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思わず出たツッコミに賢者様が部屋から顔を出して何事か問うてきた一幕もあったものの、日暮れまでには玄関先をある程度片付けることができた。
途中で変な虫にも出くわしたけどね。そこは乙女の底力を持ってして徹底的に引っ越ししていただいた。詳しいことは聞かないでいただきたい。私は頑張った。
ともあれ、やっとこれで全体が見渡せる。
最初の外観の印象通り、ここは使用人小屋のようだ。出入り口はいわゆる土間を改装したもののようで、入ってすぐが台所だった。
隣にある部屋は恐らく貯蔵庫だろう。そこで寝起きしているとか大丈夫かここの家主。
「まあ、とりあえずの仕事は確保できるかな」
炊事、洗濯、料理と、マスリオさんがぜってーにやってない事をやっていれば文句も言われまい。
ここから服も出てきたからね。山とあったからね。
というかマスリオ氏は風呂に入ってるんだろうか。っていうか、魔法研究って一体何をしてるんだろう。
少し落ち着いたからか、当然の疑問が湧き出てきた。
流れとチャンスに身を任せていたらこんなことになったけど、知らない男性のおうちに泊まるとか乙女のピンチじゃないですか。いや、全く以て興味もたれてないけど。
「あ、そういや水はどうするんだろ」
こんな時代に水道なんぞあるわけもなし。
上水どころか下水も設備がなかろう。トイレどうするんだ?
生活をするって不便で仕方ないよな。生きてるって事は汚いって事だけど、技術の乏しい世界で清潔を保とうというのは中々難しいことだ。
井戸はどこだろう。家が三件、ということは母屋、使用人用の離れ、馬小屋もしくは離れ二つ目ってあたりが妥当か。ならば、ここが土間であれば、この家の裏側にあるのが大体の位置取りか。うん、今来た方向が一番可能性高いわ。
あっれー? おかしいな……というか、それを言うならなぜ裏口側に道がつながっているのかということになる。この家が建ったころは森側に主要街道でもあったのか? そんな馬鹿な。
こういうことは一人で考えていても仕方ない。家主に尋ねるのが一番だ。
なんかの研究中かもしれないけど、生命維持に関わることだ。申し訳ない、というより、追い出されかねないけど声をかけさせてもらおう。
マスリオ氏が引きこもっている部屋の扉の前に立つ。
合わせ板か、それほど頑丈ではなさそうだ。外枠もそうだけど、後付け感がひどく浮いている。他が石造りで沈み込んだ色合いだからか、白に近い色っていうのはなんの冗談かと思えるほど不釣り合いだ。
まずは無難にノック。これで出てこなかったら強引に押し入る! などと気合を入れていたのだが、主はすぐに現れた。
頭一つ分以上は上の方からボンヤリと見下ろされる。相変わらず血色の悪いことだ。
「なにかな?」
「水はどこにあるのかと思いまして」
「ああ、水ね。裏に泉があるでしょ、そこから持ってくればいいよ」
生活用水ならそれで事足りるか。
この口ぶりからするに強酸ではないようだし。
桶は荷物の山の中に数個ありました。
「飲用水はどうしているんですか」
「ああ、喉が渇いているのか。……なら、こっちにおいで」
言うなり、ふらりと室内に戻っていく賢者。
その動きがまるで亡者のようで薄ら寒くなった。気配がないっていうか生気がない。
だが、招待されたのだから行かねばなるまい。ここでうだうだしていてもしょうがないもの。
この家から逃げ出すならまだしも、この出会いも縁があってのことだろう。ならば無碍にはできない。というか託児所を手放すとか考えられない。王族に預けるとか、まずコネクションがないわ。
部屋の中に入れば、天井付近に照明が二つ。窓の類はない密室のため閉塞感がやばい。明かりが微かにちらついているところから、火を使ったものと考えられるが、それはつまり一酸化炭素中毒的なものの危険性があるのでは。
そう思いながら光源を目で辿り気が付く。蝋を使っているわけじゃない。
確かに壁に張り付いたそれは燭台の形をしているのだが、燃料となるべきものは何もなく、先がとがった鉄色の物体の先にペンギンの足型のような赤いものがくっついていて、それが辺りを照らしてた。
こういうわけわかんないファンタジーやめてくれませんかね! 理屈がわからないものは混乱しか生まないんですよ! 動力はなんだ、言ってみろ!
「どうしたの?」
「あ、いえ」
理不尽だとか言ったら怪しまれるだろうか。
いや、すでに怪しさ満点なんだけど、これ以上に警戒されたくない。
「ふうん。ほら、これだよ」
努めて賢者様の方を向くようにする。
壁に沿っておいてある机や棚の上によくわからないぐちゃっとした物体が置かれていたり、瓶や草の類が乱雑に積みあがっていたり冊子が飛び出したそうにしていたり、怪奇な文字が書かれていたりするがむやみに見ない方がいいだろう。好奇心はそそられるし、一応は助手扱いだけど、許可なく触れてはいけない気がする。
心を静めてマスリオさんの指し示すものに視線を注いだ。
そこには、壁からひょいと顔を覗かせた蛇口があった。
「……はぁ?」
「これね、ここをひねると水が出るから」
いやいやいやそういうことではなくてだな!
なにをいきなり世界観をぶち壊しに来ているのかと!
「いや、知ってますけども……」
「へえ? 一応は大戦で失われた技術の一つと言われているんだけどね?」
……ん? なんだっけそれ。
「やっぱり、魔族と繋がりがあったかぁ」
あ! そういえばそんなこと言ってた気がする!
すっかり忘れてた。というか、日常生活に確認行為を混ぜてくるとかこの人も飄々としながら侮れないんですけど。なんだ、この世界にはそういう変態しかいないんだろうか。
「そうなんですか? 僕のいた村には普通にありましたよ。こんな、穴倉みたいなところじゃありませんでしたけど」
「魔族の村か。豊かなんだね」
「魔族かは知りませんよ。キヨサトと呼ばれていました」
詐欺をするときの心得は、真実を混ぜることだったかな?
すべてを嘘で賄おうとするとぼろが出るから、騙したいこと以外は本心を語るとかなんとか。
よくできるよなぁ、そんなこと。管理が大変だ。本当、疲れるわ。
下げ止め式のネジ頭のような場所……取っ手? レバー? ともかく、それをひねって開栓する。
現代と比較しても遜色のない流水具合。色味は判断できないが、おそらく無色透明。下は一段低くなっており、溜まった水が外に向かってあいた溝にどんどんと流れていく。
この水がどこからやってくるのかなんて考えたくはないな。ポンプとか、こいつの比じゃない技術が出てきそうだ。
それにしても、現代技術も真っ青な物体があるかと思えば、輸送・運送技術や建築についてはまだまだ発展途上だし、衣服についても同じ、なんとも文化レベルのチグハグ感が強い。違和感というのか、マンモスを狩るのに銃火器を使ったかと思えば、肉を捌くのに素手で挑んでいるような感じだ。
「そうなんだ。はい」
こちらの戸惑いなど我関せず、興味なさそうに答えて近くのカップに水を汲んでくれる家主。それどこまで清潔よ。
しかし心遣いを無視するわけにもいかないので、礼を言って口をつける。すると、感心したようなため息をつかれた。
水を出し続けるのも見た目に心地いいものではないのでバルブを閉めれば、瞠目して感嘆の声をあげられた。
なんなんだ。
「本当に、そういう所から来たみたいだね。うん、これならいいか」
「なんですか?」
「私の研究しているものは不老長寿。それとは別に歴史から消えた技術も復活させようと思ってる、趣味で」
高尚な趣味をお持ちで。
ってかそっちは片手間なのかよ! メインの研究テーマにした方がよくないか?
「だから、文化程度が合う人がいなくて、一人でやってたんだよね。でも、君なら大丈夫そうだ。参考になる話も聞けそうだし」
どうやら正式に認められたようだ。
なんだかんだ、順調。持つべきものは現世の知識ですな。金よりも役に立つわ。
「服装はあれだから、それ以外のところでよろしくね」
にっこり笑って手を差し出してくる血色不良男性。
それに応えて、微笑みながら握手を交わす。
この服はお前のだよ、と思いながら。