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何事であろうと、最初の一歩は恐いものだ。
だが、この旅路において、恐れられるべき理由は呆気なく蹴り飛ばされた。そこには自負もあったかもしれない、未知への好奇心もあったかもしれない、だが最たる理由はただ一つ、無知だったからだ。
本当ね、サバンナの時からつれーわーと思ってた。辛いとかね、思えるだけ幸せだったんだなって。絶望できるだけ余裕あるんだなって。今のミハル君の表情見てみなよ、無、だよ。
砂漠進入から三日、見事に迷子になった私達。
準備ができていたからかすぐに死ぬとかそういうことはないんだけど、全身を流れ落ちる汗にまとわりつく砂、踏み込んでは沈み込む足場に照りつける太陽、保湿がきかず寒暖が激しすぎて劣化する物質。体力が削れるのは当然だけど、それよりも精神がやられてる。
景色は変わるんだけど味わっている暇はないし、さっき見た風景が別物になっていると方向感覚は狂うし進んでいる感じがしないし、目印も方位磁針も地図もないもんだから心の依り代がどこにもない。
まあ、私はスライムとして荷物扱いだから実感してるわけじゃないんですけどね。
「……ミハル、少し休もう」
「……あ? あー……」
「ミハル様……」
その場に崩れ落ちるミハル君によろけながらも寄り添うミナさん。
移動中ずっと魔法を発動しているし疲労しているはずなんだけど、ミハル君への愛故に耐えてるらしい。こういう時の心の強さは女性の方が強いんだっけ。確か、出産できるから体を守ろうって意識が男性より強いとか聞いた。だから、心も強いらしい。
それとは関係なしに天幕を張ってアミちゃんの世話をしはじめるリタさんはすごいを通り越して化け物かと言いたくなりますけどね。
「悪いが水と塩をくれ」
「ちょっと、待ってろ……」
「リタ、ミハル様は疲れているのよ」
「いい、大丈夫だ」
へろへろになりながらも、要求をこなすミハル君。
しかしまずいなぁ、こんなにも心折れてる人をどうやって立ち直らせたら良いものやら。
「そんなに体力なかったか?」
「というより、苦しい。吐き出したいのに吐き出せないっていうか、さ」
「ふむ……もっと情報を仕入れてから来るべきだったな」
「せめて地図でもありゃあな」
日陰で落ち着いたからか、少しだけ回復する現代っ子。
でも、もう一度立ち上がるだけの根性があるかは微妙だ。目が死んでる。ミナさんも目を閉じたまま動かないし、アミちゃんはぐったりして地面に敷いたシートの上に寝そべってる。
うーん、前人未踏の大地か。
知ってる限り、砂漠の横断には地図が必須だ。井戸の位置を記してあるやつね。昔は人が住んでいたけれど徐々に砂漠になった、という土地であれば道筋がなんとなくできているものだ。
そういうものが全くないって事は、誰も通っていないって事。よっぽどの理由がなければ通る理由すらないって事だ。
「ラス、少しでいい、ミハルを慰めてくれないか」
むんむん唸っていたらリタさんに囁かれた。
男を慰める趣味はないんだが、仕方ないか。私はミハル君に近付くと、顔面にジャンプアタックをかました。
直撃したが、なんだコイツって目をされただけだった。構ってほしいわけじゃないよ!
少しでも良いから見返したい気持ちになって、なにかできることはないかと考える。スライムにできること。
ああ、そうか。
したことはないが、料理の時もやりたいと思ったらできた。ということは、ある意味、スライムの可能性は無限大とも言える。
私はあるものを想像し、数回分裂を行った。
細かくちぎれた体が周辺にいくつかふよふよと浮かんで、それが次々とミハル君に突撃しては弾け飛んで消える。
「え、お前それファンネぶふぉぉっ!?」
おっと危ないアウトな台詞は慎みたまえ。
分裂した全てを射出し終わって満足する頃には、ミハル君も笑い出していた。
「お前、そんなこともできたのか! なんかすっげー懐かしいもの見た気がする!」
そうだろう、こっちの世界じゃ見かけなかっただろう。
「あんがとなラス、ちょっと元気出た。んでついでに良いこと思い付いた」
にっかり笑って立ち上がるミハル君。
調子出てきたな。
「空から様子を見れたら良いんじゃないか? 周辺に何があるかだけでも」
そういえば雲一つない快晴が続いていたっけ。
魔物が飛んでいる様子もなかったし、それができたら進む方向の目処が立って良いかもしれない。
「飛ぶのか? できるのかそんなこと」
「アミなら可能じゃないか? もしくは俺を飛ばしてくれればいい」
「上空まで結界を維持するのは無理ですわ……」
「アミも飛べないよぉ……」
いきなり頓挫した。
「私が行こう。ミハルなら他者を飛ばせるだろう? それに私なら、魔物に襲われても迎撃できる」
暑さが問題だろ。
他人事のように構えて聞いていたら、ミハル君がちらっとこちらを見てきた。嫌な予感がしたからミナさんの胸に飛び乗ってそのまま谷間に隠れようとした。が、密度高すぎて潜り込めなかったくっそ。
「ラス、やってくれるよな」
無理です。
そもそも飛行能力ないし、戦闘能力ないし、気化するし。
そのままあの世に行くだけだぜそれ。
「ラスなら軽いからこっちで飛ばすのもある程度の操作も簡単だし、何かあっても避ければ良いし、料理スライムなら耐性あるしな」
埋めるな外堀を!
堀のない城なんて攻め込み放題じゃないか! やめて!
「それにラスなら機転も利くし、頭も良いから観察に適しているな」
こんな時だけ褒めるんじゃない。
スライムったら雑魚でしょうが、なにを期待しているんだ君達は!
「ラス」
「ラス君」
「ラスちゃん」
「ラスリー」
君達……ここぞとばかりに覗き込んでこないでくれよ!
なんださっきまでグッタリしてたのに! 一致団結しやがって!!
「抗議スライム……まあ、お前の気持ちは分かるさ。ドンマイ」
ちくしょう良い笑顔だ。サムズアップまでしよってからに。
悔しいから死角方面から分裂体を顔面めがけて発射した。八発ほど。
「ラス、私からも頼む。今は僅かでも先に進む光明がほしいんだ」
「ラスちゃん、おねがぁーいー」
「ラスリー、つべこべ言わずに飛びなさい」
あああ! ああ!
これはもう飛ぶしか……。
頭も抱えることができず、覚悟を決めた瞬間。
なにか、心の奥底がぼこりと音を立てて、心臓が早鐘を打つような、肺が膨れて破裂するような、麻痺した手の平を無理矢理開くような痛いようなむずがゆいような感覚に襲われた。そのまま甲高い音が青空の向こう側へと突き抜けて行く。それは少しだけぴろぴろと余韻を残し、砂粒の合間に沈み込んでいった。
「え、今のなに……」
「……! おいミハル、あっちだ!」
リタさんが叫んで指さした方角にあった砂丘が風の前に少しずつ削り取られていく。ヴェールを剥ぐような幕開けの向こう側、視線の先にはかつてないほどの砂埃。巨大蠍さんでもここまでじゃなかった。
「あ、ええ!? なにあれ!!」
「む……ヌゥルだ。なんぜこんな土地を大移動してるんだ」
「はぁ? 草原の魔物じゃありませんの! こんな所にいるはずが……」
「ぬぅー? こっちきてない?」
「退避しましょう!!」
「アミ、こっちに!」
慌てている間にも牛の集団はこちらに突撃してきている。
距離があるから避けられる、かな? 結構横にも広いぞ。
「ラス、こっちに」
リタさんが手を出してくれたのでそれに飛び乗るようにジャンプする。と、ミハル君にぐわっしと掴まれた。
持っている部分がアレで涙滴型になった。外因での変形って初めて!
「……あれに乗る!!」
離してほしくてぶらぶらしてたら、ミハル君がそんな宣言をした。
リタさんでさえ、はぁ!? って顔になっていたが、一瞬後に理解したのか頷きを返している。
「私達より早く移動できるな」
「なんの目的もなく走り回ったりしないはずだ。それにこいつらがバテて立ち止まったとしても、最悪食糧になる」
「何もしないよりマシかもしれませんわね」
「楽しそぉ!」
疲労でテンションハイになってんじゃないかな。
冷静に考えたらロデオ数時間の刑とかやってられんわ。しかも集団移動だからどっかで歩数が狂えば乗った牛ごと轢かれかねないし。
なんで砂漠で牛追い祭りしなきゃいけないんだよ。
などと思ったところで、私はもはや自由の身ではない。バッチリ捕獲されております。
「来るぞ! 飛び乗れ!」
どんなアクションシーンだとツッコミを入れる前に放り投げられた。
いや一緒に乗るんじゃないんかい!!
ヌゥルの群れに向かって、心身の描く放物線は栄光への架け橋だ、をやっていると、運良く角に引っかかったらしく、ぐらぐら揺れる視界が満点の青空を映し出した。
「その……まま……行くぞ……!」
どうやら全員がちゃん飛び移れたらしく、ミハル君の掛け声に短い返事が返ってくる。
舌噛むから黙ってた方が良いと思うよ。




