後妻の想い
物語の前日譚。ステラの話です。
見たことない若い男の人が庭にいる。
それに気付いたのは、確か、12か、13歳になる頃だったと思う。
*
「お父様。グスタフと共に庭を手入れしているあの方はどなたでしょうか」
「あぁ、あれはね——」
——私の家の庭は、腕利きの庭師によって、それはそれは丁寧に、美しく整えられていた。
グスタフという物腰柔らかな老齢の庭師は、植物のことに関しては右に出る者はなかった。
故に我が家は伯爵家でありながら、庭だけは侯爵家顔負けかもしれない、とまで言われていて——そのグスタフの傍に、若い男がついて回っていたのだ。
お父様に詳しく聞けば、あの若い男はラルフ。グスタフの一番弟子で、普段はブラックウェル伯爵家の庭師をしている。のだが、折言って相談があると言ってグスタフの元を訪ねてきた——ということらしい。
「……ふぅん」
毎日決まり決まった生活を送ってきた私にとって、ラルフという男は、降って湧いた非日常的な存在だった。俄然興味が湧き、ラルフに接触するのにそう時間はかからなかった。
「ねぇ!ラルフ……さん!」
「っ、ひええっ、あっ、えっ、おっ、お嬢様っ……?」
ラルフが休憩を取っているのを見つけた私は、すぐにそこへと駆け寄った。木陰でサンドイッチを頬張っていたラルフは、私の登場により思い切り咳き込んでしまった。
「わぁっごめんなさい!」
「うぇ、げほ、いえ、大丈夫です。ええと、お嬢様、一体どうされたのですか」
持参したシートを広げ、ラルフの隣に腰を下ろす。木漏れ日が眩しくって、思わず目を細くする。
「ご飯を食べている時にごめんなさいね。聞きたいことがあってここまで来たの。ええと、……ラルフ、貴方、一体どうしてこのお屋敷に来たの?」
「ええっ、どうしてですか?そうですねぇ……うーん、自分は普段違うお屋敷で働いているんですが、」
「お父様から聞いたわ。ブラックウェル伯爵家でしょう?」
「そうですそうです。で、ブラックウェルの旦那様から、少し難しい仕事を振られまして……」
「難しい仕事?」
「はい。手入れは難しくないんですが、咲かせるまでが難しい花の栽培を頼まれまして……」
「そんなお花があるの?」
「それがあるんです。これ以上は守秘義務に反するので話すことはできませんが……師匠ならコツを知ってるんじゃないかと思って、相談をしにこの屋敷にお邪魔してるってワケです。せっかくですから他の花についても教えてもらおうと思って……」
「へえぇ、そうだったのね……」
それが、私とブラックウェル伯爵家の最初の接点だった。
その時のラルフの仕事が、病床に伏せっていたセレーネ様のために庭を綺麗にしろ、夜に咲く花々を育てろ、という命令だったということは、当時の私は知る由もなかった。
*
次にブラックウェル伯爵家と接点が生まれたのは、18歳のあの日。デビュタントを終え、初めての夜会に出席したときだった。
あろうことか、当時の私は婚約者がいなかった。言い方は悪いが、私は、家がどうにかなったときの保険というべき存在だった。もし家が傾けばそれなりの貴族の元に金と引き換えに嫁ぐのだろうし、そういったことがなければ、結びつきを強めたい家に嫁がされる。家督は兄が継ぐから、私は、なにかあったときのための保険。令嬢とはそんなものだと思っていたから、特に悲観することもなく、のびのびと暮らしていたのだ。
お父様にエスコートされて会場に入る。煌びやかな会場。素直に胸が躍った。
お酒や軽食をつまみつつ、婚約者のいない私は早々に壁の花となっていた。けれども、華やかなドレスをまとうご令嬢、そして負けず劣らず正装に身を包むご令息を見るだけで楽しくて仕方なかった。
「ふふ」
面白くって端から端まで会場を見ていると、ひとり、異彩を放つ男性が壁に立っていた。遠目から見てもわかる。かなり不機嫌な様子だ。
そうして見ていると、ひとりの令嬢が男性に近付いた。しかし一言二言交わして、すぐに令嬢は立ち去ってしまう。そんなことが数回起こった後、婚約者とダンスを終えたお兄様に声をかけられた。
「ステラ!パーティーは楽しんでる?」
「とっても。ところでお兄様、あの、壁際にいる方はどなたかご存知で?」
うん?とお兄様が目を向ける。しばらく逡巡して、あぁ、と声をあげた。
「あれはブラックウェル伯爵だね」
「……ブラックウェル?」
聞いたことがある。どこで聞いたんだろう。古い記憶を引っ張りだして、唐突に、ラルフのことを思い出す。
「ス・テ・ラちゃ〜ん!」
「お義姉様!」
思い出したのと、お兄様の婚約者が私に突撃してきたのはほぼ同時だった。どーん!と体当たりされて、それから、髪が崩れない程度に頭を撫でられた。
「パーティーはどう?楽しんでる?」
太陽のようにカラッと暖かく、元気なお義姉様。そんなお義姉様が私は好きだった。だから、はい、と私も元気よく答える。
「でも実はひとり気になる方がいまして……、あそこのブラックウェル伯爵。あの方、婚約者はいないのでしょうか」
私の視線を辿ったお義姉様が、ブラックウェル伯爵の存在に気付く。そうして、お義姉様にしては珍しく、神妙な顔をしてみせた。
「婚約者……というよりは、ブラックウェル伯爵は、妻に先立たれた人なのよ」
「えっ……」
お義姉様がお兄様に目配せする。私に話しても良いのか、視線で尋ねているようだった。
お兄様は少し考えた様子を見せて、ステラももう大人の仲間入りをしたから教えとこうか、と前置きをして話し始めた。
「5年前だったかな。結婚して間もないうちに奥様が亡くなられてしまってね。まだ若いし見目も良いから、縁談もたくさん入ってくるらしいんだけど、全部断っているみたいでね」
「5年前?5年前といったら、ラルフがうちに来ていたときでは……」
「! よく覚えているね。その通りだよ。病床に伏せった奥様に、せめて綺麗な庭を見せたいからって、結構な難題を庭師……ラルフに投げたらしくてね。困ったラルフがグスタフの元を尋ねてきたんだよ」
「……そうだったんですか……」
お兄様の言葉を聞いて、胸に衝撃が走った。
なんの衝撃かは自分でもわからない。ただ、病床の妻のためにそこまでしたこと、5年経った今も、亡き妻を想っているような姿に、確かに衝撃を受けたのだ。
*
夜会が終わってあまり経たないうちに、ブラックウェル伯爵が後妻を探しているとの情報が入った。縁談を受ける、ではない、ブラックウェル伯爵自ら後妻を探している、そんな情報が。
私はそれにすぐ手を挙げた。後妻の候補に入れて欲しい。ブラックウェル家に手紙を出してほしい、と。
だが両親は大反対だっだ。
ブラックウェル伯爵は先妻をずっと愛しているという噂だ。嫁いだところで愛されるかもわからない。だからやめておけ、ステラが不幸になるところは見たくない、と。
でも、と私は反論した。
確かに、妻としては愛されないかもしれない。でも、家族としてならどうか。愛情深い人であることには間違いないのだ、家族としてなら、やっていけるかもしれない。
両親は顔を顰めた。そもそもなぜ、そうもブラックウェル伯爵に肩入れするのだ。接点などないだろう、と疑問を投げられる。
なぜ肩入れするかなんて自分でもわからなかった。ただ、どんなに綺麗な令嬢に詰め寄られても、誰に靡くこともなく、不機嫌に立っていた。その姿に見惚れただけなのだ。
どうせ私は政略の為の保険に過ぎない。しかし領地経営も盤石で、今現在、困難を抱えていない我が家において、保険としての私の役目は無いに等しい。であるなら、私の望みを聞いてくれないかと両親に詰め寄ったのだ。
最終的に折れたのは両親だった。候補にあげるだけだからな、と念押しされたが、——果たして私は、ブラックウェル伯爵に選ばれた。
*
結婚式はあげなかった。代わりに、持参金も求められなかった。
「ラルフ!」
「んんん……!?あれ!?ステラお嬢様……!?」
ブラックウェルの屋敷に初めて足を踏み入れたその日。私は庭の手入れに精を出すラルフと再会を果たした。
「いやぁ、師匠から話は聞いていましたが、本当にブラックウェル家に嫁いできたんですね」
「そうなの。これからよろしくね」
「よろしくお願いします、……と言いたいところなんですが……」
お嬢様、……いえ、奥様は知っておいた方が良いです。
旦那様は、多分、まだ先妻のセレーネ様を愛していらっしゃる。
週に一度は花を片手に墓参りに行くんです。
だから……こんなことは言いたくないが、奥様にとっては厳しい環境かもしれない。
秘密を打ち明けるように、ラルフは小声で教えてくれた。
「……、……セレーネ様のお墓はこの敷地内にあるの?」
「はい。旦那様が無理を押して、敷地内に作られたんです」
「……場所を教えてくれない?」
「……、……内緒ですからね」
そう言って周囲の目を警戒しながら、ラルフは墓の場所を教えてくれた。
日当たりの良いところだった。陽の光を反射して、墓石がきらきら輝いている。ご先祖様のお墓には何度か行ったことがあったけれど、私が今まで見てきたお墓の中で一等綺麗なお墓だった。苔むしていないし、墓石に掘られた名前に塵もつまっていない。色とりどりの花が供えてあって、ブラックウェル伯爵が来たらしい痕跡も確かにあった。
案内された墓前。しかし先妻の墓前を前にして、なにをすべきなのか、どうするべきかもわからなかった。
ブラックウェル伯爵はもう私のものですよ、と墓に向かって言うは違うと思った。なんだったら伯爵の心は未だ先妻であるセレーネ様のものだろう。だからといって墓石に蹴りを入れるのも違う。私は別に、セレーネ様を憎んでいるとかではないのだ。
「ねぇラルフ。ブラックウェル伯爵は本当にセレーネ様を大切に思っているのね」
「……それはそれは。奥様にお伝えすべきではないと思うのですが、……それは、もう、本当に」
「……そう」
本当は少し期待もあった。夜会でどんな令嬢にも靡かなかったブラックウェル伯爵。その伯爵が私を選んでくれたということは、少なからず脈があるのではないかと、そんな期待が。
けれど大切に大切にされているお墓を見るに、きっとそれは望めないと理解してしまった。後悔したところで後戻りはできない。妻として愛されることはない。でも家族にはなるのだ。ならばせめて、ブラックウェル伯爵が大切にしているものは、自分も同じように大切にしたいと思った。
「おおおお奥様っ!?」
墓の周りに伸びた草があった。素手で掴んで思い切り引き抜く。けれどうまく抜けなくて、根っこはそのまま、葉っぱだけ無惨に千切れてしまった。
「お奥様!なにをなさってるんですっ!?それは私たちの仕事ですよっ!」
「そうね、でも、少しやりたくなっちゃったの」
立て続けに雑草を引き抜く。今までこんなことをしたことなかったら手のひらが痛かった。そしたら自然と涙も出てきてしまった。手が痛いのか、それとも、私はブラックウェル伯爵に愛されることはないと真の意味で理解したのが辛かったのか、もうよくわからなかった。
*
結婚したというのに、今に至るまでブラックウェル伯爵と顔を合わせたことはなかった。今夜は結婚して初めての夜。もう少ししたら、ブラックウェル伯爵が部屋を訪ねてくるはずだ。
緊張で体が震えた。果たして、ブラックウェル伯爵は私に対してどう出るのだろう、どくどくと胸が高鳴り、緊張が最高点まで達したとき——寝室の扉は開いたのだった。
ここから1話に繋がります。




