであなたを助け、また殺した。」
「危険?」
「電車に跳ねられかけたのを助けられたのでしょう?」
「一歩間違えればその吸血鬼も、あなた共々あの世いきです。」
確かに普通に考えれば、時速数百キロで走って来るあんな巨大な鉄の塊にぶつかって生きていられる生物なんていないだろうが…。
吸血鬼でも危なかったのか。
蘭徒は眉に皺を寄せ、腑に落ちないという表情を見せた。
「…どうしました?」
「あ、いや、街を一夜で壊滅させられるって先程お聞きしたんで、強力な吸血鬼というからには映画や漫画に出てくるような…なんかこう殺しても死なない、無敵の吸血鬼!みたいなのを想像してたんで…。」
「無敵は言い過ぎとしても、確かにあなたが出会ってしまった吸血鬼はあなたのイメージとそう遠くない存在かもしれません。ですがそれは夜に限っての話です。」
「吸血鬼は日光の下では急激に弱体化します…というよりも大抵の吸血鬼なら日光を浴びれば灰になりますが、一部の強力な吸血鬼は日光の下でも普通の人間程度には活動が可能です。」
あぁ…と蘭徒は声を漏らした。
そういえば吸血鬼は日の光に弱いのかと、蘭徒は納得すると同時に一抹の不安がよぎった。
「あの、話を中断してすみませんが、僕も今吸血鬼なんですよね。」
「そうですね。」
「僕の場合はどうなるんですか、日の光を浴びると…その…。」
「あぁ、蘭徒さんも強力な吸血鬼の部類なので、太陽に耐えうる力はお持ちのようですね。」
蘭徒は胸を撫で下ろした。
全く日の光を浴びられないような生活は、いくらほぼ引きこもりのような自分でも辛いだろう。
「ただ先程申し上げた通り、日光の下では殆ど人間だった頃と変わりませんが…今まで人間だった蘭徒さんにとっては、夜の間だけ強力な力を得たと思って頂いて差し支えないでしょう。」
「そうなんですか…。」
「…っと話が脱線しました。」
そう言ってサミュエルは襟を正した。
「先程述べた疑問の他にもいくつか疑問がありますが、あなたが死ぬ間際に聞いた言葉。」
「クロエと…アリーシャ…ですか。」
「えぇ、恐らく人名だとは思いますが…あなたを殺すことと何か関係があるみたいで引っかかりますね。」
成る程、と蘭徒は納得したふりをしたが、その実何も考えていなかった。
どうせ考えても答えは出ない。
サミュエルは難しい表情で右手で顎をさすりながら何かを考えているようだ。
突然、頭の中でギュイイイイインッと機械的な大きな音が鳴り響き、蘭徒はとっさに耳を覆った。
「あぁ、しまった…そろそろ時間のようです…。」
とサミュエルは頭をもたげた。
「じ、時間?」
「蘭徒さんの転生の時間です。」
「渡そうかすまいか考えていたのですが、もうあまり時間がないようなので渡すことにします。」
そういってサミュエルは白衣のポケットから、親指程の赤い石が嵌め込まれた指輪を蘭徒に差し出した。
「受けとって下さい。」
「これは?」
「蘭徒さんと私を繋ぐ通信機です。」
「あなたを殺した吸血鬼の魔力が途絶えているのは、もしかしたら気配を殺して現世に潜伏しているのではなく、どうやってかあなたを殺してすぐ異世界に戻ったのかもしれない。」
「もしそうであれば、背反者はあなたと接触しようとするかも知れない。」
「そうでなくても、今回の件、あなたが異世界へ転生することを知った上で、何か目的があって行われたとしか思えないのです。ですのでのあちらで何か分かれば連絡を下さい。」
「その見返りに、異世界では分からないことや困りごともあるでしょうから、呼んで頂ければ私の可能な範囲でサポートも致しますので…。」
「いやでもどうやって使えば?」
「指に嵌めて念じて頂ければ、テレパシーのように脳内で会話出来ますよ。」
なんと都合の良い…。
ギュイイイイインッ!という先程より更に大きな音が頭の中で鳴り響き、蘭徒は気を失った。
薄れゆく意識の中、ご武運を…と言うサミュエルの声が聞こえた。
※※※※※※
意識を取り戻し目を開けると、目の前には木造の天井が広がっていた。
辺りを見回すとどうやら今度は、小さな民家の床に敷かれたゴザの上で眠っていたらしい。
頭の中が霧がかったようにぼうっとする。
「どこだ?ここ。」
と呟いた瞬間、開けっ放しの扉から麻の服を着たショートカットの少女が大量の布を抱えて入って来た。
洗濯物を取り込んでいたようだ。
「あぁ!目、覚めた?」
と、少女は高く澄んだ声を発し、抱えていた洗濯物を籠の中に入れ、蘭徒のそばまで歩みよって隣にちょこんと座った。
大きな瞳に蘭徒が映る。
「目覚めて良かったぁ…丸一日寝っぱなしだったんだよ?」
少女はほっとした様子で両手を床についた。
「そうなんだ、あの、ごめんね。」
「ところでここは…。」
「ここは私の家。森で狩りをしてたら、偶然あなたが倒れてるのを見つけたの。それでこのままじゃ危ないと思って、ここまで運んできてあげたんだ。」
よりにもよってそんな場所に飛ばされていたのか…。
サミュエルめ…。
それにしても、どう見ても10代前半のこの華奢な女の子が、どうやって自分をこの部屋まで運んで来てくれたのだろうか。
「見た目より重いんだね、人間さん。」
「まさか…君が担いで運んでくれたなんてことはないよね?」
「そうだよ!私達の種族はこう見えて以外と力持ちなの!」
へへーん、と誇らしげに少女は胸を張った。
…きっと担いだといっても、たまたま何か重い物を運ぶ道具を持ち合わせていたのだろう。
「そっか…ごめんありがとう。」
蘭徒は上体を起こした。
「調子悪いんならもう少し寝てていいよ?」
「いや、もう大丈夫だから…ありがとう。」
さっきからありがとうとごめんねばっかり、と言って少女はクスクスと笑った。
その瞬間、少女の頭頂部から生えていた髪の毛の束が二本、ぴょこんと起き上がって兎のような耳になった。
「わっ!」
少女は首を傾げながら蘭徒に質問した。
「どうかした?」
「み、みみ、耳が!」
「ああ耳?」
そう言って少女は兎のような耳を片方ひょこひょこ動かした。
どうやら自分の意思で自在に動かせるようだ。
髪の束だと思っていた物は元々耳だったのだろう。
「兎人がそんなに珍しい?」
「トジン?」
「私みたいに兎の耳を持った種族、人間さんもしかして知らないの?」
この辺りには私以外にもたくさんいるんだけどなぁ…と少女は顎に指を当てて考えるそぶりを見せた。
「どっか遠くから旅をしてきたとか?」
「え、あ、いや実は記憶をなくしたみたいで…。」
異世界から来た、などとはいくら違う世界といっても信じて貰えない気がして、咄嗟に蘭徒はこてこての嘘をついた。
「そうなの?」
大変だね、本当にそんなことあるんだね、と少女は同情した様子で蘭徒の顔を覗き込んだ。
その大きく純粋な黒い瞳に見つめられ、気恥ずかしいのと、嘘をついた罪悪感で蘭徒は目をそらした。
「名前も覚えてない?」
「あ、名前はだけは覚えてるみたい、僕は楪葉蘭徒。」
「ユズリハラント?長いし珍しい名前だね!」
「あ、名前は蘭徒、苗字が楪葉。」
「うーん…ミョウジってよくわからないけどじゃあお名前はラントでいいのかな?」
この世界には苗字はないのか。
「まぁうん、そんな感じかな…君は?」
少女はにっこりと笑って答える。
「私の名前はクロエ!」
蘭徒は、己が耳を疑った。
「クロ…エ?」
現世で自分を殺した吸血鬼が呟いた謎の人物…。
まさか異世界で最初に出会うなんて、こんな偶然あるだろうか…。
「うん!宜しくね、蘭徒。」
クロエはただ無邪気に笑ってそう言った。




